二十五 掛け軸

「ああ、いたいた。北原先生!」

 ひと巡りして玄関ホールに向かうところで、和美たちは明るい声に呼び止められた。

「津寺先生。お疲れ様です」

 目配せし合い、それとなく、和美は無流、愛子は北原の側に付く。

「預かった品物のこと大体分かりました。あの掛け軸以外は」

「やはり、傷んでいて難しいですか」

「いえ、広げることはできました――あ。飯田くん?君、大人気だね。今回はあの着物の写真が凄く良かった。君の作品も大変素晴らしかったです」

 満面の笑みで褒められるも、無流をどう巻き込んでいいかわからず、和美はうろたえてしまった。

「ありがとうございます。先生同士で話があるなら、僕らは他へ行きますけど」

「違う違う。君に訊きたいことがあるんです」

「え?」

 和美だけでなく、北原もまだ詳細を知らされていないようだ。

「皆さん一緒に、研究室へどうぞ。狭いですけど」

 

 津寺の研究室は、美術品が入っていると思われる木箱や古い和書がところ狭しと詰まれ、独特の匂いで一杯だ。

「この前言ってた、由麻さんの掛け軸ですか?」

「ええ」

 無流は掛け軸の話をもう、北原から聞いているようだ。

 由麻というのは、愛子が甘味処で話していた、亡くなったお得意様のことだろう。

 津寺が奥まで来るように手招きするので、周りの物に触れないように、慎重に進んだ。

「このお坊さん。飯田くん、君と凄く似てると思うんだ」

「――あ」

 思わず、息を呑む。

 その掛け軸に描かれた座禅を組む僧の顔は、津寺の言う通り、和美によく似ていた。

「これは確かに、飯田家の顔だな」

 無流も感心している。

「お寺の子だってきいてたから、もしかして心当たりあるかと思ったんですよ。おうちは、何て名前のお寺さん?」

龍泉寺りゅうぜんじです。俺より、親父にそっくりです」

「あ、龍『ぜん』寺か。なるほど。ここ、箱書きの唯一読める部分に、龍泉寺って書いてあるでしょう。字は合ってる?」

「合ってます」

「流という文字も見えるけど、そういう名前のお坊さんがいらっしゃる?」

「いますよ。ここにも」

 和美が無流を示すと、無流は名刺を出して、津寺に差し出した。

「俺も一応、龍泉寺の僧です。流れが無いと書いて、無流といいます」

「これはこれは――あ。私、名乗ってなかったですね。津寺憩つじいこいといいます。よろしくお願いします。いい名前ですねぇ。お坊さんなんですか?」

 津寺も名刺を出し、無流に渡した。

いこい?あなたも凄くいい名前ですね。俺は、入り婿なんで顔は似てませんが、和美の義理の兄です。今は刑事をやっています」

 妙に馬が合いそうな雰囲気に、和美と愛子は目を見合わせる。

 悪い感じではないし、北原も平然としているので、心配いらなかったようだ。

「刑事さん?わぁ、かっこいい!ええと、この顔で名前に流が入るお坊さんはいます?それか、絵を描いた人の名前かな」

 大人同士の話に移行するのかと思ったが、津寺は和美にそう尋ねる。

 なんというか、名前の通り本当に優しくて気さくな人物だ。

「親父――現住職が、清らかな流れで清流しょうりゅう。死んだじいちゃんが、晴れるに流れで晴流せいりゅうですね。絵が上手いのは、ばあちゃんかなぁ」

 顔は、祖父と父親の二人も似ている。ちらりと無流を見ると、頷いて補足してくれる。

「龍泉寺という名の寺は日本全国でも多いそうですよ。うちは読み方が濁るから、少し珍しいかな。しかし、これだけ似ているとなると――多分、うちでしょうね」

「清いにも晴れるにも見えますねぇ。住職ご本人に確認できるといいんですけど」

「あいにく今日明日は、葬儀で遠出してまして――」

 清流は忙しい人なので、和美も毎日は会えない。

「和美くんは、お父様似なんですね」

 北原に問われ、和美も無流も頷く。

「姉貴も似てますよ。代々、この顔の人間が寺に残ると言われています」

 姉は長く生きられなかったが、外に嫁がなかったし、間違ってはいない。

「へえ。ちょっと話はそれますが、お坊さんでも絵を描く人は結構いるけど――飯田くんは絵を描くのをできれば続けた方がいいと思います。きれいな物が好きで、未来を意識する人が飾りたくなる絵だ。新しい絵は色が暗かったけど、生命力の潤いとか艶みたいなものを描くのが上手だね。需要はあると思うよ。君自身も品があってお洒落だし、売り買いだけじゃない人間関係が作れると思うから」

「あ……ありがとうございます」

 直接、絵の指導をされる関係ではないのに、よく見てくれている。

 進路に迷っている和美には、ありがたい言葉だった。

「傷んでいるのは、古いからですか」

 無流がそう問うと、津寺は首を横に振った。

「古いとしてもせいぜい五十年前ぐらいで、北原先生の話だと、持ち主の茶室に飾られていたそうだから、その時は掛けられる状態だったはずです。多分、自然災害や戦災で傷んでしまったんじゃないかな。綺麗な人だから、飯田くんみたいに絵姿にしたくなったか――所有者自身が龍泉寺の檀家だったか、過去にいたお坊さんが宗教的な理由で持っていたものを譲り受けたのだと思います」

「それにしても、綺麗な人ですね。尼僧かどうかも論点だったんです」

 北原は静かに掛け軸を観察している。

 首の線等も描き分けはされておらず、装束は簡素なもので、男女の区別は付かない。

「尼僧なら、ひいばあちゃんかな。多分、似たような名前だよね。持ち帰って聞けばいいんですか?」

「ちょっと傷みが激しいので、保管しやすいように専門の方を呼んであります。その前に写真を撮ってあるので、お持ちください。北原先生の依頼人の方も、見て思い出すことがまだあるかも」

「ええ。まさか、こんな身近に手掛かりがあるとは思いませんでした」

「兄貴と北原さんに頼んでもいい?」

「わかった。じゃあ、なるべく早く住職に会えるよう計らいます。津寺先生も――」

「あいにく私は今年、学内展の実行委員になってしまって――片付けが終わるまでしばらくは校内にいないといけなくて。謎を解くのは早い方がいいと思うので、何かわかったら知らせてください。場所はともかく時間はあるので、できる限りこちらでも調べを進めます」

 津寺が残念そうにそう言って、和美たちは研究室を後にした。

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