二十六 小指
「うまかったな」
「……でしょう?」
ほうとうを食べ終わって声をかけたが、視線は合っていたのに瀬戸は珍しくぼんやりしていて、やや返事が遅れた。
店員が温かい緑茶を持ってきて、器は下げられる。
「心配事か?」
「いえ。見惚れていただけです」
嘘や言い訳をする男ではないから本当なのだろうが、それだけではないだろう。
昨晩に限らず初手からずっと、志賀は瀬戸相手の性的な接触には積極的なのだが、旅先とはいえ親類の営む宿で、乱れ過ぎた自覚はある。
起床は遅くなり、今も下半身に少なからず違和感は残っているが、顔に出さないのは得意だ。
今朝は目を覚ますと、瀬戸が窓辺のテーブルからこちらを眺めていて、ステンドグラスから朝日が射していた。朝食のパンと紅茶のいい匂いと、天蓋のついたふかふかのベッド。夢みたいにまどろんで、猟奇的な事件の心労がすっかり洗い流された心地がした。
一方の瀬戸は、満足げというよりは、何だか感慨深いような面持ちに見えた。
「――助平」
わざと意地悪くにやりとして見せると、瀬戸は不貞腐れたような顔をした。
「否定はしませんけど、エツさんに言われたくないです」
「ははは」
様子をうかがっていると、短く息をついてから、瀬戸はまた目を合わせた。
「おばに、何から訊こうかと考えていたんですよ」
緊張感を緩和するのが得意な瀬戸にしては珍しい。久々に会うおばは、手ごわい人物なのだろうか。それとも、問うべき話題に何か難儀な面があるのか。
「俺の住んでる家の話だけじゃないんだな」
「ええ」
「自分の生い立ちか?」
「それは多分ほとんど、僕の予想通りだと思います」
多分ほとんど。
瀬戸にしては曖昧な表現だ。瀬戸自身も、全容をはっきりは知らないということか。知らないことが少ないのに、何が出てくるかわからない隙があるのか。
「お前、混血なのか?」
「え?」
志賀なりに気になっていたことを、それとなく切り出した。
「食堂にあった銅版画が、お前と似てる気がした。描かれているのが誰なのかは知らんが、血縁者なんだろ」
食堂に入ってすぐ振り向いたところにかかった、西欧人らしき紳士が描かれた線の細い肖像画。食事中は見える範囲に座らなかったが妙に気になり、瀬戸に気付かれぬよう後で観察した。
「――似てますかね」
「顔は雰囲気ぐらいだが、小指の曲がり方が同じだ。畸形の話になった時、遺伝だと無流と話してたよな」
「聞こえてたんですね」
瀬戸の手の小指は両手とも、少しだけ角度がついて第一関節から薬指側に曲がっている。件の絵の紳士の指も、そう描かれているように見えた。
「俺は密かに、お前も切り取り魔に狙われやしねぇかと心配してたんだよ」
「混血かどうかとは別でしょう」
二十歳前後の若い男が狙われているとわかるまで、北原や瀬戸も充分、狙われる可能性はあった。そもそも、遺伝的な個体差と畸形の明らかな線引きは、どれだけ数が少ないか、特異な原因があるかになるのだろうが、犯人は明言していたわけではない。
「お前は肌が白くて身体が大きいし、瞳も髪も、日に透けると色が淡くなるだろ。絵を見て証拠が揃ったってとこだ」
「前から思っていたなら、もっと早く聞いてくださいよ」
「体毛は薄いのにな」
「エツさんよりは濃いですよ」
瀬戸はまた昨晩のことを思い出したのか、少し頬を赤らめる。
「ははっ」
袴ですれてしまっている部分もあるが、無流や剣道の仲間と比べても、志賀は髭や陰部以外の体毛が薄い。瀬戸は髪は多いが、全体に毛質が柔らかく細い。日本人だと言っても違和感はないものの、何代か前に外国人がいると聞けば、志賀でなくとも、なるほどと思うだろう。
「初めての時は、脚がきれいでびっくりしました」
無理矢理に自分を躁寄りに盛り上げてでも、瀬戸と繋がりたいと思った。
「お前からあれだけ煽ったくせに、大人しかったよな」
「予想以上に色っぽくて、それどころじゃなかったんですよ」
瀬戸はそういう状況に不慣れだったし、志賀だって男相手は不慣れだったが、恋愛経験はあるから応用は利く。瀬戸も慣れてきたが、未だに、目の前の志賀からの刺激が強すぎるのか、脳で処理しきれないという顔で固まることが度々ある。
「想像なら自由に動かせるんだろ。昨日は結構、強引で良かった。もっと酷くしたっていい」
「昼間から煽らないでください。夜まで生殺しです」
瀬戸が立ち上がったので、勘定を済ませ、店を出る。
「四六時中うっとり見惚れられたら、その気にもなるさ」
「おばの前では色気は控えてくださいよ」
「他に宿泊客もいねぇのにベッドが一つの部屋に泊まっておいて、今更だろ」
昼から酔っている旅行客がちらほらいるのをいいことに、歩きながら瀬戸の腰に手を添える。瀬戸は、敗北を認めるように志賀の肩を抱いた。
「――そういう相手ができたら連れて来いと、言われたんです」
「それが本題か。だからずっと様子がおかしかったわけだ」
流し目で笑うと、瀬戸はまた犬みたいに困った。身体に触れられていると、嘘はつきにくい。志賀がやたらに煽ったのは、この状況を作るためだ。
「エツさんあんた、尋問する気ですか」
「秘密なんてらしくねぇ。不安や危険なら、俺にも言え」
「あなたを紹介するのは、本題ではありません。もう、おばは知っています。求婚はエツさんに昨日、先を越されてしまったし」
「昨日?もっと前だろ。俺が求婚したから、付き合うことになったんだろうが。お前だってずっと、そうなりたいって趣旨で口説いてたし、俺はそれを受け入れたろ」
無自覚な冗談を言って瀬戸を試したのは、志賀だった。
「僕はもうずっと、そのつもりでしたけど――二人の間でそうでも、身内に紹介させてもらうのは少しわけが違うみたいです。あなたが不快な思いをしないかと――頭ではわかっていても、身体が不安を訴えてくる」
屋敷の居心地はずっといい。様子がおかしいのは瀬戸だけだ。
志賀が目覚める前に朝食が運ばれて来たのなら、前夜に何があったのか、河相が気付かないはずはない。
「不安?違うな。お前はおばさまに愛されてるだろ。河相さんの様子じゃ、俺との関係は問題なさそうだった。おおかた、世継ぎのできる可能性がないからと、相続を放棄すると言うつもりなんだろう」
人を読むのが得意なのは、瀬戸だけではない。
「もっと何気なく言えるかと思ったんですが――継がせたいと言ってくれていたのを、裏切るような気がして」
心底残念そうだ。志賀と出会いさえしなければ、すんなり家を継いでいたのかもしれない。そうでなければ瀬戸なら、もっと前に決断できていただろう。
「おばさまの具合でも悪いのか」
「そういうわけでは――本当に、どこから説明したらいいのか僕にもわからないんですよ。事実だけ時系列順に並べたところで、順番に細かく説明することになるし、僕が知らないこともあって――平家物語よりは短いと思いますけどね」
「わかったよ。とりあえず今夜は、長い話の覚悟をしておく」
志賀は仕方なくそこで、尋問めいたやり取りをやめることにした。
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