第9話 結託

 オレ―――道門遊里は、道門家に生まれた次女でありながら、自分のことを男性であると認識している性同一性障害と呼ばれた性質を持つ人間だ。


 物心のついた頃から自分は男だと思っていた。

 姉や妹は至って普通、どちらも女性らしく振る舞って生きているけれど、オレだけはどうしても自分が女だと認めることができないでいたのだ。


 理由なんてわからない。

 認められたいとも思わない。

 ただ単純にオレにとってはそれが当たり前で、揺るがない事実でしかなかった。


 小学生までは周りの目も苦ではなかった。

 男子と遊んでも違和感がないし、男勝りな女子だっていくらでもいた。恋愛とか男女の区別とか、そういう浮ついた事情よりも優先されるものが沢山あった頃だったから。


 けれど、中学に入ってからは一気に変わった。

 好きな人の話になって、女子は当然のように男子の名前を出す。デートの話とか、性行為の話とか―――そんな話題もの、まったくついていけなかった。


 だから、自分が男だと告白するのは怖かった。

 それなりに知識も増えて、それがアブノーマルなのだと理解はしていたから。


 身体は女だし、姉には常に女らしくいろと怒られる。

 妹は逆に男であるオレのことを好いてくれているけれど、それも家の中だけの話。外ではまともな姉妹として振る舞わなければならない。


 今でもあまりよく覚えてはいないのだけれど、中学三年に上がった頃、オレは唐突に自分をさらけ出そうと考えた。

 当然、周りからは忌避され、イジメに近い扱いを受けたこともあったが、それでも後悔はしなかった。むしろ清々しい気持ちでいっぱいだった。ようやくオレはオレとして生きていけるんだ、と。


 ただ耐えられなかったのは、男友達を作ればすぐに彼氏だのと言いふらされ、馬鹿にされること。オレは別に気にしないけれど、友人側はたまったものじゃないだろう。


 それから高校に上がり、周りに理解されないながらも、夢見という友人ができた。中学の頃の反省を活かして男友達は極力作らないつもりだったけれど、アイツはそんなオレの事情を理解した上で友人として振る舞ってくれたのだ。


 きっとアイツはオレのことが好きだったんだと思う。


 身体は女でも中身は男なオレは、その想いには一生かけても応えることはできなかっただろうけど。

 それでも、こんな最低な形で離ればなれになるなんてあまりにも報われない。


 もしもあの時、浦島に止められていなければオレはアイツを救えていたのだろうか。それとも同じようにあの穴へ落ちていたのか。


 わからない。

 けれど、オレは浦島を恨むつもりもない。


 あそこでああやってオレを引き止めたのは、オレのことを気遣ってのことだろうし、それに―――


 あの時の感触が、まだ唇に残っているから。


  ◆◆◆


 ふと目を覚ます。

 ここは戒壇町にある小さな病院。オレと浦島がここへ連れてこられてから二日が経過していた。


 神隠し村の奥、大穴のそばでオレは気絶していたらしい。そこへやってきた竜胆京姫に救出され、浦島と共にオレを山の外まで運び出したそうだ。


 竜胆はジャーナリストだと騙っていたが、その実は警察官だったのだという。

 あの場所へ来ていたのも行方不明になっていた浦島海栗の捜索が目的だった、と。そう説明されてオレは納得したものの、それ以外の事柄についてはまったく信じられないでいた。


 まず、夢見語留という人間がこの世に存在しないということ。

 学校側の提出した生徒名簿にその名前はなく、夢見家すらこの戒壇町に無いという。


 神隠しは消えた人間の存在そのものを消失させるのだと浦島は言っていた。

 伝承の詩にもそれらしい文脈があったし、オレは素直にそういうことなのだと受け止めたが、竜胆はそれらすべてを一蹴した。


 ―――、と。


 ふざけた言葉だ。無責任にも程がある。ちょっと前までは自分で言っていたというのに、いざ他人にそう告げられると反感ばかりが浮かんでくる。


 だっておかしいのだ。竜胆は間違いなくオレと夢見に会っている。なのにそれをオカルトだと、ありえないものだと言い切っているのだから。


 異常な時間経過についてもただの勘違いだと診断された。オレが見たものはすべて幻覚で、夢見語留なんて人間ははじめから存在しないと言うのだ。精神科医なんてアテにならない、とオレは怒り心頭のまま診察を終えた。


 だが、そんなオレの状態がおかしいと踏んだのか、医師は数日の入院、および検査を推奨。警察官である竜胆の口添えもあり、ウチの母親はそれを承諾した。


『きっと疲れてるのよ。今はゆっくり休みなさい、遊里』


 どこか憐れみすら感じさせる口調でそう言った母親の顔が脳裏から離れない。

 これではまるでオレが異常者みたいじゃないか。そんな目でオレを見るな。頼む、やめてくれ。


 そうして昨日、面会に来た竜胆に事情聴取を受けたり、医師のカウンセリングを受けたりして。


 ようやく退院の目処が立ったとのことで、今日の夕方にオレは病院を後にすることになった。


  ◆◆◆


 そうして次の日、月曜日。

 土日が病室のベッドの上で過ぎてしまったことに憂鬱になりながら、オレはいつものように学校へと足を運んでいた。


 教室に入るといつもの感覚。

 女のクセに気持ち悪い、よくわからないから近寄らないでおこう、そういった視線を感じ取りながら。


 そこに、夢見語留がいないことを思い知らされる。


 伝承は本当だった。

 浦島の言っていたことは間違っちゃいなかったんだ。


 オカルトなんてありえない、そう言っていた過去の自分に蹴りを食らわせてやりたくなる。


 ―――ああ、いないんだ、もう。

 いつも騒がしく、けれどキラキラと少年のように輝いた目をして面白おかしい話をしてくれるあの友人は、もういなくなってしまったんだ。


  ◆◆◆


 放課後。

 帰宅部のオレはいつもなら直帰する時間だけれど、今日ばかりはそうも言っていられない。


 あの日、神隠し村での騒動以来、顔を合わせていないに会わなければいけない―――いや、ただ純粋に会いたいと思ったのだ。


 ―――オカルト研究部。

 ひとつ上の三階、その奥にある小さな空き倉庫。そこを部室として借りているらしく、確かに扉にはオカルト研究部と書かれたプレートが掛けられていた。


 この中に浦島海栗はいるのだろうか。

 三年A組だと言っていたので直接クラスまで押しかけても良かったのだが、いちおう先輩なので迷惑になりそうな行為は避けておきたかった。


 すーはー、と軽く深呼吸。

 謎の緊張感に手が震えているものの、ここでじっとしていても仕方がない。勇気を出してノックをするのだ、オレ!


「し、失礼します―――」


 コンコンと扉を叩き、一言。

 すると、すぐさま向こう側から声がした。


「はい、どうぞ?」


 少し声を張ってはいるものの、間違いない。

 この声はあの少女―――浦島海栗のものだ。


「センパイ、オレです。ユウリです。入りますよ?」


 扉に手をかけ、勢いのままに開く。

 しかし、そこにいたのは―――


「……、え?」


 窓際に置かれた椅子の上に、ひとりの少女が座り込んで本を読んでいた。


 セミロングほどの黒髪は枝毛のひとつもないほどに整っていて、本をめくるしなやかな指、スカートから伸びた行儀よく揃えられている白い脚。例えるなら精巧な日本人形だろうか。あまりにも美しく、完成された少女であった。


「ええと、あの……すみません。オレ、浦島センパイに用があるんですけど……知りません?」


「ふふっ。ボクですよ、ユウリ君」


「ああ、そう……って、えええ!?」


 嘘だろ、これがあの浦島センパイだって?

 あの時の少年っぽさはどこにいったんだ。


「これがボクの普段の格好ですし驚かれるのも無理はないかもですね。あの時のアレは変装です。神隠しの条件を満たさないための偽装ってヤツです」


「偽装……なんか気を付けてるとか言ってたけど、そういう……?」


「ええ。それにしてもユウリ君、やっぱりだったんですね?」


 くすりと笑みを浮かべながら、浦島はオレの服装―――女子用の制服へ視線を向けながらそう言った。


「……ああ、うん。中身は男なんで、そう扱って貰えると嬉しいんだけど」


「大丈夫ですよ。ボクも似たようなものですから」


「えっ?」


「ああいえ、ユウリ君のそれとは全然違いますし、ボクのこれは単なるファッションですから、同じだなんて口が裂けても言えませんけどね」


 なんというか、以前とはまるで違う。

 彼女は少年らしい自分を嫌っていたのだと思っていたけれど、実際は別なのだろうか?


「さて、ボクが浦島海栗だと認識して貰えたみたいですし、そろそろコレはやめましょうか」


「やめる……?」


 意味深な言葉を告げると、浦島は椅子から立ち上がり、手に持っていた本を椅子の上に置き、こちらへとゆっくり歩み寄ってくる。


 その所作のひとつひとつが美しくて、オレは思わず見惚れてしまっていた。


 そうして、目の前。

 浦島海栗はオレの手を取ると、それを両手で優しく包み込むように握りしめた。


「ようこそ、オカルト研究部へ。は部長の浦島海栗。アナタがここへ来てくれることを、ずっと待ち望んでおりました」


 まるで別人のような仕草、声色。

 その少女は慈しむように微笑んで、オレのことを見上げていた。


「え、えっと……?」


「―――なぁんて。ふふっ、驚いた?」


「……、は?」


 にやり、と。

 今度は不敵に口元をつり上げて、くだけた口調で彼女は言う。


「アレが全部わたしたちの勘違い? 幻覚? ふざけるのもいい加減にして欲しいよね。そう思わない?」


「え、あの……センパイ?」


「あーそれ。確かにわたしは先輩だけど、その呼び方はあんまり好きじゃないんだよね。わたしが名前で呼んでるんだから、これからはわたしのことも名前で呼んで欲しいな」


 急に性格が一変したことに驚きを通り越して唖然とするしかないオレをよそに、彼女―――浦島海栗は怒っているのか喜んでいるのかよくわからない調子で、


「わたしたちは確かに超常現象と立ち合った。警察がなんと言おうが、医者がどんな診察をしようが関係ない。二人で確かめたものがすべて無かったことにされるなんて、そんなの理不尽にも程がある! そうでしょう、ユウリ君?」


「あ……ああ、うん。そうだな……?」


「なんで疑問形なのかなあ……まあいいか。わたしたちは間違ってない。だって二人とも覚えているんだもの。ユウリ君、忘れていないよね? ちゃんと覚えてる?」


「……忘れてない、覚えてる。夢見のことは、絶対に忘れないよ」


 オレがそう答えると、浦島は満足げに頷く。


「それなら真相を究明しましょう! わたしたちは他の何でもない、オカルト研究部なのですから!」


 先程までの物静かそうな雰囲気はどこへやら、浦島は声を張り上げてそんなことを高らかに宣言した。


 オレはそんな彼女の勢いに気圧されながらも、ひとつの疑問点にぶち当たる。


「……って、え? オカルト研究部? オレも?」


「うん、そう。わたしたちはもはや運命共同体。だったらユウリ君だってオカ研に入るしかないでしょ? あ、コレが入部届けね!」


「いやいやいや! オレは別に―――」


 ぎゅむっ、と。

 さっきからずっと握られていた手に思いきり力が込められる。


「入るよね?」


「強引だなあオイ! てかセンパイってそういうキャラだったワケ!?」


「見た目美少女のクセに男の子な人に言われたくありませーん! わたしより可愛いなんて許せないけど、まあそれ以外は別に問題ないから許容範囲かな?」


 今の浦島ならオレよりよっぽと可愛いと思うんだけど、下手に口にすると火に油を注ぎかねないのでやめておく。


「それとも、ボクと一緒に部活動するのはイヤですか……?」


「今更バレバレの演技してもおせーよ! ああもう、わかったわかった! 入ればいいんだろ!」


 オレはヤケクソになりながら浦島の取り出した入部届を奪い取る。


「ユウリ君……」


「な、なんだよ?」


「わたしたち、最高のパートナーになれる気がする!」


「はあーーーー!?!?」


 ―――とまあ、そんなこんなで。

 オレは半ば無理やりながらもオカルト研究部に所属することとなった。


 オカルトなんてありえない、そう言っていた自分はもういない。

 いや、今でも否定したくなる気持ちは残っているけれど、それは心の奥にしまい込んでおくとする。


 この身で体験した現象を解明するまでは、絶対に。


 これがオレたちの始まりの物語。

 オカルト研究部が本当の意味で活動をスタートさせた、記念すべき第一歩だ。

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