欠けた聖女(4)

 まるで役に立たないことは百も承知、だけど何もしないわけにはいかないっ。

 優しくしてくれた人、救ってくれた人なんだ!


 結果は目に見えている——何しろずっと横目で警戒されている——けれど、闇雲に体当たりしに踏み出す。案の定、カウンター気味に突き出される男の掌が目の前に広がる。


 ダメだ、と思うときはいつも、景色がゆっくりになる。

 身体は言うことを聞かずに、惰性で動き続けるくせに。

 まるで透明な泥沼。

 息も出来ない。

 ただただ、重い。


 自分は勝手に前へと滑っていって、相手の掌がどんどん大きくなって、そう、目前に、それ以外が遮られてほとんど見えないぐらいに近づいた——


 ——と思いきや、唐突にになった。


 離れていく? と気付いた瞬間、泥のような時間が消え失せる。


「うわあっ!?」


「うおおっ!?」


 僕と男の人の悲鳴は似たような声だった。

 けれど、起きた現象はかなり違った。


 僕は、ぶつかるはずの相手がいなくなったので前へ滑って転んだだけ。もっとも、僕としては十分かっこ悪くて恥ずかしかったけれど。

 一方で、男の人は盛大に吹っ飛んでいた。それはもう、家の裏に一番迫っている森の端の木にぶち当たって「ぐはぁっ!!」って悶絶して動けなくなるぐらいにまで、ものの見事に。


 それだけではなくて、その森の端やあちらこちらで稲光が走り、走ったところから「ぎぇっ!」だの「がっ!」だのと、色々な悲鳴がそれぞれとても短く響く。


 僕が地面に手を突いてぽかんとしている間に、それこそ、あっという間に、不審な一同は全て制圧されたようだった。

 というのは、森の木々に隠れた位置までは確認できないから――なんだけれど、一番始めに吹っ飛ばされた男の人とは別の人が何人かが、一様に稲光を浴びて悶絶しているのを見ると、多分同じ目にあっているはずだ。


 結構な数がいたものだ。ざっと、十人以上は居る。


 それにしても、何が起こったのやら……。アンジェラさん、実は攻撃魔法みたいなのも使えたりは――


「あ、あの、皆さん大丈夫ですか?」


 ――しないっぽい。 

 振り返った先のアンジェラさんは、分かりやすくオロオロしていた。ウソのつけない人なのはもう理解しているので、これがアンジェラさんの仕業ではないことは確定だ。


 というか、振り返った先でが分かった。


「ふん」


 アンジェラさんのさらに向こうから、一言、というか鼻を鳴らしただけのアルヴィンさんが歩み寄ってくる。


「アルヴィンさん!」


「え? アルくん?」


 僕の声につられてアンジェラさんも振り返って、アルヴィンさんの姿に軽く驚いた。


 白銀をなびかせる長身が、そよ風にたゆたう白金の主の元へと添う。


「アルくん、まだ終わってないんじゃないの?」


「一時中断だから、また戻るよ。が終わったらね」


 さらっと答えるアルヴィンさんに、直前の事態を思い出したアンジェラさんが、きょとんとした表情からオロオロした顔へと戻った。


「用事?――あ! アルくん、ジョンさんの代わりって方が来られたんだけれど――」


「そう、それが用事」


 話し始めようとするアンジェラさんを指で軽く遮って、そのままアンジェラさんを通り過ぎるアルヴィンさん。そのコース上にいる―というかコケている――僕に「怪我はないな?」と口にして、僕が慌てて「は、はい」と答えるのにうなずいて、淡々と足を進めていく。


 銀影が玄関口と森との中間あたりで足を止める。特に目立つ動きは何もなく、ただ何気なく、本当にささやかに軽く、人差し指で招く。

 それだけで男の人怪しい人が宙に浮いて、アルヴィンさんの前まで引き寄せられる。鎖に縛られて吊られた状態で。いや待って、どこから出てきたんだこの鎖――


 ――って、よく見たら透けてるっ。これ、アルヴィンさんの魔術だ!


 吊られた男の人怪しい人が呻いた。


「は……話が違う、貴様は昼過ぎから不在だと……」


「間違ってはいないぞ? 連絡アラームがあったから戻ってきただけだ」


「アラーム? 警報装置か? そんなたぐいは見当たらなかったが……」


 アルヴィンさんが目線だけを後ろへと投げる。

 その先、玄関に積まれた荷物の中にあるのは、木製の長い箱。おそらくは、そこに眠らせたアンジェラさんを入れるつもりだったんだろう。


「それに気づけないぐらいレベルなら、は引き受けるべきではなかったな。だからあっさり制圧される憂き目に合う」


「貴様がこんなに早く戻れるとは聞いていなかったっ……貴様さえ不在ならどうとでも……」


 飛びかかる前の野良犬のように口を歪めて誘拐未遂犯が吠える。

 さっきまでのにこやかな顔が嘘のよう――いや、実際真っ赤な嘘だったわけだけれど、今のガラの悪さは非常にしっくりきた。

 僕的には、だけれど。うん、何か落ち着くなぁこの感じ。


 僕が懐かしさで場違いな感傷に浸っている一方で、アルヴィンさんは全くもって意に介していなかった。

 そりゃあ、英雄譚のとおりだとすると、くぐっている修羅場はこの何十倍か何百倍かってぐらいのはずで、当然といえば当然だ。


 けれど、次のアルヴィンさんの言葉には、誘拐未遂犯だけではなく僕も耳を疑った。


「だから、不在だったと言っただろう? 俺はを回収にきただけだ」


「……は?」


 間の抜けた声とともに、誘拐未遂犯の顔からトゲが抜ける。

 でも、それをバカにするのは出来なかった。だって、僕も同じような顔をしていただろうから。


 ? アルヴィンさんが撃退したわけではない、ということだろうか? いや、でも、誰が?


「……馬鹿な! 下調べはした、守護者ガーディアンの類はどこにも見当たらなかったぞ!」


 吠える誘拐未遂犯に、この点にだけは僕も同意した。まだ来たばかりだけれど、確かに何もない、どこにでもあるような普通の家のはずだ。ただの鎧やら石像すら見当たらない。


 なのに、アルヴィンさんはさらりと言い返す。


「眼の前に見当たるだろうが」


 眼の前って、家がありますが――と首を傾げる僕に背を向けたまま、アルヴィンさんが指を一度鳴らす。


 ヴヴンッ。


 



(続く)

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