初詣の想い出 ~私の決意と願いの話~

ささたけ はじめ

初詣とは

 日本という国において、一年でもっとも神頼みがされる日といえば、元日であるのは疑いようもあるまい。日本には、『初詣』という古式ゆかしい参拝儀礼が存在するためだ。ちなみに二位が七夕なのかクリスマスなのかは、私は知らない。


 ではここで、間もなく訪れる元日を前に、本来の初詣というものについて語ってみたいと思う。


 さて、あなたにはこんな経験はないだろうか?

 わざわざ年の初めから、人混みに紛れて寒い中参拝したというのに、結局願いが叶うことはなく、「嗚呼ああ――この世には神も仏もおられない! なんて世だ!」などと嘆いたことが。

 もしも身に覚えがあるのなら、その願いがあなたにとって、とても切実な願いであったろうと推察して同情する。


 だがしかし。


 結論から言えば、それはあなたの逆恨みである。


 というのも、初詣は本来、決意表明の場に過ぎないからだ。神様に対し「今年はこの目標に向かって努力しますので、どうぞ見守っていてください」と願うのが、正しい初詣の在り方なのである。あまつさえ金にものを言わせ、神様を賽銭で買収しようものなら、たとえ神罰が下っても文句は言えまい。


 神や仏はいないのではない。

 祈るだけでは何も叶わないというだけだ。

 願いを叶えるのは、いつも人間の真剣な努力だけなのである。

 そしてその様を、神仏はただ見守るのだ。


 ――と、ここまで散々上から目線でこき下ろしてきたが。


 実はかくいう私も、かつては同じように身勝手に願い、自分勝手に裏切られた同志の一人なのである。ゆえに今後、そのような誤解をする人間が一人でも減る助けになればとの願いから、ここに私の初詣に関わる、かつての失敗を記そうと思う。


 興味のある方は、お付き合い願いたい。

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