ネガティヴ・カンフィデンス

naka-motoo

うつ向きの・自信

 わたしはポジティブ・シンキングを悪いことだとは思わない。

 ということは、いいことだとも思わない。


 顔を上げて生きようと普通の人間ならば思うよ、それは。だって、視界を開かないと色んなものにぶつかるから。車とか、棒とか。


 けれども強制的にうつむいて歩かないといけない子はどうすればいいのかなあ。

 いじめに遭ってる子とか。


 わたしはどんな理由があろうとも人の後頭部をはたく人間を信用しない。

 積極的に唾棄する。

 

 だって、恩人に縁の深いおばあさんはこう言った。


「子供を叱る時、決して頭だけははたいちゃダメだぞいね」


 体罰がダメっていうわけじゃないんだ。

 このおばあさんはどうしても改心しない子はお尻を叩きなさい、って教えてくれたから。

 もっと言うと、顔をぶん殴る、っていうのも場合によってはアリかもしれない。


 少なくとも、頭をはたくよりは遥かにホンキで改心してもらいたいって思いはあるかもしれない。時と場合によりけりだけれども。


 でも、後頭部をはたくその行為にはさ。

 侮辱しかない。


 さてさて、物心ついた時から後頭部をはたかれ続けうつむき続けてアスファルトの少しキラキラしたガラス粒子のような小石が混ざった光を、ああきれいだなあ、と思うしかなく生きてきた子たちはさ。


 そんなもん、前向けるわけないよね。


 いや、無理矢理顎をわしづかんで、ぐいぐいぐいっ、て顔を上げさせることはできるかもしれないけど、そんなの後頭部をはたくことを下から上に力の作用の方向を変えてやってるだけだからね。


 だからダメなんだ、ポジティブ・シンキングかぶれは。


 こういう歌を知ってる?


なるかんにんはたれもする

ならぬかんにんするのこそ

まことのかんにんとみなさんよ

とかくこの世はかんにん土

忠孝の二字もかんにんよ

かんにんすれば智恵すぐれ

かんにんするひと慈悲ふかし

念仏称えてかんにんし

老若男女もろともに

慈悲の世界で暮らしましょう

なさけの中でおくりましょう


 うつむいた世界を時折でもいいから見ようとしないひとには、『かんにん』という概念は永遠に湧かない。


 でも、うつむいた子たちがそれでも前の方向にとりあえずは推進するココロを持てるのかなあ?


 持てるよ。


 う

 つ

 む

 き

 そ

 の

 ものがさ、最上の努力だからさ。


 キミは誰かに後頭部をはたかれて、その侮辱をもかんにんし、悲しみをもかんにんし、そのうえはたく相手を殺さずにいてあげるっていう決していじめる子たちには何回生まれ変わろうともできないかんにんをすでにやってきたんだから。

 これからキミがどんなに傍若無人に過ごそうともその功徳は絶対に消えない、って思うよ。


 さあ


 やりなよ


 今までキミは『ならぬかんにん』を物心ついた時からし続けてきたんだから


 わたしの場合はそのかんにんの蓄熱で溜まったマグマを小説やエッセイにねじ込んだよ


 昇華なんてありきたりなものじゃないんだよ


 ぶちまけるんだよ


 仮にその、ドロ、っとしたマグマが、噴火の形を取らずに液ダレ状態でもなんでもいいんだよ


 キミのココロの形を、そのまんま、ドン!、って押し出せばいいんだ


 保証するよ


 自信満々にさあ!



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