第二の記憶、目覚める奴隷
その夜、私は争いの気配で目を覚ました。
ベッドから跳ね起きると、枕元の拳銃を掴んで私室の戸を押し開ける。
廊下は既に、煤けた煙と火薬の焼ける臭いで満たされていた。
「あそこだ、あの部屋だ!」
変声期特有の不安定な声が響く。目を向けると、小柄な人影が三つこちらに近付いてくるところだった。
刈り上げられた坊主頭が、火の手に照らされて露わになる。間違いない、プレポルたちだ。小銃を携えて、こちらを蜂の巣にせんと狙いを探っている。
「うわっ」
期待通り、蓄圧式の消火器は穿孔から勢いよく中身を放出させる。即席の煙幕に巻かれ、混乱するプレポルたちは格好の的だった。頭に一発ずつ撃ち込んで、彼らを速やかに沈黙させる。
「馬鹿な子どもたち」
プレポルたちから無線機と銃器を剥ぎ取りながら、私は独り呟いた。
子は親を選べないとは言うが、少なくとも私たちは選んでお前たちを作ったのに。
お前たちのしたことといったらどうだ。親に銃を向けるなんて、そんな子に育てた覚えはない。
〈――『この親にしてこの子あり』とは思いませんか、区長?〉
開きっぱなしだったらしい回線から声が聞こえる。
それは、紛れもなくアリスの声だった。
「やはり君の仕業か……」
〈どうでしょう。私はせいぜい、彼らの反抗期に手を貸しただけかも知れません〉
「彼らに反抗期はないよ」
答えながら、私は移動を開始する。辺りは異様な静けさに包まれていた。
一体、警備部員たちは何をしているのか。
〈あなたはどうだったんですか、区長。きちんと反抗期を乗り越えて大人になりましたか?〉
「反抗期などなくとも大人になれる」
〈あなたの言う大人って何なんでしょう。国の為、社会の為に個人を犠牲にできる人? それとも、子どもを撃つ悲しみに耐えられる人?〉
「悲しみを忘れられる人のことだ」
そう答えたとき、折しもサーチライトが私を照らし出した。
どうやら監視塔も含め、一体全てが敵に制圧されてしまったらしい。
「武器を捨ててください、区長」
無線越しではない、アリスの肉声が聞こえる。
反射的に銃口をもたげたが、直ぐに無駄な抵抗だと思い直した。窓の外をプレポルたちがグルリと取り囲んでいる。完全に袋のネズミだ。私は言われた通り、銃器一式を床に放り投げた。
「立場が逆になりましたね」
プレポルたちに拘束される私に、アリスはそう言って近付いてきた。彼女の声には勝利に酔う気配も、私への敵愾心も篭もっていない。無感動と言って良い口調だ。
それでも、私は半ば無意識的に負け惜しみを吐いていた。
「この区一つを落とした所で意味なんか無い。他の区でも戦闘用のプレポルは製産されている。次は君たちが狩られる番だ」
「それは他の担当区が無事だったら、という話ですよね?」
「君は……いや。君たちは一体、何者なんだ?」
「
「仮に所属がそうだとしても、君をここに送り込んだのは別の組織だ。そうだろう?」
私が辺りの惨状を目で示してやると、アリスは薄く笑みを浮かべる。
「ご想像にお任せします」
周囲のプレポルたちは無言で“後片付け”をしている。瓦礫を除け、仲間の遺骸を袋に詰め、負傷者に手当てを施している。誰も彼も、感情が揺らいでいる様子はない。戦いの直後だというのに、辺りの空気はこれ以上なく凪いでいた。
異様な光景だが、これが本来、プレポルに求められている振る舞いだ。戦闘用のプレポルに恐怖心は要らない。戦死者への同情は要らない。必要なのは、機械のごとき冷徹さと信頼性だけ。
しかし、だからこその違和感もある。
彼らは正気のままで、アリスの側に寝返ったというのか。
「どうやって彼らを手懐けた? 駒として完璧に仕上がっていたはずだ」
「完璧というのが何を指すのかは兎も角として、少なくとも彼らは完成品ではありませんよ」
「まさか……」
「そうです。最後の工程を、我々が代わりに受け持ったのです」
マースピウムにおける最終工程――それは、一言で言えば「記憶の
心が変われば、行動が変わる。
行動が変われば、習慣が変わる。
習慣が変われば、人格が変わる。
人格が変われば、運命が変わる。
ならば、望ましい形に心を象ってやれば、運命をも操れるのではないか。そう、大人たちを夢想した。記憶という金型の中で心が成熟を迎えるなら、きっと判で押したように理想的な子どもを量産することもできようと考えた訳だ。
故にこそ、彼らはプレポルと呼ばれる。プレタポルテ。工場生産の既製品たち。彼らは出来合いの商品に過ぎない。
実の親に産み育てられた、贅沢品の私たちとは違う。人間とは違う。
「便利さも度が過ぎると考えもの、ということか。それで、一体どんな記憶を埋め込んだのかな?」
「何も特別なことはしていませんよ。私たちは単に、真実を教えてあげただけです」
「真実とは?」
私の問いには答えず、アリスは近くにいたプレポルに合図を送った。
そいつは私を地面に跪かせると、頭にボウルのような器具を被せる。
「お見せした方が早いでしょう」
アリスの声がすると、また例の頭痛が襲い掛かった。
じいいん、と熱を持った何かが脳内を巡り始める。
閃光が弾け、私の視界は一挙に暗転した。
もはや目蓋を開いているのか、閉じているのかも分からない。
少しすると、暗闇の中で何かが像を結び始めた。
――そうだ、これは過去だ。プレポルたちが“出荷”前に組み込まれるという偽物の来歴。存在しない記憶が、我が物顔で私の脳内に生起している。その感覚はまさに恐怖だった。それはさながら、国家による個人への侵略だった。
兵士には、敵国への憎悪を。
農家には、郷土への愛着を。
商人には、困窮への恐怖を。
去来する記憶の贋作たちは断片的でありながらも生々しく、確実に私のアイデンティティを突き崩していった。“私”という過去、あるいは人格と呼ぶべきものは今まさに殺されようとしている。
それで、私は理解した。だから彼らは寝返ったのだ。
殺される前に殺せ――私たちがよく言って聞かせた教えでもある。プレポルたちは規格された通りに機能している。
「チャネルセラピーって言うんですよ、これ。ニューロン群の選択的活性化ないし不活性化によって、記憶のオンオフを切り替えてしまう技術だそうです。早い話が、記憶の虚実をコントロールするメソッドということですね。これを確立したマサチューセッツの学者さんたちは、鬱病やらPTSDやらの治療に使うつもりだったそうですが、まさか、こんな非道い使い方をされるとは思ってもみなかったでしょうね――ああ、違うかな。もしかしたら、危惧しながらも止められなかったのかも知れませんね。ほら、大人ってみんなそうでしょう。仕事だからやるしかない、責任は責任者が負えば良い、なんて」
アリスが何やら饒舌に語っているが、ほとんどは耳を擦り抜けていった。というのも、私の中である疑念が膨らみ始めていた為だ。
なぜ、私の脳はチャネルセラピーによる介入を受けているのか。
なぜ、私はこの脳を巡る不愉快な感覚にデジャヴを覚えるのか。
なぜ、私の幼少期の記憶はかくも容易くリアリティを失ったのか。
なぜ、なぜ、なぜ――思考は堂々巡りを始める。たった一つの受け容れがたい解答を打ち消そうと、私の全神経が抵抗を続けている。しかし、それは無駄だった。答えは向こうからやってきてしまった。
脳裏に浮かんでいた景色が、市街地から山嶺のものへと移り変わる。そこは激しい吹雪に見舞われており、ハッキリ見えるのは赤い屋根の民家が一つ。家の外には寝間着姿の子どもが独り、呆然と立ち尽くしている。
「これは……」
「分かりませんか?」
分かりたくない。首を激しく横に揺さぶると、頭に被さっていた例の機器がずり落ちる。記憶の流し込みはそれで終わったが、目にした光景がフラッシュバックのように焼き付いていた。
「なら、教えてあげましょう」
アリスはいつの間にか目の前にいて、手に剃刀を持っている。
刃が掲げられるのを見て、私は本能的に上体を反らそうとしたが、それは背後に控えていたプレポルに阻止されてしまった。斯くて、アリスの剃刀は私の側頭部を捉える。刃が皮膚を切り裂く痛みを覚悟していたが、果たして彼女は私の頭髪を一房刈り取っただけだった。
「見てください、これがあなたの本当の姿。あなたの現実です」
アリスが手にした鏡の中には、青ざめた私の顔が映し出されている。
見ない方が良い――理性が止めるのを振り切って、私は剃髪された右側頭部に視線を向けた。そして私は、それと対面した。
頭皮に印字されたマトリクスコード。
既製品たる証が、私が剥き出しの頭皮に刻まれている。
世界がひっくり返るのを感じた。
「あなたは彼らの親代わりではありません。言うなれば兄弟なんです。あなたは、プレポルを導くプレポルとして創造された」
私は知っている。記憶に見たあの子が口を噤んでいたのは、泣き疲れて声を出す力すらも残っていないからだ。雪に埋もれた足が剥き出しで、赤黒い水疱に覆われていたことも知っている。
なぜなら、あの子は私だからだ。
あれは私の記憶。私が区外で生まれた証拠に他ならない。そのはずだ。
では、この忌々しい二次元コードは――?
「動揺するのも無理はありません。あなたの人生は全て仕組まれていた。大人たちが望むとおりに、あなたは子どもたちを責め苛んだ。他の区長たちも、同じように振る舞っていました。自分が何者かも知らずに」
「どうして、こんな……」
「決まっているでしょう。必要だったからです。あなただって、よく仰っていたではありませんか。『プレポルにはこれが必要だ、あれは必要ない』って。あなたという人格は、人でなしを量産する為に必要だった」
だとしたら、必要なんてものはクソ食らえだ。そう言葉にしようとして、私は危うく踏みとどまった。
――そうだ、クソ食らえなのは私の方だ。馬鹿な選民思想に取り憑かれて、自分の同類を増やそうとした愚か者がこの私だ。こんな人間を意図的に産み出そうなどというのは、まさしく狂気の沙汰だ。人間のやることじゃない。私は人間をやめるつもりはない。
じいいん、と熱を持った何かが再び脳内を巡り始める。
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