欠けた聖女(5)

 応えたといっても、言葉を発したわけではない。けれど、アルヴィンさんの仕草に応じるように、家が――いや、が振動音を発した。


 家から周囲へと風が走る。さざ波のように。

 心臓の鼓動のように。

 緩く撫でられた草が、ふわり、ふわりと、揺られてそよぐ。


 それを皮切りに、家の壁に光の模様が浮かび上がり、さらにその前の空中にも別の模様が浮かび上がり、屋根の上にも同じように――と、瞬く間に光の模様が家を囲うように並び立つ。

 さらには、家を中心として光の円が、地面と平行に広がって描かれる。一つではなく、二重、三重と、一定の距離ごとに外側へ、外側へと重ねられていく。

 光の円では、その線上を一際輝く光点が、心地よい速度で走っていた。


 幾重もの輝くサークルの上を、流れ星のように光が周回していく。

 いくつも。いくつも。いくつも。


 呆然とする誘拐未遂犯、および僕。

 どこからどう見てもただの家だったはずなのに、魔術が発動した姿は、どこか荘厳ささえ醸し出していた。


 軽く震える空気と、輝く魔術陣と、サークルを走る流星が、一つの作品のように溶け合っている。


 楽器が競演してるみたいだ。

 打楽器震える空気弦楽器魔術陣管楽器光の円

 音もなく広がる、三重奏トリオ


「この家自体に魔術をいくつか付与してある。周囲の一定範囲の索敵、防衛、迎撃、およびそれらに関する記録や俺への連絡。そしてそれら術式全ての隠蔽だな」


 絶句する僕らに説明する、もしくは独り言のように、アルヴィンさんが解説を続ける。

 さらに一言付け加えられた。


「それから、状況判断のための知能も組んである。それにお前たちは迎撃されたわけだ。そうだな? αアルファ


 その声は誰に向けられたものとも思えなかったけれど、応えるように、空中に文字が描画される。


『はい、マスター』


 筆記の勉強のときのように、濃緑の背景に陽光で文字が綴られた。

 その返答は、アルヴィンさんの前だけれども他――僕とか――にも読めるように大きめに映し出されている。

 一方で、僕の目の前にも小さな黒板が現れた。


『改めまして、はじめましてカイルさん。よく私にお越しくださいました。遅れ馳せではありますが、心より歓迎いたします』


 繊細で流麗な、美しい筆致。アルヴィンさんを真似ているのか。語調は驚くほど丁寧で、そこは実直かつ淡白なアルヴィンさんとは違っているけれど。


「あ、こちらこそよろしくお願いします」


 実際に声をかけられた訳では無いんだけれど、思わず普通に返事をしてしまった。

 そんな呑気なやり取りとは一線を画して、誘拐未遂犯の震える声が聞こえてくる。


「知能……だと? 確かに、魔術生命体の類は命令に従うわけだから知能はあるが、会話が出来るほどここまで高性能なものは聞いたことが無いぞ!?」


 対するアルヴィンさんは、軽く首を傾げた程度だった。


「そうか? まあ、随時アップデートはしているが、宮廷魔術師団コートマジシャンどもの研究所でも今ならこれぐらいは実現していると思うぞ?」


 しれっと言われてますが、リグル=リッツ王国宮廷魔術師団と言えば随一と謳われるんですよね……そんなところを引き合いに出されても、


「王宮の最新技術なんぞ知るかあっ!」


 と叫ぶ誘拐未遂犯の言う通りだと、僕は思います。

 とか胸の内で呟いていたら、アルヴィンさんから追い打ちがかかった。


「別に新しくも無いはずだが。原型もと譲渡してから結構経つぞ」


「はあ!?」


 顎が外れんばかりに絶句する誘拐未遂犯。

 でも人のことは言えない。僕の顎も外れかかったので。


「まあいい。お前が頭目だな?」


 僕らの反応を意にも介さず、さらっとアルヴィンさんが手をかざす。

 瞬く間に、透き通った光の檻が誘拐未遂犯を閉じ込める。その黄色がかった緑の格子を走り抜ける光たちは、僕が初めてここに来た夜の時と同じように煌めいている。誘拐未遂犯の顔が引きつり、喉も引きつって小さな悲鳴が漏れる。

 ただ、僕の時とは違って、薄い光の膜が誘拐未遂犯を通り抜ける速度がとんでもなく速かった。


「ななな何だあ1? な、何も知らねえぞ俺はっ!」


 これだけ誘拐の準備をしておいて何も知らないわけがないでしょうに、と僕でさえ思うのに気が回ってない辺り、誘拐未遂犯がどれだけ慌てているかがよく伝わってきた。

 でも、あえて言葉を口にした効果は一応あったみたいで、目つきが座った。これから始まるだろう尋問に抗う気概を漲らせている――


 ――いや、漲らせていたんだけれど、それは次の瞬間までしか保たなかった。


「ふむ。男は確かにロンベール家の手の者だな。あそこは政争に関わるほど大きな家柄ではないはずだが……取引があったか、何か弱みでも握られたか?」


 さらっとしたアルヴィンさんの声に、誘拐未遂犯のせっかく座った目がまたまん丸に逆戻りする。


「な、何で!?」


、依頼者の帯剣の柄に刻まれた狐の紋様はロンベール子爵の家紋だからな」


「そこじゃねえ! 何で!?」


「今


 何の感慨も感じられないアルヴィンさんの口調。


 アルヴィンさんにしてみれば普通のことなんだろう。で、僕にとっては、ここに初めて来たときの体験があるから、さっきの薄い光の膜でんだろうなって想像できる。原理はさっぱり分からないんだけれども。

 でも、誘拐未遂犯にしてみれば奇っ怪この上ない――いや、それどころか恐怖以外の何物でもないらしい。


「……ば、化け物……っ!」


 一言が、それを如実に表していた。

 随分な言われようだけれど、アルヴィンさんの琴線に触れることは全く無かった。


 というか、アルヴィンさんはもう気にも留めず、紙切れに何かをサラサラっとメモして、それを誘拐未遂犯にペタリと貼り付けて、指を一度鳴らす。

 それだけで、頭目以下誘拐未遂犯一同はまとめて森の中へと吹っ飛んでいった。僕がレッドグレイブ侯爵邸からここへ来たときに通った道の方向へ。


 事ここに至って、僕以上に置いてきぼりになっていた事態の中心人物、アンジェラさんがおずおずと、ようやくアルヴィンさんに声をかけた。


「あ、あの……アルくん、私、またやっちゃった……かな?」


「姉さんは気にしなくていい」


 分かりやすく落ち込んでいるアンジェラさんに、アルヴィンさんはきっぱりと言い切る。

 けれど、僕がアンジェラさんの一言に引っかかって、思わず口にしてしまった。


?」


 笑顔を作ろうとして失敗しつつ、アンジェラさんが応える。


「うん。前もね、似たようなことがあって……」


 その、えっと、と見るからに言いにくそうなアンジェラさんを軽く制して、アルヴィンさんが僕へと顔を向けた。


「"聖女"の秘密、あわよくばその力自体を手に入れたいと考える輩は以前からいる。まあ、αが制圧して俺がギルバートへ送り、後は向こうに任せるだけだからそれ自体は大したことはない。ただな」


 一度言葉を切るアルヴィンさん。

 アンジェラさんがうつむいた。


「カイル、覚えているか? 姉さんが正の指向性で『奈落』を抑えている、と言った事を」


 軽くうなずく。

 うなずきつつ、ふと頭の中に蘇った一言があった。


「そういえば、『それが優れているとは限らない』って……」


「そうだ。『奈落』を抑え込める程の正の指向性。それは徹底した正、安直に言い換えて良いなら欠けの無い善性であって、そこに負――悪性が介入する余地が無い」


「……悪が、無い?」


 僕の拙い反応に、今度はアルヴィンさんは至極真面目にうなずいた。


「そうだ。つまり、姉さんは――とまで言うと言い過ぎになるが」


 アルヴィンさんが断言せずに幅を残し、そこにアンジェラさんが乗ってくる。


「理解できないわけじゃないのよ? 今までがあったもの、ちゃんと知ってる。でも、しっくりこないというか……」


 のくだりで、アンジェラさんは陰鬱な顔を見せた。

 それは普段のアンジェラさんからは信じられないほどかけ離れた表情で、初めて見た僕は正直びっくりした。アンジェラさんが――と思う程で、にあったであろうことはそれだけで十分に伝わった。


 しかし、そうなると、経験も知識も備わっているのにあっさり騙されたり? いや、今さっきまさにその現場だったわけで、つまり、アンジェラさんは――


「――?」


 うなだれるアンジェラさん。

 代わりにアルヴィンさんが答える。


「ああ。疑うことや憎むことができない――それは性格の問題ではない。『奈落』をも抑えられる正の指向性、善性ゆえなんだ」


「ああ、だから……」


「そう。だから、『無欠の善それが優れているとは限らない』んだよ」



(続く)

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(仮題)【その後】の物語 橘 永佳 @yohjp88

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