願い


 朝が来た。なんと言うこともない朝だ。昨日の出来事の後、彼女は部屋着に着替え直して速攻で寝た。驚くほどの快眠の後夢から引き摺り出された彼女は、現在時刻を確認して絶望していた。

 8:00:47秒

 まだ遅刻ではないが今出たところで遅刻は確定の時間だ。皆勤賞は残念ながら手元に来る事はないだろう。今出ると1時間目の終わり辺りで学校に着く事になる。この際休んでもいいのでは?と言う思考が彼女の中に駆け巡るが、残念ながら彼女は一回の授業の重要性を理解していた。

「(どうせ遅刻するなら少しゆっくり行こう。...疲れた)」

 彼女は自身の部屋を出て階段を降りていく。1年前に越してきたこの家は多少古いものの一部屋だけ二階にある少し謎のあるマンションだった。外見と内装のギャップは建主と現持主の趣味の違いが現れている。

 机の上には『食べたら学校行きなさい』と言う文面と軽めの朝食。席に着いた彼女はまず目の前のトーストを眺めた。バターも何もない焼いた食パン。一回溜息をついた彼女は洗面所に行き手を洗おうとする。そこで彼女は剥がれかけているファンデーションテープに気付いた。

 彼女は傷が隠れるようにそそくさと化粧を始める。顔にある傷自体は体ほど酷くは無いため隠せる程度のものだが体の傷はそうもいかない。昨日は夜だった為顔だけファンデーションテープで隠していた。体の方は酷すぎる為隠すしか無いのだがあまりにも広範囲なので時間と金がかかってしまう。なので彼女はその傷は服で覆い隠すことしかできなかった。

 傷を隠し終えた彼女はもう一度手を洗いトーストに立ち向かう。所々焦げている食パンは適当の産物なのか不器用の結果なのか地味な嫌がらせなのかという三択の中で、明らかな不器用を暗示させていた。彼女はトーストに齧り付く。焦げの微妙な味と小麦粉の芳醇な香りは大したことの無い味を醸し出し彼女は三分とかからずそのトーストを胃袋に仕舞い込んだ。

 制服に着替え終えた彼女は置き勉常習犯特有の軽すぎる鞄を持って外に出た。轟音と光、雫を受け止める地面と水流を飲み込み続ける排水溝の音。外は豪雨だった。トッピングに雷もついている。こんな状態で両親はどうやって会社に行ったのか気になっている浦崎であった。一度ドアを閉じてもう一度開ける。景色は変わっていない。強風が荒れ狂い変態的なスカート捲りを行う。風神様渾身の行為は残念ながら成功はせず、リビングに戻った彼女がテレビをつけると大雨・雷・暴風警報がしっかりと記されていた。それと同時に彼女は携帯電話で学校のホームページを調べる。

 そこには臨時休校という文字がはっきりと書かれていた。一年前のものではない。明らかに今年の今日の早朝に出されたものだ。こうして皆勤賞は守られた。この明らかな幸運に彼女は今年はじめての神への感謝とやらをしてみる。残念ながら浦崎は聖人ではないので神様の声とやらは聞こえなかった。


 10:04:08

 浦崎は傘を差して外を歩いていた。雨が少し強い程度に弱まったので警報は解除され、昼ご飯を調達すべく彼女はコンビニに向かっているのだ。

「(何買おうかな?グラタンはもう飽きたしサンドイッチ程度で済ます感じでもないし...パスタは微妙か)」

 コンビニ飯制覇済みの人間からするとラインナップが多いのも困りものだった。雨が跳ね微妙に靴下が濡れていく。彼女は制服のままだった。何故ならわざわざコンビニに行くだけで私服に着替えるのも癪なだけだからだ。靴が沈没する頃、彼女はやっとコンビニに着いた。傘を下ろし盗まれないようにそのまま手に持って中に入る。全国的に有名なメロディーが流れ、大学生くらいのやる気皆無な店員の弱気な「いらっしゃっあせー」を聴きながらで彼女は店の中に入った。

 店内に人はおらず貸切状態。彼女は全く減っていない棚の前に立ち考えを巡らせる。

「(サンドイッチしかないじゃん)」

 そう。棚には一面サンドイッチ。パスタやグラタン、牛丼やハンバーグと言ったものは棚の隅の隅に追いやられていた。発注ミスなのか意図的にやっているのか、浦崎はどちらなのかわからなかった。弁当系の種類よりサンドイッチの種類の選択肢が多い。ランダムで選んだとしてもサンドイッチを選ぶ可能性が高いのだ。

 であるからこそ、彼女は端に追いやられたハンバーグを選択した。ここにありハンバーグはデミグラスソースハンバーグ弁当の一種類のみ。これだけ種類が多いならレア度が高い方を選んだ方が特に決まっている。そんな陳腐かつ浅はかな考え方は、書いてある賞味期限で吹っ飛んだ。


 二日前の賞味期限の表示がある食べ物を置いているコンビニとは如何なものか。そう思いながら浦崎はハンバーグをそっと置き、結局は安定の三種類入ったサンドイッチと卵とハムのサンドイッチを持ってレジに直行した。やる気のない店員のやる気のない対応でサンドイッチを買った彼女はそのまま外に出て行く。

 傘が開いて飛び散った雫が雨に混ざる。傘を差しながら外に踏み出した彼女の耳に、ビニールと水滴が不規則かつ連続的に衝突する音が侵入していく。

 彼女はもうこの音が嫌いではなかった。


 彼女は携帯をしまいサンドイッチを食す為、手を洗いにキッチンに向かう。洗面台かキッチンか、どっちでも良いなら近い方がよかった。蛇口を押し上げて出た水の先には洗っていない食器類が積み重なっている。

「(面倒で洗ってないパターンかな?別になんでもいいけど)」

 彼女はスポンジを持ってそこに洗剤をつける。米を綺麗に食べない母親の茶碗には大量の干涸びた米が付いていた。

「(面倒臭い...)」

 茶碗一杯に水を入れそのまま放置、そしてお椀や小皿などの食器類へ狙いを定める。マヨネーズと鮭の切り身のカスが付いている皿二つと微妙にわかめが付いているお椀を確実に洗う。米をふやけさせた茶碗を洗い全てを拭いて終了。一仕事終えた彼女は自分の手を見ながらハッと思い出す。

「あ...サンドイッチ食べてない」

 何の為にここまで来たのか。ふやけた手指を拭き彼女は今度こそサンドイッチを食す。

「いただきます」

 まずは定番、卵とハムから頂く。綺麗に切り分けられたパンの間に入っている潰れた卵とハムの味がいつも通りに美味しい。あっという間に一個目を食べ終わり次は三種のサンドイッチに相対した。

 開けた瞬間にツナとマヨと卵の匂いが鼻を覆う。正直ツナはあまり好きではないが嫌いというわけでも無かった。。サンドイッチに好かれていないのか、彼女の手はツナで汚れている。袋を捨てた浦崎はもう一度手を洗いに行った。







 2:01:35

 浦崎千花は人気のない世界を歩いていた。現実味のない現実を内包する世界を、現実ではどれくらいの人がその事象を現実と認識しているのだろうか。彼女はその一つの疑問に、恐らく合致する答えを持っていた。日本では古来より、突然人が消える現象を『神隠し』と呼んでいた。物怪もののけが連れ去ったのか或いは異界へと足を運んだのか、その神隠しに該当する現象を彼女は今、体験しているのだ。神隠しから戻る人間もいたという。つまりここ《隠され》から脱する方法もある筈であった。しかし、そんな方法を彼女は知っている訳もなかった。


 雨風は吹かず、雷鳴は轟かず、異様に気持ち悪い世界はどこまでも動かない。あの男はどこにいるだろうか。異様な世界で戦っていたあの外国人の男は。いなかったらいなかったで困ることは無い。だがいないとなるとあの《教会》という宗教団体が襲ってきた時に困ることが起こる。その為にもまずはあの男を探し出すのが浦崎にとっての最優先事項だった。

 植物というのは動いていない時あまりにも非生物染みている。それを感じながら彼女はあの男と最後にあった公園にたどり着いた。破壊された筈の水飲み場は見る影も無く元通りで、まるで少年少女達がいないだけの普通の公園の様だった。

 そして、そこにいたのはあの男、エドワードというイギリス人でなく、薄氷の様な服を纏った2人の少年だった。ある程度幼いと同時に冷え切った青い眼、そして似た顔立ちが双子だと彼女に想像させる。異国の顔立ちにエドワードを思い出し少し警戒を緩める彼女ではあったが、そんな甘えも彼らの会話で握り潰された。

「あれだっけ?」

「うん確かにあれだ」

「『雲』と『霧』の報告通りだね」

「エドさんも随分酷いことをするね」

「そうだね」

「でもまぁ...」

「取り敢えず...」

「「殺しとこうか」」

 その一言を聞いた途端、彼女は即座に背を向けて走り出した。体は自身の背中に羽が生えたかのように軽い。角を曲がりまた曲がる。宗教勧誘の男から逃げた時よりも速く、ずっと速く、彼女は双子を振り切った。

「(追ってこない?追う必要がない?殺すなら追う筈。そもそも誰?エドさんってエドワードさんのこと?知り合い?どこの組織?)」

 彼女にわかるのはあの双子は自身を殺害しようとしていること。それだけだった。走る。ただ走る。自分では対処はできない。だから逃げ続ける。いない人間に期待はしない。1時間逃げ切ることが最善。そう思っている彼女は、ただ足の筋肉を動かし続けた。


 その場にいない人間、アインザックはその様子を遠目から見ていた。遠視系の能力はないが見える距離を保ちつつ様子を洞察する事は彼にはできる。あの双子は未だ彼ら自身恨んでいるだろうか?そんな一時の疑問よりも、今はあの新しく隠された若い娘、浦崎千花をどうするかで悩んでいた。ここであの二人を相手にして生き残る、ましてや足手纏いの人間を庇いながら戦う事のリスクを彼は経験から十分に理解している。否、理解しているはずだった。しかし頭で理解していようとも、心情を取ることがあるのが人の常だった。今まさに殺されかけている女性を前に、彼は、大切な人の、大切だった人の言葉を思い出す。

『私はあなたに救われました。あなたは私の心を溶かしてくれました。氷を砕くように、私の心を暖めてくれました。もし、もう一度、私を見かけたら、その時はお願いします。私が愛した、私を愛してくれた人は、きっと、その人を救えると、信じています』


 その願い呪いを胸に、その場にいなかった男は、


 動き出す。




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26時に可憐に踊る 荒峰 @fallezy

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