二十七 顔
無流は和美と、北原を手伝い、掛け軸以外の美術品を画廊に持ち帰った。和美はそのまま、愛子に付き添って帰宅した。
北原は電話で件の執事、
「話は進みました?」
「なんとも言えないですね。汲田さん夫妻にも、週明けに研究室で掛け軸を見てもらうように、津寺先生にも頼んできました。何か思い出すといいんですが」
前掛けをする北原の横顔は、まだ不安げだ。
「住職には、和美が都合を聞いてくれるそうだ。多分、月曜に会える」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
無流には、気になることがある。
「北原さんは、お父さん似?」
鍋に刻んだ野菜を順序良く入れながら、煮物の味見をする北原にそっと問いかける。
「いえ。父親とは、あまり似ていないんです。父方の亡くなった祖母に似ていると、よく言われます」
「お父さんは入婿ですか」
「ええ」
「
「ええ。そのようです。彼は病死しましたから、直接会ったことはありませんけどね」
不思議そうにする北原に、聴取をしている気分になる。
申し訳ないが、まだ少し聞きたいことがある。
「北原さんを描いた肖像画、凄くきちんとした服装をしていますよね。描く前に、写真を撮りました?」
育ちがいいとはいえ、上等な子ども用の正装だ。取引や受け渡しに連れて行ったのがその時だけというのも、何かあるように思えた。
「写真?あぁ……撮ったかもしれません。あの絵の構図とは別にも何枚か」
「お父さんも一緒に?」
「ええ。どうして?」
北原は困惑している。北原は、美術の知識や記憶はしっかりしているのに、自分についての記憶が曖昧なのは、臨死体験と渋井のせいかもしれない。
「俺が思うに、お父さんは柄楠家の血縁者じゃないかな。だとすると、北原家と繋がったのはお祖母さんの嫁入りからです。家系図みたいなものはあります?戸籍は七十年前くらいまでか。お祖母さんの時点でかなり遠縁なのかもしれませんが、可能性はあります」
「ああ――家が大きくなったのは祖母の代からと聞いています」
北原は何故、柄楠の私的な住居内に入れたのか。
何故、肖像画を描いたのか。
由麻は何故、北原に頻繁に会いに来たのか。
何故、北原は由麻の息子と似ているのか。
「それなら、由麻さんが北原さんに遺品に相当する物を渡すのも、筋が通ると思う。単純に、顔立ちが似ていて可愛がっているというのも、別に不自然じゃないですけどね」
偶然が重なったと考えるより、誰かがわざとそうなるようにしたと思えば、可能性はある。
「だとすると、志麻さんの葬儀に呼ばれないのは不自然じゃないですか?私とはあくまで店主と顧客という関係で、葬儀は親族で済ませたのだと思いました」
「確かにそれが自然か。変なこと言ってすみません」
最近、瀬戸に似てきたと言われる。志賀に散々、自分の勘の良さを信じろと言われたのもある。もし勘が正しいなら、どんな可能性があるのか、一番都合のいいことから、有り得ない偶然まで考える。瀬戸のそういうやり方に影響されている。
「少なくとも、遺族の範囲ではないですよね。祖母は早くに亡くなっています。他界した際、父が既に何か引き継いでいるのかも」
北原は確信は持てずとも、可能性を探ってくれているようだ。
「北原さんには、お姉さんとお兄さんがいらっしゃるんですよね」
「ええ。姉は高梨に嫁いで、兄――愛子の父親が北原家を継ぎました」
「もし血縁なら、由麻さんが亡くなったら、愛子ちゃんが柄楠家を、北原さんが末主家を継げるんじゃないかな。柄楠家は女系というだけでなく、聞く限りでは相続の仕組みがちょっと変則的だ。当主が亡くなった時点で一番若い人物に権利が移るのかも。財産ではなく何か別のことか、まだ隠された財産があるか。その辺は汲田さんが知らないなら、両家の弁護士や税理士に聞いた方がわかるのかな。特に犯罪と繋がっていなければ守秘義務で難しいですが、警部に許可がもらえたら調べてみましょうか。椎名が興味を持つようなら、頼むのもいい。地域の名士を調べているとかの名目でね」
八重の方が、警戒されずに噂話を集めるのは得意だろう。尼寺が絡んでいるなら、女性の方が情報を得られるかもしれない。
「そんなに、大変な話でしょうか。他の物もそうですが、あの掛け軸は見たところ、そこまで市場価値の高いものではありません。修復して、龍泉寺か由麻さんに戻すのがいいでしょうね。スミット氏の肖像画は、描いた画家をもう少し調べる必要がありそうなので、オランダの画家に詳しい方に頼んでいます」
「あなたに遺品を渡せば愛子ちゃんが成人する頃まで無事だし、美術品として価値のない個人的な物なら、何か血縁である証明になるんじゃないか?北原さんの恋人が男の俺だと、また変わるのかな。由麻さんがあなたたちの近況を誰かから得ているなら、俺との関係のせいで、こうなったか――龍泉寺の関連はまだ方向性が絞れませんが」
跡継ぎが必要だと知ったからといって、北原が子を成そうとするとは思えない。志麻と由麻も、北原を可愛がっていたのならそれは承知のはずだ。
「推論でも、論理的ではありますね」
「お父さんに家の話を聞けますか?家系図とか」
「父はもう、あまりはっきりしていなくて……志麻さんが亡くなったことは母と兄にも伝えましたが、それらしい反応はありませんでした。由麻さんについては二人とも知らなかった。行方不明であることは、津寺先生と無流さんにしか話してません」
「他の平凡な顔ならさておき、あなたと愛子ちゃんは紛れもなく柄楠家の顔なんでしょう。聞いた印象だと、末主家は家名を、柄楠家は血を存続させたいのかな――相続や跡継ぎの問題はたくさん見ました。本当に血が繋がってるのかわからない場合も多いし、それでも跡を継いだり、実子がいるのに養子をもらったり色々です。戦争で番狂わせも起こった。生死をはっきり確認できない人もいる。北原さんより近い候補が全員亡くなる頃に、話が来るのかもしれません。その為に一旦、全ての親族を把握するために、由麻さんは各地を回っているのかも」
「私はそういうことには興味が無いんです。この画廊を継いだのは美術品が好きだからです。どこかに勤めるのが向いているとも思えませんから、この画廊が無くても、似たことを始めていたでしょう」
北原には家父長制が似合わない。無流も婿入りした身だから、その辺りの気は合う。
「それは、姉妹もご承知なんだろうな。興味が無いから選ばれたのかもしれない。由麻さんが現れて直接何か頼まれても、断りますか?多分、適任者が現れるまで一時的に名前を預かるような感じなら、してくれそうだと思ったんじゃないかな。あなたは聡明で、公正な人間だから」
「そういうことなら光栄ですし、理解はできます。だとしたら直接説明して欲しい。汲田さんは何故、詳細を知らされていないのかも気になる」
「汲田さんは、常に姉妹の指示通りに動いてはいるんですよね」
汲田に何か問題があって、姉妹が意図的に情報を与えていないのかもしれない。そもそも、北原が由麻が三年前に来たことを伝えなかったら、由麻について話すことすら無かったのではないか。
「この美術品を私に届けたところで、もう執事としての仕事は終えていいということだと解釈しているようでした。それでも、私に預けた意図と、由麻さんの安否を知りたいと思うのは自然です」
困惑して考え込んでいる様子の北原に、無流は推理を述べたことを少し後悔した。
「俺が勝手に考えただけなんで、まだ、謎は謎ですね」
しばし沈黙した後、北原は上目遣いで無流を見た。
「あの……もしよろしければ、柄楠家の話のついでに、明日の日曜は一緒に私の実家に行きませんか」
「――いいんですか」
今の話の内容にというより、実家に無流を連れて行くことで悩んでいたのか。
「住職にお会いするなら、こちらもそうしたいです。兄と姉には愛子と英介から伝わっています。私の特性は両親にも知れていますから――私がまだ無流さんを独り占めしたかっただけで、紹介しろとは言われてたんです。すみません、言わずにいて」
英介や愛子の反応では、同性愛に否定的な印象はなかったが、両親や家のことは気になってはいた。無流の立場も単純なものではないし、家族も特殊だ。
「挨拶はしたいと思っていたので、光栄です。ありがとうございます」
「愛子もいますから、どうぞ気楽に。交際に反対されたりはしません。姉夫婦は四国にいるので中々帰ってきませんが、正月にはもしかしたら、揃って龍泉寺にお参りできるかも」
「これは、ご丁寧にどうも」
「家に連絡してきます。すみません、夕飯の支度……無流さんにばかり任せてしまって」
「いえ、ゆっくり話してきてください」
無流は少し緊張した面持ちの北原を見送り、調理を再開した。
迷想画廊 肖像画編 マサキ エム @MASAKI_N
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