終わる世界を眺めて

いばらき

終わる世界を眺めて

 終わりを迎える世界を眺めていると、どこまでも静かな光景があった。人はいる。会話もある。誰しもが自由気ままに活動している。それでも、うるさい音は聞こえない。人々は妙に落ち着いてしまった。

 終わると結論づけられてからの世界は、短い間に何度も変転した。緊張で重苦しく、恐怖で混乱し、歓楽の匂いに浮かれた。この急激な移り変わりの末、神経をすり減らした人々は、一大事に挑む気力を無くしてしまった。あきらめてしまったのだ。

 もう人々は世界の終わりを疑っていない。穏やかに暮れて行く世界で、しんみりとその時を待っている。


 夕方になると私の腹が一つ鳴った。いつ終わるとも知れない世であっても、腹はちゃんと毎日空いた。食事を取ろうと私は最寄りの小学校へ出掛けた。小学校には大量の食料品が集められ、人々は欲しいものをそこから自由に持っていった。

 ふと周囲を見ると、いつのまにか私と歩みのそろう者がいた。小学校へ近づくにつれて一人、二人、三人と増えていき、到着した頃には群れになってしまった。みんな私と同じ様に腹が減って、同じ時間、同じ速さでここに来たのだと思うと、なぜだか可笑しくなり笑みがこぼれた。彼らはどうかと顔をうかがってみると、やはり笑っていた。

 校門を抜けて体育館に入ると、まず目に付くのは緑色の大きな山だった。大の男三人分ほどの高さで、カップ麺「緑のたぬき」を整然と積み上げ、作られていた。とは言え、これは誰かが暇に飽かして作った見世物であって、ここから持っていくわけではない。一つでも抜けばたちまち崩れてしまう。持っていくのは、側に無造作に積まれた段ボール箱からだった。

 ところで、緑の山があるのなら隣に赤い山があってもよいが、それは見当たらない。好みが偏っているのか、元々の在庫が少なかったのか、この地区の「赤いきつね」は品切れになっていた。他の地区には「赤いきつね」が余って、「緑のたぬき」がない所もあるらしい。うどんが食べたければ、他所へ行ってくれということだった。


 私は「緑のたぬき」を一つ手に取り、調理するため、校舎内の簡易な炊事場が設けてある教室に来た。そこでは数人の婦人が何かをつまみながら談笑していた。会釈すると、彼女たちは一斉に笑顔を返してきた。並んだポットを見ると、すべてに沸いた湯が満杯に入っていた。ご婦人方のおかげだろうと感謝した。

 私は「緑のたぬき」の調理に取り掛かった。フタを開け銀色の小袋を取り出す。小袋は、粉末スープと七味唐辛子が別々の袋に閉じらているものの、互いの縁がつながっている。二つの袋が接着して、一つの銀色の小袋になっている。その縁を上手に切ると、一度で両方の口を開くことができる。そうして両方同時に麺の上にあけた。

 その時、いつ近くに寄ってきたのか、一人の婦人が私に言った。

「あなた、七味を先に入れちゃうんですか? 七味は食べる直前でしょう。お店のそばも、そうやって食べるでしょう?」

 突然声をかけられて、私は少々驚いたが言葉は耳に残った。彼女の指摘はその通りだった。それを承知で、これまで数えきれないほどの「緑のたぬき」を、ほとんどこう作ってきた。

「どうも私の習慣でして。できあがったら直ぐに食べたいですし」

「こんなご時世なんだから、せかせかしたって、何も良いことありゃしませんよ。それに七味は直前にかける方が、きっとおいしいですよ」

「そうですね。でもこれはもう戻せないし、このまま食べます。明日はそうして食べてみようかな」

 彼女は嬉しそうにうなずくと、茶を入れて婦人たちの輪に戻っていった。私は笑って見送ると、湯を注いだ「緑のたぬき」を手に、教室を出て階段を上がった。


 屋上に出ると、日はまだ暮れて行く最中だった。私は適当な場所に座り込み、終わる世界を眺めながら「緑のたぬき」を一口すすった。相変わらずうまい。

 私はこの静かな世界で、とても居心地よく暮らしている。以前は「緑のたぬき」を食べてうまいと言っても、それに伴う幸せを覚えることはなかった。うまいものを食べて幸せが生じる今の方が、私にはありがたい。

 また一口すすって、私は先ほどの婦人との会話を思い起こし、一人言った。

「明日は七味を食べる直前にかけてみよう」

 明日があるのかはわからない。たとえなくても私は今幸せなのだから、このまま終わっても構わないと思っている。

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終わる世界を眺めて いばらき @ibaraki1113

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