こどもの日
いわゆるゴールデンウイークである今日。俺は怠惰な時間に目を覚ました。
あれ? いつもなら瀬名が起こしてくれるはずなのに。
不思議に思いながら横を見ると、瀬名は眠っていた。
そして。
彼女が小さくなっていた。
▶ ▶
小さな瀬名は、もぞもぞと起きる。驚愕の視線を向けている俺を、きょとんとして見ている。
「おはよーございます」
「お、おはよう……」
俺と初めて会った小学生のときより小さい。
ひいき目に見ても保育園児くらいだろう。
瀬名は元々小柄だから俺でも抱き上げられるが、それとは比べ物にならないほど小さい。今の瀬名だったら、頭の上に乗せてスキップだってできるだろう。もちろんそんなことするはずないが。とにかくそれくらい小さいのだった。
「しぇんぱー」
最初はどんな鳴き声かと思った。だが、よくよく考えると「先輩」と言っているらしい。ただ、どうしようもなく舌っ足らずなだけで。
小さな瀬名は、控えめなフリルをあしらった白いワンピースを身に纏っている。花の髪飾りは変わらない。
あどけない顔立ち。大きくて丸い瞳に小さく結ばれた口。じっとこちらを見ている。
なんだ……これは?
夢かと思ったが、試しに彼女の両頬に触れてみると、もちもちな感触と高めの子ども体温が伝わってくる。
「せんぱー?」
不思議そうにこちらを見上げてくる、かわいらしい女の子。
幻覚とはとても思えない、明確な現実。
一体どうすればいいんだ? 瀬名はずっと小さなままなのか?
こんなの、打つ手すら思いつかない――そういえば大学に、時間を研究テーマにしている研究会があると聞いたことがある。
なんとも眉唾ものだが、この怪奇現象を前に非現実的も何も言ってられない。
他に方法もないし、とりあえず訪ねて話を聞いてみるか。
「せんぱっ」
瀬名は俺の脚に抱き着いてくる。
「せんぱー、どこにいくんですか?」
「大学だよ。瀬名はちょっとお留守番しててくれな」
「やー! せなをおいていかないでくださいっ」
半泣きになっている。
「お、落ち着けって。置いて行ったりしないよ」
「ほんとですか? せなとずっといっしょにいてくれますか?」
「ああ、だから泣くなって。な?」
小さくなったからか、分離不安があるみたいだ。
こんな幼い子を連れて大学に行くわけにもいかないし、一体どうしたものか。
「せんぱー……」
瀬名はまだ不安げにこちらを見上げていた。
今日行っても、ゴールデンウイーク中で大学に誰もいない確率は高いだろうし、ひとまず一日様子を見てみるか。
「瀬名、今日は一緒に遊ぼうな」
「えへへー」
うれしそうにしている。
「瀬名は何して遊びたい?」
「せんぱーといっしょならなんでもいーです」
彼女は、屈託のない瞳でそう言う。なんていじらしいのだろう。
遊ぶといっても、家には子ども向けのおもちゃがない。
どうしたものか。
俺は瀬名を抱き上げた。
「よーし、高いたかーい」
「きゃっきゃっ」
小さな女の子はあどけない声で持ち上げられている。
こうして抱え上げると、余計に小ささが分かる。いつもの瀬名の半分より少し大きいくらいの背丈だ。
しばらく、ひかえめに揺らしてから、ぽーんと優しくベッドに放り投げる。瀬名は、ぽふんとマットレスの上に転がった。
「せんぱー、もっかいしてほしーです」
すぐに駆け寄ってくるので、俺はもう一度抱き上げる。
「えへへー、たのしいです」
おもちゃがなくても、楽しんでもらえてよかった。
その後も、瀬名と色々な遊びをした。
部屋の中にひとつのものを隠して宝探ししたり、折り紙をしたり。
瀬名はなんとものんびりおっとりした子だった。
口数少なめで、動きもゆったりとしていて、俺の後ろをとことこついて回る。
しばらく遊んだ後、彼女は買い置きのクッキーに目を留める。
「くっきーです」
「うん? 食べたいのか?」
彼女はこくりと頷いた。
「食べていいよ。あ、そうだ。俺お茶淹れるから」
「ありがとーございます」
ぺこりと頭を下げている。やはり瀬名だ。いくつになっても礼儀正しい。
彼女はばりばりと箱を開けて、クッキーをもぐもぐと頬張る。
「くっきーおいしいです」
おやつを食べて満腹になったのか、それとも窓から差し込む光がぽかぽかで気持ちよかったのか。瀬名は窓辺でうとうとし始める。
「すー、すー……」
あどけない寝顔。小動物のような愛くるしさ。
俺はそっとブランケットを掛けた。
▶ ▶
瀬名が目覚めた頃には、外はもう夕方になっていた。
「買い物に行こうと思うんだけど、瀬名も一緒に行くか?」
「いきます」
いつも歩く住宅街も、小さな女の子と一緒だと違って見える。
「せんぱー、てー」
瀬名は右手をひょこひょこ伸ばしてくる。手をつないでほしいらしい。はぐれたら危ないしな。
そっと、その小さな手を握る。
もちろんつないだときの感触も、普段とはまるで違っていた。
「おでかけです」
横を歩く女の子は、どことなく上機嫌だ。
やってきたのは、近所のスーパーだ。
「好きなお菓子何個か持ってきていいよ」
「わーい!」
瀬名はうれしそうな声を上げてお菓子売り場に向かった。
俺は野菜や肉をカゴに入れていく。
そうだな、今日は瀬名が喜びそうな料理にしようか。
そうやって、スーパーのいつも見る売場を回っていくと、
「せんぱー」
市販のお菓子をいくつか胸に抱えて持ってくる。
「じゃあ、これを買おうか」
「えへへー」
帰り道も、手をつないで歩く。瀬名はおとなしく、行儀がいいので苦労することはなかった。
前方から、柴犬を散歩させている人が歩いてくる。
「いぬです」
横の女の子が、しっぽがくるんとなった生きものに目を留める。興味を持ったようだ。
「かわいいわんちゃんですね。ちょっとこの子にさわらせてもらえませんか?」
そう尋ねてみると、飼い主は快く許可してくれた。
いぬをちょんちょん触り出す瀬名。
「ちくちくします」
「瀬名、折角だしもっとわしゃわしゃ撫でたらどうだ?」
「わしゃわしゃ?」
「こうだよ」
俺は見本として柴犬をわしゃわしゃ撫でる。
「くーん」
犬はうれしそうに鳴いて、おなかを見せてくる。
「まぁ、この子ったら」
少し呆れたように笑う飼い主と、目を丸くする瀬名。
花の髪飾りを着けた女の子は、小さな手で犬を撫でまくり始めた。
柴犬はまた嬉しそうに鳴いて、しっぽをぶんぶん振る。
「わしゃわしゃ、すごいです」
▶ ▶
家に帰って、キッチンに立つ。
「瀬名、今日はハンバーグだよ」
そう言うと、小さな女の子はきらきら輝く表情になる。
「はんばーぐ!」
「瀬名もこねるか?」
「こねます」
瀬名はひき肉の塊を、小さな手で一生懸命こねこねする。
その小さい手で作ったハンバーグは、肉団子くらいの大きさしかなかった。
俺と瀬名が作ったハンバーグが、ふたつずつできた。彼女は、ハンバーグがじゅうじゅう焼けるのを見つめている。
「油がはねたら危ないから、瀬名はちょっと離れててくれ」
「はい」
さっと俺の後ろに隠れる。
▶ ▶
瀬名の分のプレートに、瀬名が作った小さいハンバーグと、俺が作った大きいハンバーグをひとつずつ乗せる。
並行して作っていたデミグラスソースと付け合わせのコーン、ポテトをつけたら完成だ。ついでにミネストローネも用意した。
「いただきます」
瀬名は両手を合わせて、小さな口でハンバーグをもぐもぐ食べ始める。
「せんぱー、せなのつくったはんばーぐ、おいしいですか?」
「ああ、おいしいよ。しっかり握ってあるな」
「えへへー」
小さな女の子は、ほころんだ笑顔を見せる。
「せな、せんぱーのためにもっとおりょうり、つくりたいです」
「あはは、ありがとう」
確かに、大きくなったら毎日作っているが。
三つ子の魂百までとはよく言ったものだ。
食事を終えた後も、瀬名はいじらしかった。
「せな、おかたづけします。せんぱーのおてつだい、したいです」
「瀬名はとってもいい子だなぁ」
「えへへー」
とことこと動くお手伝いさんのおかげで、後片付けはいつもより早く終わった。
「せんぱっ」
ようやく一休みした瀬名は、膝の上に乗ってくる。
「せんぱーだいすきっ」
ぽふっと抱き着いてきた。
瀬名のことは小学生の頃から知っている。当時から真面目で優等生で、大人びた子だった。
しかし、こんなに幼い頃からしっかりしていてとってもかしこい良い子だったなんて。
俺がこれくらいのときは、もっと放縦で分別がなかった気がするのに。
「瀬名はとっても良い子だなぁ」
「えへへ、せんぱーによろこんでもらえるなら、せな、もっとがんばります。せんぱーのいうことぜんぶきいて、いっぱいせんぱーのおてつだいします」
あまりにも健気だ。頭を撫でると、ふにゃっとした笑顔になる。
「せんぱー、だっこー」
「よしよし、抱っこだな」
俺はその小さな身体を抱え上げて、ぎゅっとした。
「だっこすきです」
「あはは、いくらでもするよ」
「せんぱーといっしょにいると、とってもたのしいです。せんぱーといっしょなら、あんしんです」
俺の腕の中で、瀬名はあどけない声を漏らす。
「せなとせんぱーは、ずっとずっといっしょですよね?」
屈託のない瞳で、見つめてくる。
「ああ、もちろん」
「えへへー、やくそく、ですよ?」
そうやってしばらく戯れていたが、
「うーん……」
まぶたが重そうだ。そろそろ良い子は寝る時間かもしれない。
「瀬名、そろそろ寝るか?」
「はい」
相変わらずの聞き分けの良さで、瀬名は俺のひざから降りる。
「せんぱー、ごほんよんでください」
「いいよ」
寝る前に本を読んで欲しがるとは、なんてかわいらしいのだろう。そう思っていると、瀬名は俺の本棚から、古典文学の注釈書を持ってくる。
「え、これでいいのか?」
瀬名はこくりとうなずく。
「シンデレラとか、白雪姫とか、うろ覚えだけどある程度は即興で言えるぞ?」
「これがいーです」
俺は瀬名をベッドに寝かせると、首元まで布団を掛ける。
「えー、この場面では、藤壺は伊勢斎宮、光源氏は昔男と非常によく似ているが、和歌の内容からするとむしろ逆で――」
「おもしろいです」
瀬名は真面目に聞いていた。本当にこれでいいのか……?
「せな、せんぱーのすきなごほんがすきです」
興味津々そうに聞いていた小さな女の子は、やがてまぶたの重さに耐えきれず、すやすや寝息を立て始めた。
あどけなくて、いたいけな寝顔。
俺は、起こさない程度に彼女の頭を撫でた。
「むにゃ……せんぱ……」
▶ ▶
夢の世界から現実に引き戻したのは、朝食の匂いだった。
キッチンで、誰かが料理をしている。
寝ぼけ眼でそちらを見ると、見慣れた青いエプロンを着けた小さな背中があった。
いつもの瀬名だった。小さくない。いや、小さいが、精々中学生程度だ。
「せ、瀬名?」
「おはようございます」
「お、おはよう……」
彼女は何事もなかったかのように、ほっけを焼いている。
「瀬名、その、昨日さ……」
そう言うと、花の髪飾りを着けた少女はきょとんとする。
「昨日?」
「いや、えっと、昨日、なんか変わったこととかなかったか?」
「何もなかったと思いますけど……」
「そ、そうか」
覚えていないのか?
それとも、単に俺が夢を見ていただけなのか?
「もう、先輩ったら、寝ぼけているんですか?」
彼女は、また料理に戻る。
カレンダーを見ると、紛れもなく五月六日になっていた。
夢と呼ぶには、一日すっぽり抜けすぎだろう。
顔を洗ってからテレビをつけると、皆原市内の大学生の行方不明者のニュースが流れていた。
「また、か……」
ゴールデンウィーク中だというのに、物騒だ。
俺は気を取り直して、瀬名に声をかける。
「今日、どこかに出かけようか? ちょうどチューリップや菜の花の見頃だろうし」
そう言うと、彼女は太陽のような笑顔を見せる。
「ふふ、いいですね。楽しみです」
結局あの現象がなんだったのかは謎だが、たまにはああいうのも悪くないな、と思った。
ずっと続く日常の中の、たまにだったら。
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