美味しい白昼夢

燈外町 猶

えっ、好き。大好き超好き。

(さて、あと10分……)

 約束の時間が近づくにつれ、淡い緊張感が全身に帯びていく。おかげでさっきからタイピングミスりまくって作業効率は最悪。

 ただ、あと10分で昼休みに迎えるだけだというのに。

 ことの始まりは昨日の夕方、社内チャットツールを介して送られてきた一通のメッセージだ。

『明日、昼食をご一緒してもよろしいでしょうか?』

 それはあまりに唐突な内容で、私はついに上司からカウンセリングの打診がきたかと不安になったけれど、よく見てみれば送り主は同期の近江おうみ千途ちずということが判明した。

 同期といっても私はクリエイティブ部門、彼女はマーケティング部門で部署は違うし、ペーペー同士で組まされることはないから同じ企画に携わったこともない。

 故に、ちゃんと話したのも去年の忘年会だけじゃなかろうか。……ちゃんと話したと言っても近江は泥酔してたからあんまり覚えてないだろうけど。

「……はぁ…………」

「なに穂村ほむらちゃん、ため息なんてついちゃって。もうすぐお昼だから頑張れ~」

「あい~」

 隣に座る上司からお言葉を頂いてしまう程、だらしなく思い悩んでしまう。

 近江と一緒に昼食……。いや、する必要がまるでないとわかっていても緊張してしまう。何を話せばいいんだ、本当。というか、私、近江千途という人間に関してのデータをほとんど持ち合わせてない!

 ドえらく真面目で、ドえらく優秀で、ドえらく無口で、ドえらく姿勢が良いくらいのことしか知らない。つまり、内面を一切知らない。

『私もご一緒したいと思っていました。ぜひぜひ、喜んで』

 こーんなに無意味な逡巡を繰り返すんなら適当な理由つけて断っておけば良かった……。

 例のメッセージを受け取った時、大して考えもせずにおべんちゃら3つ並べて返信した自分を今さら恨む……!


×


「穂村~ネイル新しくしたでしょ?」

 ついに訪れたお昼休憩。荷物をまとめていると赤坂さんに声を掛けられた。あかざかさんだ。間違えるとしつこくいじられるので注意。

「さっすが赤坂さん、よく見てくれますね」

 赤坂さんはマーケティング部門マーケにいる人であり、近江からすると直属の上司だ。

 モデルかってくらいスタイルが良くて美人なのに、お洒落で口も達者でなんかもう……人としての格が違いそう。

「でしょ? 超可愛いじゃん。穂村にも季節にも合ってる」

 そしてこんな感じで人を気持ちよくさせてくれる天才。たぶん、人が気づいてほしいところに気づけて、言ってほしいことを言えるタイプ。あくまで自然に、嫌味なく。

「ありがとうございます! 実は超お気に入りなんですよ~。お店の人がインスタに上げたやつもめっちゃ反応も良いらしくって!」

「納得の人気だねぇ。デザインも素敵だけど、そもそも穂村の指先が綺麗だもん」

「えへへ、ほんと赤坂さんって褒め上手ですね。それじゃ、お昼行ってきます」

「はいはい行ってら。今度また付き合ってよ、良いお店探しとくから」

「期待して待ってますね」

 赤坂さんと喋っているとあっという間に時間が経ってしまうので、適当に切り上げてバッグを肩にかけ執務室から出ると――

「穂村さん、おつかれ様です」

 一流の役者がいたらこんな感じなんだろうなと想像できる美しい佇まいで――近江千途は待ち構えていた。

「お疲れ様。ごめんね、待った?」

「いえ、私も今来たところです」

「そ、そう?」

 なにそのデートの常套句、と不意にこみ上げる笑いを押し殺してエレベーターに乗り込む。

 いつも通りギュウギュウ詰めの昼時エレベーターが1階に着き、弾き出されるように降りてからビルのスライドドアを抜けるまで、互いに無言。

 流石にこっからは喋らなきゃどうしようもないぞと意を決した私より1コンマ先に、今日のホストである近江は沈黙を打ち破ってくれた。

「……穂村さん、ハンバーガーはお好きですか?」

「えっ、好き。大好き超好き。全ての食べ物の中でハンバーガーが一番好き」

 おっと、いきなりドンピシャで好物の名が挙がって思わず近江の手を取る程テンションが上ってしまった。

「で、では……いいお店がありましたので、いかがでしょうか? お昼には少々重いでしょうか?」

「いや、ハンバーガーを食べるのに時間は関係ないよ。朝イチでもいけるし、何なら三食ハンバーガーでも余裕」

「それはあの……栄養バランスが……」

 当然そんな雑な食べ方はしないし、体を壊して食べられなくなるなんて絶対イヤだから食生活や健康には割と気を使っている。

 何の気兼ねもなくハンバーガーを楽しむ為だけに入会したジムの効果もあり、バーガーラブに目覚める前と比べて5キロ痩せてるし。

「そうと決まればさっそく行こう!」

「はいっ」

 なーんて意気込んでみたものの、やっぱり空気はどこか重くて。並んで歩く道中、ポツリポツリと会話が生まれては薄れて消えた。

「ねぇ、マーケティング部門マーケってチャラい人多くない? 近江やりづらくない? 大丈夫?」

「そう、でしょうか。みなさん適切な距離感で親切に教えてくださいますよ」

「そっかー」

 なるほど、確かに私みたいのと近江で同じ絡み方をされるわけもなかった。

 ノリがいいのは自分の長所だとは思うけど、いちいち軽い女に見られてしまうのも事実だ。と、考えた段階で、もう一つなるほど。

 近江が真っ先に私の好物を挙げたのは決して偶然ではなかった。

 彼女の上司であり隣に座っている赤坂さんはマーケを象徴するようなチャラモテ番長であり、私もしょっちゅう声を掛けられている。

 その際の文言は必ず『美味しいハンバーガー屋見つけたけど、どう?』だ。

 そして私も私で『そこにハンバーガーがあるならどうもこうもありませんが、奢ってもらえるなら是非もありません。 』といった具合でホイホイついて行く。そんなやりとりを横耳で聞いていたのだろう。流石はマーケッター。収集した情報から的確な計画プランを立ててくるじゃないの!


×


 コスモワールドを横目に歩き、ワールドポーターズを抜けたあたりで「あそこだな」と確信的な検討はついた。

 それを裏切られることなく、辿り着いたのは赤レンガ倉庫一階にあるハンバーガー屋。

 何回来ても美味しいしお店の雰囲気も好き、なんだけど……値段に比例してボリューミーなのが特徴だ。私は問題ないとして、きゃっしゃ華奢んな近江が昼休みという限られた時間で美味しく完食できるかは不安だ。

「来たこと、ありましたか?」

「ああ、うん。何度か」

「そう、でしたか……すみません……」

「何度も来るくらい好きなお店だから、近江と来られて嬉しいよ?」

「そ……それは、良かったです。私も嬉しいです」

 おっ、笑った。良かった良かった、だいぶ緊張解けてきたんだね。いっつも表情筋ガチガチの近江が見せるはにかみ混じりの笑顔、結構好きなんだよね~。

 とか思ってる時点で、私自身も相当ほぐれていることを知る。

 お昼時とあって流石に少々並んだものの、『休憩時間なくなるヤバい!』となるレベルではなく注文へ。ここはバンズやチーズの種類も選べるので、まずは常連である私が先陣を切ると、飲み物以外はそっくりそのまま注文してみせた近江。

「「いただきます」」

 混み合う店内では広いテーブルを二人で陣取ることも憚られ、カウンター席で隣り合って腰を落ち着けた。

 さぁ、こっからは愛しのハンバーガータイム。急いで食べろただ喰らえ。なにせ提供された瞬間から冷めていき、最も美味しい瞬間から次第に遠ざかっていく悲しき熱力学の宿命と戦わなければならないのだから!

「なるほど……!」

 長い爪楊枝のような棒を移動させハンバーガーが崩れないように食べる私を見て、近江は呟くと真似し、小さなお口を懸命に開けてハンバーガーへかぶり付く。そしてはふはふと頬張って……めっちゃ可愛い……!

「どう?」

「美味しいです! お肉はジューシーで、パンはサクサクふわふわ、チーズも濃厚な味とトロトロな舌触りで……味は……もう、カロリーの暴力といった感じで……えっと……」

「…………つまり最高ってこと?」

「はい! 最高です!」

「ありがとう……同志よ……!」

 その後も話に花を咲かせることもなく、ただ黙々と、明らかにオーバーカロリーな昼食を平らげた私達は颯爽と席を立ち職場へ引き返し始めた。



 穂村さんの爽やかな香水が鼻腔をくすぐる度に、去年の最悪な忘年会を思い出します。

 そしてその度に、必死に押し付けて心の奥底にしまい込んだ彼女への想いが膨れ上がって、徐々に私の思考を狂わせていったのです。

 でなければ、『社内チャットツールを私的利用』という禁則事項を破ってアプローチをかけるわけがありません。

「近江、大丈夫?」

 学生の頃から、真面目真面目と言われて、それが、それだけが自分の長所なのだと思っていました。

 だから、上司が注いだお酒は残さず飲みました。それがおふざけとわかっていても、強いお酒を勧められたら断らずに飲み干しました。

 結果。

「……うっ…………あ……はぁ…………」

 当然のように回る世界。

 駆け巡る頭痛。

 体験したことのない吐き気。

 幼い頃から食べ物を大切にしなさいと言われていたので、一度胃に入れたものを吐き出したことはほとんどありませんでした。

 病気のときには我慢できていたソレが一切コントロールできない恐怖。

 なのに、トイレに駆け込んだもののドラマ等で見るようにできない恐怖。

 吐きたくないけれど吐きたいけれど吐けない。頭は痛い。呼吸がつらい。

「吐けないの? 近江、聞こえてる?」

(最悪だ……こんな姿……誰かに見られるなんて……)

 慌てて個室に入ったためか、そもそも思考能力が著しく低下していたのか、私はきちんと鍵を掛けておらず、心配で様子を見に来てくれた彼女にまんまと見つかったのです。

「ほむら、さん……?」

するときは恥ずかしがらない。ためらわない。喉に詰まったら危ないんだから」

「…………あぅ……」

「お腹のちょっと上に力入れて、はい、思いっきり! …………よしよし、ちゃんとできたね、偉いね」

「……うぅ…………」

 一度食道を逆流させる感覚を掴んでから、それを繰り返すことに難しさはありませんでした。

 過剰摂取されたアルコールを乱暴に排出しては、私の口元を拭ってくれる――穂村さんの良い香りがする――ハンカチが汚れていきます。

「スッキリした? 戻れそう?」

「だい、大丈夫です……もう……大丈夫……」

 もう嫌でした。部署は別ですが同期としてその活躍を日々聞いていて憧れていた人に、これ以上こんな自分を見られたくありませんでした。

「いや全然大丈夫じゃないじゃん、今日は帰ろう? ねっ?」

「………………はい」

 けれどその言葉に安心してしまって。もう頑張らなくていいんだと、心に纏っていた殻が剥がれ落ちてしまって。

 それより、なにより。

 ここまで最悪な醜態を見せても一歩も引かずにむしろ受け止め、支えてくれる彼女に、もうこの時点で私は、アルコールに浸りきった脳でもハッキリわかるくらい、恋をしていたのです。

「はい、ねんねしよーねー。げーしそうになったら言ってね。バケツ借りてるからいつでもOKだよ」

 ふらついてまともに歩けない私を抱きしめながら、穂村さんはひとまずカラオケに連れて行ってくれました。

 電気を消してくれて、ディスプレイの電源を落としてくれて、スピーカーの音量をゼロにしてくれて。すぐ近くには水があって。空調は丁度いい暖かさで。

 彼女の太ももを枕にして、彼女のコートを布団にして、私にはなんの徳があってこんな幸せを享受しているのかわかりませんでした。

「…………」

「…………」

 時折彼女は、隣の部屋から漏れて聴こえてくる流行りの曲に自身の鼻歌を合わせていました。

 心臓が激しく高鳴って、意識がだんだん明瞭に冴えて、それでも未だアルコールが抜け切っていない私の脳は、行動を最悪なものにシフトします。

「……近江?」

「…………穂村、さん」

 本気で、彼女の唇を奪ってやろうと思っていたのです。めちゃくちゃに襲ってやろうと、本気で思っていたのです。あの赤坂さんが本気で狙っているという噂も思い出してしまって、もう体の制御は利きませんでした。私だって。私にだって。

「ふふ、手のかかる同期だなぁ」

 しかし私は体を上手く動かすことができず、押し倒そうとして失敗。ただ、彼女を抱きしめることしかできませんでした。

「よしよし。よく頑張ったね」

 そんな哀れで愚かな私を、穂村さんはその柔らかい体で抱きしめながら、威嚇する猫をなだめるような手付きで私の頭を撫でてくれたのです。

「うぅ…………」

(好きだ。この人に今抱いている感情のことを、好きと呼ぶんだ。)

 それからの日々は地獄でした。

 尊敬する上司と日に日に仲良くなっていく大好きな人。

 どうにかしないと、何かしないと。

 今まで使ってこなかった思考回路が焦げ付く程思い悩んだ私はやがて、禁則事項を破ることを決意したのです。


×


「あの、穂村さん」

「んー?」

 時間にそこまで余裕はないのでもうちょっと歩く速度を上げたい気持ちと、これ以上早くしたら近江の横っ腹が痛くなってしまうかもしれない葛藤に苛まれている中、彼女は控えめな声で私に問うた。

「穂村さんは……赤坂さんと、どういったご関係なのでしょうか?」

「へっ?」

 視線を合わせれば、研修のときに一生懸命メモを取っていた時と同じ近江の顔。その瞬間脳にピーンと刺激が走り、本日何度目かの『なるほど!』が湧き上がる。

 そうかそうか、そういうことだったのか。近江、赤坂さんのことが……!

 だからちょくちょくご飯に行ってる私から情報収集、及び牽制を……!!

「大丈夫! 安心して! 普通に部下と上司だから!」

「でもあの、赤坂さんのことを……いいな、とか、思ったこととかは……」

「ないないないない! 人としては面白いと思うけど、恋人にしようとかは一切思わないタイプだから!」

「そう、でしたか」

 しまった。好きな人のことをこんな風に言われたら誰だって気分悪いに決まってる。何かフォローを……。

「ええとその、私、近江みたいに静かで真面目な人がタイプだから!」

「へぇ!?」

「あっ、いや、その、変な意味じゃなくて」

「い、いえ、あの、ありがとうございますっ!」

 なんか……変な感じになっちゃった。話題、話題変えないと……!

「というか近江、そんなに細くてよく食べれたね、意外と食欲旺盛だったりする?」

「いえ、その……ホームページを見て覚悟をしていたので……昨日のお昼から何も食べていなかったんです。おかげで腹ペコで「一番やっちゃダメなやつ!」

「わ、わかっていたのですが……今日は、どうしても……」

 赤坂さんのことが気になっていてもたっても……ってことか。なんて健気なんだ……!

 彼女は私の好物に付き合ってくれたというのに……もし、もしもこの、たった一回の過ちで変な肉の付き方したら……あわわわわ。

「近江、私今日ジム行くけど一緒にどう!? その日のカロリー、その日の内に!」

「い、いいんですか!? 穂村さんと……一緒に……ジム……えへへ……」

「良いに決まってるでしょ! 私、近江の恋、応援してるから」

「…………へ?」

 一瞬、キョトンと表情を失った近江は、照れよりも焦りを強く浮かべた。

「違います! 私は、だって「まぁまぁまぁまぁいいのいいのいいの! 皆まで言わんでいい! これからは同期で、ジム友で、ハンバーガー友達バガ友だから! ねっ!」

「そ、それは嬉しいのですが……穂村さん、私は「わっ! 時間ヤバ! 走るよ!」

「は、はい!」

 手を取ると近江はなぜか焦りよりも照れが強い表情を浮かべるも、私に続いて走ってくれた。横っ腹は大丈夫っぽい。

「穂村さん」

「んー?」

 ビルに辿り着いて息を切らしながらエレベーターに向かっている最中、近江は私以上に息を切らしながら、それでも強い瞳で私を見据えて言う。

「……私の恋、応援してくれるんですよね」

「もちろん!」

 恋バナ大好きだし! というか真面目な近江の恋とか……想像しただけでもどかしい。知ってしまった以上、私がきちんとサポートしなくては。

「なら……覚悟してくださいねっ」

「? ……それは、どういう……」

「ほら、遅れちゃいますよ!」

 近江は閉まりかけたエレベーターへ乗り込むため、私が言葉の意味を咀嚼する前に手を引いて走り出す。

 その時見えた横顔は――それはとても懐かしい、二人きりのカラオケで私の下手くそな鼻歌を聴いている時にも浮かべていた――真面目な彼女が時折見せる、はにかみ混じりの笑顔。

「っ……」

 いろんな人にそれを見て欲しい気持ちと、私だけが見ていたい気持ち、そんな不思議な天秤が、ゆっくりと――揺らめき始めた。

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