第三の記憶、現実らしきもの

 目が覚めると、私は輸送機のシートに身体を預けている。どうやら、また同じ夢を見ていたらしい。あれから、もう三年も経つというのに。


「うなされていたようだが、大丈夫か?」


 隣の席からルイスが声を掛けてくる。この男も私と同様、マースピウム解体の為に破壊活動を行っているメンバーの一人だ。母国にメシの種が無いから、という不純極まりない動機でこの動乱に関わっている戦争生活者でもある。


「夢は夢だよ。目覚めてしまえば何と言うことはない」


 ルイスからタオルを受け取ると、私は額に張り付いた寝汗を拭き取リ始める。目元から溢れた涙も一緒に拭ってしまった。


「眠れなくなることが問題だと思うんだがね――まあ良いや。それより降下開始まであと二十分だ。本当にやれるのかね?」

「水先案内人をしろと言ったのは君たちだろ。それに、私抜きでマースピウムに侵入するのは不可能だ。昔とは警戒のレベルが違う。誰かさんが仕損じたお陰だ」

「必要なのは生体情報であって、お前さん自身じゃない。わざわざ俺たちに付いて、同胞を討ちに行く必要なんかないんじゃないかね」

「必要かどうかは関係ない。私は自分の手でアレを壊したいんだ」


 思うに、私には不要なものが必要だった。

 大人の事情で産み落とされ、大人の望むように生きてきた私には、自分の人生というものがない。私の心は、行動は、人格は、全て誰かの“必要”でできている。

 私はまだ、生まれてすらいない。


 あの育児嚢を壊さなければ、私の運命は一生あそこに囚われることになる。そんな確信が私にはあった。


「なんだか強迫観念っぽいぜ、それ」

「何と言われようと、私は付いていくよ」

「その考え方も、誰かに植え付けられたものとは思わないのか? アリスから聴いたぜ。お前さん、記憶が何人分もあるんだろう。チャネルなんたらとやらでさ」

「チャネルセラピーね。君も受けてみれば良いよ。そうすれば、その可哀想な記憶力もマシになるかも知れない」

「ははは、冗談きついな」


 しばし哄笑した後、ルイスはふと思案顔をして、


「そういえば昔、似たような話を観たことがあるな。自分が現実だと思っていたのは、実はスタジオで演じられていた虚構に過ぎないっていう話。ま、こんなのは疑いだしたらきりがないけどな」

「『トゥルーマン・ショー』か。アレはスタジオの外に出ればそこが現実ってことになるけど、私の場合そうもいかない。私の現実は頭の中にある。あるいは、ないのかも知れない」

「やっぱり、ちょっと偏執病の気があるな。大人しく医者に罹かればどうだ?」


 確かに、この自問自答が必要かというと恐らくは不要だ。今どき、唯我論なんて流行らない。しかし、無駄と思われることをすることが、私に赦された唯一の抵抗運動のように思えた。


 世界は必要性で回っている訳ではない。そう理解させる為に、私はマースピウムを壊す。大人たちの狂気を終わらせる。その為なら、プレポルの命なんて、自分の命なんて惜しくない。


「どうしても私を置いていこうって言うんだね、君は」

「そりゃあそうだ。足手まといに構っている暇はない」


 失った足の小指のことを言っているのだろう。


「もしもの時は見捨ててくれて構わない」

「どうしてそう死に急ぐんだ? 俺に言わせりゃ、生きる為なら真実なんかどうでも良い。人は言葉でなく、パンによって生きるものだからな」


 真実とか、思想とか、生存に直接関与しない娯楽品は優先順位の最下層に置かれているらしい。たぶん、ルイスには私の気持ちが永遠に分からないだろう。きちんと現実を生きている人間には。


「君は筋金入りのリアリストだね」

「そうだ。だから俺は怪我人に妙な期待はしない」

「必要かどうかで言えば、足の小指だって歩行には要らないんだよ。現代人の大半は、足の小指に第二関節がないって話があるでしょ。もともと退化して無くなろうとしている器官なんだ。問題にはならない」


 言うなれば、私は足の小指だ。

 喪われゆく、小指の第二関節だ。


 どうしても連れて行かないと言うなら、君をぶちのめして証明してやる。そんな殺気を込めて見詰めてやると、ルイスはとうとう折れてくれる。


「――じゃあ、お前さんはやれるんだな?」

「ああ」

「死に物狂いで向かってくる子どもたちを、躊躇なく撃てるんだな?」

「ああ」

「たとえ彼らが、大人たちに良いように使われているだけだとしても?」

「そう、私にはできる。必要がなくともやれるんだ」

「その言葉が聞きたかった」


 ルイスが微笑んだ時、ロードマスターが定刻五分前を報せた。

 私はルイスに連れられて、カーゴハッチに向かう。

 じいいん、と熱を持った何かが脳内を巡り始める。


     ◇     ◇     ◇


 久方ぶりの故郷は、三年の時を経ても何ら変わっていなかった。


 空挺降下中には気が付かなかったが、侵攻する内にそれは直ぐに実感できた。発破で吹き飛ばされた監視塔の外壁も、焼け落ちてしまった健察官舎の屋根も、修復された痕跡さえ見当たらない。まったく綺麗なものだ。


 ここであの暴動があったなんて、嘘のようだった。


「感傷に浸っている暇はないぞ。夜が明けちまう」

「別にそんなんじゃない」


 ぼそぼそと言葉を交わしながら、私はルイス率いる一団の後を追う。

 ヘッドギア越しに聞こえる音はどれもくぐもっていて聞き取り難いが、遠くから響く銃声だけは異様にクリアだった。恐らく、自動機械オートマトンが陽動でばらまいているものだろう。周囲のエリアに比べて、私たちがいる場所は極めて静かだった。


「出番だぜ、区長殿」

「元区長だ」


 訂正しながら、私はセキュリティゲートに近付いた。

 据えつけの識別モジュールがこちらを捉え、相貌解析と声紋認証に応じるよう命じてくる。私はヘッドギアを外して、それに従った。


「反乱分子の移送に来た。ゲートを開放しろ」


 嘘は吐いていない。それに、私は自分の意思でここに立っている。

 この小賢しいモジュールは、顔認証に加えて精神分析までも受け持っているが、その仕組み自体はごく単純なものだ。対象者がセキュリティ解除を強要されていないか、身体の緊張状態から判別するだけ。


 怯える様子さえなければ、容易く通行を許してしまうのだ。


〈――認証しました。おかえりなさい、トムソン担当区長〉


 自動音声とともに、ゲートがゆるやかに開放される。

 トムソンって名前だっけ、というルイスの問いに私は頭を振った。


「私じゃない」

「ああ、そうか。そういうことか」

「勝手に納得するな。説明を――」


 と言い掛けたところで、発砲音が響いた。

 ルイスを壁際に突き飛ばしながら、私は反撃に転じた。ろくに狙いもつけず、ゲートの陰から制圧射撃を仕掛ける。その隙に仲間の誰かがグレネードを放るのが見えた。


 爆風と衝撃が駆け抜けてくる。

 静まり返った廊下には、呻き声が一人分。


「放っておいても死ぬな、こりゃ。行こうぜ」


 ルイスたちは足早に去って行く。

 私も後に続こうとして、はたと足を止めた。

 私によく似た顔が、目が、こちらを見上げていたからだ。


「……トムソン」


 それが、新しい区長の名。

 つまりは、目の前で死にかけているもう一人の私の名前だった。


 トムソンは壁にもたれ掛かったまま、微動だにせず私の顔を見ている。血に塗れた口許は歪んだ笑みを湛えていた。


「そういえば、元はそちらの国の技術だったな?」


 肺から漏れる喘鳴ぜんめいに交じって、トムソンの擦れた声がする。


「何のことだ?」

「決まっているだろう。お前がプロポルだってことさ」

「君もそうだろう」


 それを聞いて、トムソンは虚を衝かれたような顔をした。

 そして、唐突に笑い出した。


「そうかそうか。つまりお前は、私を同類だと思っている訳だ」

「違うとでも言うのか?」

「ああ、違う。違うね。お前は何の為にここに来たんだ?」

「復讐だ。私を産み出した愚か者への復讐、私を必要としたこの国への報復の為に私は来たんだ」

「なら、それは筋違いだ。なぜならお前のオリジナルは私で、私にオリジナルはないのだから」


 言っている意味が分からなかった。

 私はここで造られ、ここで育ち、ここで記憶を植えつけられた。


 そう記憶している・・・・・・


 それを意識した途端、背筋に急な悪寒が走った。

 そうだ、真実を記すのに脳味噌ほど不適当なメディアはない。

 人の口から真実が語られることなんてない。


 分かっていたはずなのに身に付いていなかったのは、そうあれと誰かが願った為か。あるいは、それが私の運命だからか。


「私を造ったのは――」

「我々ではない。我々と敵対する組織、つまりは君が仲間と思い込んでいる連中だ」


 そんな現実は認められない。

 私は血液が付着するのも厭わず、トムソンの身体をあらためた。しかし、ついにマトリクスコードを発見することはできなかった。


「都合の悪い真実だけはよく疑う。いい大人がそんなものかね……」


 呆然とする私に、トムソンはそう声を掛ける。

 君ならどうするんだ、という私の問いに答えは返ってこなかった。トムソンは既に事切れている。口許に意地の悪い笑みを浮かべて。


「自分で考えろってことか」


 通路の先で、ルイスたちが――私を利用した連中が撃ち合っているのが聞こえる。そして当の私は、自分のオリジナルが流した血で塗れている。


 それだけが、今ここにある唯一確かな現実だった。私は自分の愚かさにほとほと嫌気がさして、試みに拳銃を咥えてみたが、とうとう引き金を引こうという気にはならなかった。


 私はなぜ、死のうとしているんだろう。

 必要が無くても人は死ぬし、不要になったからって死ぬことはない。記憶の中の私は言うなれば必要性の奴隷だったが、ここにいる私だって不要性の依存症患者みたいなものだ。


 どちらも、まともとは言い難い。自由とは、言い難い。

 だが、そういう意味では今の私は幸運だった。


 セキュリティが突破された以上、私という存在は誰にとっても重要ではない。いようといまいと関係がない。


 どうでも良い存在であるが故に、誰に対しても自由だ。

 そう思うと、幾分か気が楽になる。


「すまない、トムソン。私はまだ死ねない」


 拳銃をホルスターに戻し、私は再び小銃を手にした。あれだけ続いていた頭痛が、今はピタリと治まっている。


「彼らを止めなきゃいけない。止めたいと思うんだ」


 きっと、死ぬのはそれからでも遅くはないはずだ。

                                 

                    〈了〉

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マースピウムかくあれかし 庚乃アラヤ(コウノアラヤ) @araya11

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