朝がずっと続く世界と続けられない世界

常世田健人

朝がずっと続く世界と続けられない世界

「おはよう」

 目が覚めてリビングに行き、両親にこの一言を発するのが一日の始まりだ。

 時計を見ると、午前七時半。

 良かった、何とか起きることが出来た。

 ――窓の外を眺めると、太陽が明るく輝いている。

 ――昨日寝る時と同じ光景だった。

 太陽が常時出ているせいで、朝起きれるかどうかは目覚ましの音しか頼りにならない。

 雲が広がって雨が降る時は若干暗くなるが、太陽は出続けているため真っ暗闇になってしまうということは無かった。

「行ってきます」

 朝食を終えると、制服に着替えて家を出た。

 早起きが出来たおかげで高校に着くまでかなり時間がある。

 ゆっくり行くかと思い歩くことにした。

 二十分程度歩けば校門にたどり着ける距離感だ。

 歩きながら風景を見渡す。

 通学路の序盤は川沿いの堤防だ。左を向けば川が流れ、右を見れば畑が見える。まさに田舎の風景としか言えなかったが、僕はこの風景が好きだった。

 気持ちの良い風を感じながら歩く。

 周囲には誰も居ない。

 堤防沿いのため車道ではあるのだが時間帯もあってから車一つ走っていない。ゆっくり歩いていると――僕が生まれた時から変わっていない看板を見かけた。

 そこには、赤い文字ででかでかとこう書かれている。

『裏の世界の住民を許すな!』

 黒い背景に白く人の輪郭が描かれている。

 その上に、物騒な文字が書かれているんだ。

「何度見ても嫌だなぁ……」

 呟きながら、小学校の頃に社会科で教わった基礎知識をぼんやりと思いだす。

 ――この世界は、二つに分かれている。

 表の世界と裏の世界。

 表の世界は常時陽が昇っていて明るい。――僕が今歩いている世界だ。

 裏の世界は常時陽が昇らないため暗い。――僕が今歩いている下側だ。

 今はほとんど交わることが無いが、遥か昔はどの人たちがどちらに住むか戦争が起こったらしい。

そんな諍いがあった後、今、こうして僕は表の世界に住んでいる。

 裏の世界はどんな感じなんだろうと思う。

 ずっと暗いということは、僕が当たり前のように見ている植物が全く育たないということなのだろうか。常時暗いのならばそこに適した植物が猛威を振るうのだろうか。

行ったことが無いからわからない。

 行き方は社会科の授業で習った。表と裏の世界が完全に断絶されたわけではないため、生き方はある。

 社会科の授業曰く――王室にあるような荘厳な茶色い扉が突如現れるらしい。

 現れたとしても絶対に近づかないようにという注意喚起のための授業だった。そんなこと言われなくてもわざわざ裏の世界に行こうなんていう輩はいないだろうと思うけど、そういう例が過去に会ったからこその注意喚起なのだろう。

 大体、生まれてこの方、そんな扉に出会ったことが無い。

 教科書に掲載されていた扉――そういえば、ぼんやりとしか覚えていないかもしれない。

「どんな扉だったっけ……」

 俯きながらぶつぶつと呟くと、何かにぶつかってしまった。

 思わず顔を上げると、目の前に扉があった。

「そうそう、こんな感じの扉……って、え?」

 反射的に二度見をしたが、あるはずのない場所に、成人男性が一人通れそうな茶色の扉がそこに存在していた。瞬きを何度しても、そこにある。

 裏の世界に繋がる扉がある。

「……本当に、実在したんだ」

 距離をとりながらその扉を三百六十度観察した。

 全面は金色の丸いドアノブがついている。

 ドアの厚みはそれほどなく、裏側を見るとそちらにはドアノブが無かった。

「となると、こっちがドアの入り口なのか……」

 じろじろ見てしまう。

 社会科の授業に今更ながら感謝していた。何の知識も無ければ、こんなものが現れた時点で興味がそそられてしまう。怖いもの見たさにドアノブを回してみたくなるほどだ。

「駄目だ駄目だ、見て見ぬふりをしないと」

 触らぬ神に祟りなし。

 とっととと退散して高校に向かおうとした――その時だった。

 ドアノブが、回った。

「へ」

 一言発して反応するだけが限界だった。

 ――僕はこの時、すぐに逃げるべきだったんだ。

 ――けれども、扉の前に立ち尽くしてしまった。

 何が起ころうとしているのか、見届けたくなってしまった。

 ドアノブが回ったということは――扉を開くことが出来るようになっている。

 僕は一切合切触れていない。

 ということは、つまり――「扉の先に、人がいる」

 呟いた直後、扉が僕の方向に開いた。

 その中から、白い何かが出来てきた。

 思い起こされたのは――毎日見ている看板だ。

 白い輪郭。

 そうだ、これは、人だ。

 白い装束に身を包んだ人が、ばたりとこちらに倒れこんできた。

 この人は誰か。

 決まっている――裏側の世界の住人だ。

 だが、裏とか表とか、関係なかった。

 人が倒れている。

 そうならば、助けないといけない。

「だ、大丈夫ですか!」

「うぅ……」

 思いっきり顔から倒れこんでしまったため、顔を抑えている。 

 その女性は見た感じ僕よりも年上だった。顔は見えていないけれど、漏れ出た声と僕よりも高い身長から把握するしかない。また、褐色の髪をショートカットにしている点と――ほのかに香る匂いからわかった。

 どう考えても、お酒の匂いだった。

 この女性、酔っている。

 それゆえに表の世界への扉を開いてしまったのだろう。

「私、何を……」

 女性は痛み故に顔を抑えていた両手を離そうとする。

「両手、離さない方が良いです!」

「え、何で」

「良いから!」

 今この両手を離すと日光に両目をやられてしまうだろう。それだけは避けたほうが良い。

「あれ、ちょっと待って、ここどこ」

 女性は徐々に冷静さを取り戻してきたらしい。

「貴女が住んでいた世界とは違う世界です!」

「どういうこと?」

「貴女、扉から出てきたんですよ! 表と裏の世界が繋がる扉から!」

「……今何時?」

「朝八時です、こちらの世界換算ですが!」

「やっば、会社に遅刻する!」

「でしょうね!」

 駄目だ、酔っ払いと話していても埒が明かない。

 とにかくこの女性を裏の世界に戻さなければと思い扉を見ると――消えかかっていた。

 開かれた扉の向こうは暗闇が広がっており、その暗闇も薄くなってしまう。

 この扉は突如現れて、突如消えるのか!

「やばいです、早く扉に戻ってください!」

「確かに、このままだと会社に遅刻する……でも、朝まで飲んで酔った状態で行くのも良いのだろうか……」

「良いから!」

 扉に押し込んだ瞬間、勢いがつきすぎてしまった。

 僕も、前方に転んでしまう。

「えっ!」

 叫んでも、もう、遅い。

 女性と僕が行く先は――扉の向こうの暗闇だった。

 先ほど見た扉の横幅から考えるとはじかれるのかと思ったが、女性と僕は思いっきり扉の向こうの暗闇に入ってしまった。あの横幅は便宜上のもので、この扉は異世界に通じているようなものなのだろう。

「やばい!」と思った直後、暗闇に包まれてしまった。

 先ほどまで感じられていた明りが、無い。

 恐る恐る後ろを見ると、先ほどまでのんきに歩いていた世界が見えなかった。

「どうしよう……」

 完全に閉じ込められたのだろうか。

 何も見えないまま立ち上がり手探りでその場を歩いてみると、見えない壁にぶつかった。

 その壁を伝っていくとまた壁がある。

 どうやらこの壁は直方体の様になっているらしい。

 例えるならば――「エレベーターだよ」

 女性の声が床から聞こえた。

 未だに横になりながら、彼女は説明を続けてくれる。

「動いている感覚は無いだろうけど、もう少ししたら私が居た世界にたどり着くよ。この扉がどこに出現するかはわからなくても、ひとまずこの扉の中に居れば、重力縦横調整しながら自動的に再度君の世界に向かうから大丈夫」

「そ、そうなんですか……」

「あー、社会科の授業で聞いたことはあったけども、扉の向こうはこんなことになっているのかー。どこに行っちゃうんだろう、面倒くさいなぁー」

 女性はけだるげな声を僕に浴びせる。酔っぱらいを沈めたかったがあいにくバッグを表の世界に置いて行ってしまったらしく、女性も何も持っていないため、このまま裏の世界に行くのをひたすら待つしかなかった。

「しっかし、私が住んでる世界とは違う世界、折角だから一度見たかったなぁ」

「……そうですか」

「君はそう思わないの?」

「思う訳ないでしょう」

 僕が向かうのは、暗闇の世界だ。

 それこそ、今僕が居る場所みたいな世界。

 そんな世界、見ようと思わないし、見ようと思っても物理的に見えない。

「君の世界では、私が居た世界とはどんな歴史があったって言われているの?」

「……戦争があったとか、色々いざこざがあったとか」

「なーんだ、同じだね。私の世界でもそう伝えられているよ」

「違う世界の僕を、怖くは無いんですか」

「それはそっくりそのまま返せるでしょう」

 ぐうの音も出なかった。

 少なくともこちら側の意見を言うと――「酔っぱらいを怖がるなんてことはありません」

「いやー、その価値観は良くないね。酔っぱらい、怖いよ。簡単に職場に遅刻してしまう」

「それは何とかしましょうよ」

「この扉が運良く会社の近くに出現すれば良いけど、まあ流石にそんな奇跡は無いでしょう」

「そうですか」

 ここで僕と彼女の会話は一瞬途切れた。

 けれども全く気まずさは無かった。そもそも彼女の姿は見えないし、僕の姿も彼女から見えていない。

 目に見える情報が何もない中で、気まずさなんて感じるわけがない。

「君はさ、私の世界に来たいっていう欲求があったりするの?」

 ぽつりと、女性から声が聞こえた。

 考えるまでもない。

「そんな欲求、無いですよ」

「へぇ。あると思ってた」

「貴女はどうなんですか」

「……そうだねえ、全く無いって言ったら、嘘になるかな」

 先ほどまで聞こえていた位置から若干上がった。ただ僕の目線より高くはないため、どうやら体操座りをしたようだった。

「全く違う世界があって、行ける方法があるのなら――違う人生を歩めるかもしれないってなったら、ちょっとは考えちゃうのが普通じゃないかな」

「……貴女はそうでしょうね」

 裏の世界では表の世界をどのように表現されているのかはわからないが、太陽の陽がある時点で素晴らしい世界と言えるだろう。

 ――僕が逆の立場だったらどう思うだろうか。

 もし、表の世界が暗闇で、裏の世界には陽の光があるとなっていたら。

「……違う世界に行くのは、正直、怖いです」

「あはは。真っ当な感性だよ。それで良いと思う」

「貴女は、違うんですよね」

「……君、今、何歳?」

「十五歳です」

「じゃあ高校生くらいか。うん、そのくらいの年齢なら、違う世界に行きたいなんて思わないだろね」

 女性は、達観したような声色で、言葉を紡ぐ。

「私はさ、今年社会人として働きだしたんだ。でもどうにもこうにも上手くいかなくて、やけ酒しちゃったりして、今こうして会社に遅刻しかけてる」

「……自業自得としか思えないのですが」

「後半二つのつながりはそうだね。でも、一番最初の部分がどうにかなれば、うん、やけ酒する必要もなくなるんだけどなぁ……」

 表と裏なんて関係なく、女性は苦しんでいる様だった。

 確かに僕は、両親に支えられて、高校生として日々学ぶ生活を続けている。

 授業で教えられたことを絶対として、教養を身に着けている。

 自分で金銭を稼ぎ、生計を立てている訳ではない。

 僕も、社会人になって、働く大変さを感じたら――裏の世界に行ってみたいと思うのだろうか。

 わからない。

 だからこそ、ただ教わるだけではなく、色々なことを自ら知りたいと思った。

「ねえ。君の世界の良いところ、教えてよ」

 女性は明るく問いかける。

「良いですよ。その代わり、貴女の世界の良いところを教えてください」

「えへへ。良いよ」

 そうして語り合おうとした――瞬間だった。

 ゴウン、という音が後方からした。

 瞬間、空間が明るくなった。

 女性の姿も見える。いつの間にか再度横になり、涅槃像の体勢をとっていた。どんだけ楽をしたいんだ、この人は。

「お。着いたみたいだね」

 何の音かわからないまま音がした方を振り向くと――金色のドアノブが見えた。

 このドアノブをひねると、裏の世界にたどり着く。

 ――なんということだろう。

 僕は、思いっきりひねってみたくなっていた。

 社会科の授業で恐ろしいところという印象が根付いている。

 でも、その住人である女性は、全然怖くなかった。

 目の前に広がる暗闇とやらも、見てみたい。

 胸に生まれてしまった衝動が抑えられない。

 金色のドアノブに手をかけた。ひんやりしている。

「いや、君、扉を開かない方が良いよ」

「何でですか。見てみたいんです、貴女の世界を」

「やめておいた方が……」

「確かに見えないかもしれません。でも、この扉を開くだけで違う世界に触れられるならば、開きたい! それは、貴女もそうでしょう!」

「……私、責任取れないよ?」

「言われるまでも無いです。責任は、僕が取る!」

 扉を開いたその先には――


 白い世界が、広がっていた。


「ッ!」

 白かった。白色以外何も見えないし、見ていられない。

 それゆえに一瞬で目を閉じるしかなかった。目を閉じていても白色が襲い掛かってくるため、両手で顔を覆う。皮肉にも、先ほどまでの女性と同じ体勢になってしまう。

「ほら、言ったじゃんか」

 女性は軽やかに呟き、ひょいと僕の横を通った。

 嘘だろ。

 何でこんな世界を、平然と歩けるんだ。

「おおおおおお、凄い、会社前だ! ありがとう! 君のおかげかわからないけど、遅刻しないで済む! 水全力で飲んで酔いを覚ますよ!」

「何が、どうなって……」

 何もわからない、何も見えない。

 扉の先に行けない。

 戸惑うしかない僕に、彼女はこんな一言を告げた。

「そりゃそうでしょう。君の世界よりも大きい太陽がずっと昇ってるんだから」

 ――ああ。

 ――その一言で、全て、悟ってしまった。

 教科書や授業なんかで大人から伝えられる情報なんてあてにならない。

 実際に体験してみないと、本当かどうかなんてわからない。

 僕の世界の大人たちは――見栄を張っていた。

 それに気づけて良かったのだろう。

 この事実を知れて、嬉しかった。

 飛び込んでみて良かった。

 何事も経験だと思いつつ――やはり目は開けられない中――彼女は、こう言った。

「ようこそ、表の世界へ」

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