六人のセナ・下


■セナイエローの場合


「お菓子がもらえるんじゃないんですか?」

 リビングに来て早々、セナイエローはバタークッキーをばりばりかじりながら、そんなことを訊いてくる。


「ごめん、お菓子は用意してないんだ」

「先輩、おなかがすきませんか?」

「そこまでは……」


「わたしはおなかがすきました」

 クッキー食べてるのに……。

 イエローはやっぱり腹ぺこ担当らしい。


 キッチンに行ったかと思うと、セナイエローはホットケーキを焼き始める。さすが瀬名というべきか、手際がいい。バターとはちみつを垂らした、あつあつのホットケーキが出来上がる。


「あまあまでおいしいです」

 夢中になって頬張っている。甘いものを食べているときの幸せそうな顔も、まさしく瀬名だった。彼女は俺の分も作ってくれたので、厚意に甘えていただいた。


「おなかいっぱいになると眠たくなります」

 セナイエローは、ソファーにごろんと横になる。なんとも自由だ。セナグリーンを見た後だと安心感すら覚えるが。

 瀬名の中にもこんなに自由でのんびりした性格があるのだと思うと、不思議だった。


「ほかの瀬名は本物が誰か気にしていたけど、セナイエローはいいのか?」

「わたしは、先輩と一緒に甘いものがたくさん食べられれば幸せです」

「じゃあ、セナイエローはあんまり本物探しに頓着してないのか?」


「それは……悩みものです。六人もいると、一人当たりの甘いものの量が減ってしまいます。とはいえ韮沢瀬名は韮沢瀬名なので、みんな甘いものが大好きで譲りません。甘いものの総量が変わらない以上、割に合わない共産主義です」

 一人の方が都合がいい、ということだろう。


「こうなっては、先輩も六人に増えた方が平和なのかもしれませんね。きっと先輩イエローとは気が合います」

 俺が六人いてもしょうがないだろう……。


「わたしたちは先輩が何人いても困らないですよ? 使い道はいくらでもありますから」

 なんだか背筋が寒くなる言い方だった。……大丈夫だよな?


「もしかして先輩も、瀬名が六人いても困りませんか?」

「困らないというか、うーん……」


 なんて言えばいいのだろう、俺としては六人の瀬名の中から取捨選択する意義を感じないのだ。六人は多いし、この狭い部屋にも収まらないのは確かだが。


「……誰も選ばないというのはつまり、誰も幸せにならないということでもあります」

 セナイエローは、突然抱きついてきた。


「せ、瀬名!?」

「でも、わたしたちはきっとそんなあなただから好きなんです」


 それだけ言って黙り込んだと思ったら、気づけば寝息を立てている。手頃な抱きまくらにされたらしい。


 セナイエローは自由な女の子だった。




■セナパピーの場合


 セナパピーの番がやってきた。


「せんぱー」

 白いワンピースを着た女の子は、無邪気に俺のひざの上に乗ってくる。当然だが、普段の韮沢瀬名よりだいぶ軽い。


「えへへ、やっとせんぱいとふたりでお話ができます」

 こちらを見上げて、ぺかーっとした笑顔を浮かべている。


 本当に小さい。瀬名のミニチュア版だ。

 頬は丸くぷにぷにとしていて、声は少し舌足らずであどけない。その上、いたいけにじゃれてくる。


「せんぱーだいすきっ」

「先輩も瀬名が大好きだよ」

「えへへー」

 頭を撫でると、屈託のないまっすぐな笑顔を向けてくる。まさしく子犬のようだ。


 その小さなおなかが、ぺこーと鳴る。

「せな、おなかがすきました」


「あはは、そうだ、さっきセナイエローが焼いたホットケーキが残ってるから、食べるか?」

「いいんですか?」

「ああ、きっとセナイエローだってOKしてくれるはずだよ」

「わーい!」


 ホットケーキを温め直して出すと、小さな口でもぐもぐと頬張っている。

 その幸せそうな顔は、セナイエローとそっくりだった。


「せんぱいといっしょに食べるホットケーキ、とってもおいしいです」

「あはは、おいしく作ってくれたのはセナイエローだろ?」

「そうですけど……いくらすごいパティシエがつくったお菓子でも、せんぱいといっしょじゃないとおいしくないです」


 彼女は、あっという間にたいらげていた。


「…………」

 セナパピーはさっきまで楽しそうにしていたのに、急にうつむいて何も言わなくなる。

「ん? どうしたんだ?」


「せんぱい、せな、にせものですか?」

「偽物じゃないよ。瀬名は瀬名じゃないか」


「でも、ほかのせなは、せながにせものだって言ってました。にせものはいらないって。早くいなくなれって」

「え……」


 もしかして、俺がリビングで瀬名とひとりずつ話している間、寝室でほかの瀬名にいじめられていたのか?

 それはさすがにひど――いや、いじめられこそしないものの、セナブラック辺りに冷たくはされていそうだ。

 瀬名は、瀬名の顔をした人間に冷淡そうだし。


「せな、いなくなった方がいいですか?」

 その大きな瞳の青色が揺らいで、今にも決壊しそうになる。


「だ、大丈夫だよ、瀬名」

「うう……せんぱい、せなを見捨てないでください……せなをおいていかないでください……」

 小さな女の子は、とうとう大泣きし始める。


「ひくっ、せんぱいがいないのは、こわいです。いやです……っ」

 大粒の涙が、白い頬を伝っていく。あどけない子どもが泣いている姿は、否が応でも胸が痛む。


「せんぱい、見捨てないでください……せな、いい子にしてます。言いつけはぜんぶ守ります。だから、ずっと一緒にいてください」


「心配しなくてもいいよ。俺は瀬名のことを見捨てたりしないから」

「ほんとうですか? ずっとずっとせなと一緒にいてくれますか?」

「ああ」


 泣き腫らしたその目を、そっとハンカチで拭う。それでも、きりなく流れ落ちたが。

 随分泣き虫な女の子だ。

「うう……せな、せんぱいがいないとだめなんです……生きていけないんです」


 彼女が泣き止むまで、俺は何度も何度もずっと一緒にいると約束した。


 セナパピーはとても小さくて弱い女の子だった。




■セナブラックの場合


 いよいよラスト、セナブラックの番がやってきた。

 混じりけのない黒髪に添えられた黒い花。白い肌と正反対の、黒いワンピース。瞳は暗く、何の表情も浮かべていない。


「…………」

 彼女は黙り込んだまま、射抜くようにこちらを見ている。


「セナブラックは――」

「先輩」

 細く冷たく、感情がない声だった。


「瀬名と呼んでください」

「わ、わかったよ」

 なんとも調子が狂う。


「瀬名は、選ばれなかった者は消えるだけって言ってたけど――どういうことだ?」

 もしかしてセナブラックは、六人の瀬名が現れた理由について、何か知っているのだろうか。


「簡単な話です。ほかの邪魔なわたしはみんな殺してしまえばいいんです」

「こ、殺すって……」

 予想外の野蛮で物々しい発言に、思わず困惑の声が出てしまう。


「わたしが六人いたって仕方がありません。権利が六倍になるどころか六等分されるだけですし。始末した方が手っ取り早いです」

 セナブラックは思想も言動も過激だった。まさにブラック。一切砂糖もミルクも入れていないコーヒーである。


「そ、そんな物騒なこと言うなよ……」

「物騒? どうしてですか? これが一番確実な方法です」

 何がダメなのか心底わからないといった顔で、彼女は言う。


「いや……俺は、瀬名が殺すところも殺されるところも見たくないし……」

「偽物なんて、どうなってしまっても構わないじゃないですか。あなたの関心や同情が払われるにも値しません」


 自分と全く同じ見た目の人間を五人も殺すことに、一切躊躇はないらしい。

 というか、セナパピーをいじめていたのは十中八九セナブラックだな……。


「偽物じゃなくて、全部瀬名じゃないか。俺は、できればほかの瀬名とも仲良くしてほしいって思うよ」

 彼女は相変わらず表情が剥がれ落ちたまま、こちらをまじまじと見る。


「……どうして」

 思わず聞き逃してしまいそうなほど、微かな言葉だった。だが、空気が明らかに変わった。


「どうしてわたしだけを見てくれないんですか? どうしてわたしだけを選んでくれないんですか? どうしてあなたはいつもそうなんですか?」

 凍りついた声のまま、鬼気迫る雰囲気で詰め寄ってくる黒い少女。


「せ、瀬名……」

「いつもいつもいつもほかの人の話ばかりしてほかの人ばかり見て……わたしはこんなにこんなにあなたのことが大好きなのに。許せない許せない許せない……」

 彼女の両手が、俺のシャツを掴む。

 やばい、これはまずいときの瀬名だ。


「ご、ごめん、瀬名。でも、俺は――」

「あなたの言葉なんて信用できるはずがないでしょう? いつもいつもわたしを裏切るくせに。やっぱりあなたは縛り付けてずっと見張っていないとダメなんです」


 案の定一切話を聞いてくれない。

 まさか、ほとんど同一人物であるほかの瀬名の話をしただけで、こうなるとは思わなかった。


「そうだ……」

 セナブラックは小さくつぶやくと、突然俺を押し倒してくる。


「せ、瀬名!?」

 彼女はなおも冷ややかな目でこちらを見下ろす。こんなにささくれ立っているのに、やはりよく知る石鹸の香りが広がった。


「既成事実を作ってしまえば、あなたはわたしを選ばざるを得ませんよね? 六人もいる瀬名の中で、わたしがたったひとりの特別になれますよね?」


「そ、そんな理由でそんなことをしちゃダメだ! 瀬名のためにならないよ」

「…………」


「ごめん、瀬名を傷つけるようなことを言っちゃって。俺は瀬名のことが大好きだから、瀬名と同じ見た目をしていて、よく似ている女の子たちを、どうでもいいなんて一蹴できないんだ」

 彼女は何も言わなかった。身じろぎもしなかった。俺の言葉が一切響いていないんじゃないかと思うくらいに。


「それに――余計なお世話かもしれないけど、瀬名のことが心配なんだ。瀬名には自分を大事にしてほしいんだよ。人を殺すのだって、そうだ。瀬名は殺人したって何も感じないと思ってるかもしれないけど、きっとどこかが磨り減ってしまう」


 自分と全く同じ外見の人間を殺すなんて、自殺じゃないか。絶対にろくなことにはならない。


「…………」

 彼女は無反応だが、一応聞いてくれているようだ。


 不意に、キスされた。

「…………っ」


「あなたがそこまで言うなら、少しは考えてもいい、です」

 相変わらず、引きずり込まれそうな黒色がこちらを覗いていた。


「あなたがわたしだけを見てくれるのなら、わたしは何もしません」


 セナブラックは危険な女の子だった。




 ▶ ▶




「先輩、六人の瀬名と話してみて、どうでしたか?」

 七人揃ったリビングで、セナピンクは訊いてくる。


「みんな全然違ってたよ。それぞれ個性的で、独立した個人に思えるくらいで」

 部屋の中に広がる緊張感が、こちらにまで伝わってきた。誰が「本物」に選ばれるのか、みんな固唾を呑んでいる。


「でも、どれも本物の瀬名だよ」

「え?」

 六人の瀬名たちは、それぞれ訝しむ。


「ひとりずつ話をしてみてわかった。みんな個性的で、それでいて瀬名だった。だから、取捨選択なんてできない」

 元より「本物」を選ぶつもりもなかったが。


「セナブラックだけでも消してください! こんな危ないの!」

 声を荒らげるセナブルー。


「…………」

 セナブラックは何も言わない。


 確かに危ないが……だからといって消すなんて乱暴すぎる。

「大体、人を殺そうとするから消すって、本末転倒じゃないか。それを突き詰めていけば、最後にはどの瀬名も残らないよ」


 正直見てて怖くなる度合いで言ったらセナグリーンも相当なものだろう。なぜかこの瀬名たちは一切警戒していないようだが。


「セナブラックだって譲歩しようとしてくれてるし、消すとか殺すとか、そんな物騒な話はやめよう」

 彼女の危険性が自然にやわらいでいって薄れるのならまだしも、強引に消すなんて乱暴だ。


「先輩がそう言うなら……」

 瀬名たちは、俺の意見を受け入れてくれるようだった。


 セナグリーンが恐る恐る訊いてくる。

「……先輩は、どの瀬名が好きでしたか?」


 セナブルーも、それに続く。

「ひとりを選ばなくても、好ましいと思った順にランキングにしてほしいです」


「ランキングか……」

 そんなの決められない、というのが正直なところだった。


 どの瀬名も、俺の好きな瀬名を構成する要素だった。危険なところもあるが、それ抜きでは瀬名は瀬名ではないような気がする。


 精巧に作られた時計が好きな人が、時計を歯車や細かな部品に分解して、「どれが好き?」「どの順番で好き?」なんて訊かれても、返答に困るだろう。

 全てのパーツが揃って初めて、時計が完成するのだから。


「じゃあここまでの時間はなんだったんですか?」

「受ける印象に全く違いがないなんてことはあり得ませんよね?」

「ちゃんと答えを聞きたいです」

 やはり瀬名たちは納得が行かないようだ。


「でも……」

 セナパピーが口を開く。

「せんぱいに選んでもらえないよりは、よかった、です」


 部屋の中が、しんと静まり返る。それは、幼い声が的外れなことを言ったというよりも、むしろ的を射たかららしかった。


 各々にとって、選ばれる喜びよりも選ばれないことへの恐れの方が上回ったようだ。

 やがて、俺の選択を受け入れる空気が広がる。


 六対の瞳がこちらに向けられる。

「先輩、これからもずっとずっと一緒にいましょうね」

 同じ声が、同時に六個重なった。




■???の場合


 目を覚ますと、六人いた瀬名はすっかりいなくなっていた。


「先輩、おはようございます」

 代わりに、白い花の髪飾りを着けた女の子がひとり、こちらを見ている。

 艶やかな黒い髪はアシンメトリーなショートカットで、身に纏った丈の長いワンピースは薄い水色。


「ああ、おはよう」

 完全体瀬名にして原初の瀬名。

 いわばスーパーセナといったところか。

 いかんいかん、思考がまだ戦隊もののままになっている。


「昨日瀬名の身に起きたことなんだけどさ――」

「昨日? 何かありましたっけ?」

 何も覚えていないらしい。


「いいや、なんでもない。寝ぼけてたみたいだ」

 俺は慌てて取り繕う。

「そうですか」

 大して気に留めた様子もなく、瀬名は朝食の支度に戻る。


 まっすぐ伸ばした背筋と綺麗な所作は、どこか張り詰めた雰囲気を漂わせている。容貌が精巧に整っているのだから、なおさら。


 しかし、幼い顔立ちと矮躯でどこかあどけない。それでエプロンを着けて、てきぱきと朝食の用意をしているのだから、愛らしさも感じる。こちらに向けるやわらかい表情も含めて。


 やっぱりこの瀬名が一番しっくりくる。

 考えてみれば、こんな小柄な女の子の中に、あんな個性豊かな六人がごった返しているのは不思議だった。


「先輩?」

 じっと見つめられて、瀬名は不思議そうに首をかしげる。


「ああ、ごめん。やっぱり瀬名ってかわいいなって」

 そう言った瞬間、目の前の女の子は真っ赤になる。

「もっ、もう、先輩ったら……」


 なんだったのだろう、あの六人の瀬名は。

 なぜだか、彼女たちはもう出てこない気がした。


 表に出てくるセナの割合が異なるだけで、確かにあの六人は瀬名の中に存在している。どれを失っても瀬名ではない。


 俺がもし、誰かを選んでいたらどうなっていたのだろう。

 まぁ、そんな未来は存在しないので、考えても詮無きことだが。

 そもそも俺は、韮沢瀬名という少女を既に選んでいるのだから。


 試しに頭を撫でてみる。

「なっ……ど、どうしたんですか、先輩」

「いや、ただちょっと撫でたくなって。ダメか?」

「だ、ダメじゃないですけど……」


 瀬名はうつむくが、耳まで赤くなっていることが見て取れる。じっと大人しく撫でられている。

「先輩が撫でたいというのなら、別に、いくらでも……」


 撫でてオーラがすごい。

 さすがに撫でるのは子ども扱いしすぎだと思ってここ数年は自重していたが、その判断は誤りだったらしい。


 普段と何ら変わりなく、朝の支度を済ませる。

 出かけようとすると、瀬名が玄関まで見送ってくれるのもいつもと同じだ。


「先輩」

「ん?」


 彼女が小さく手招きをするので、少し顔を寄せると、

「――――」

 唇を重ねられた。


「……いってらっしゃいの挨拶です」

 頬を染めながら、瀬名はこちらを見つめている。


「あはは、いってきます」

 心配しなくても、俺はずっと瀬名と一緒にいるのに。


 韮沢瀬名は個性豊かでかわいい女の子だった。


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