欠けた聖女(3)
「ええと、こんにちは――良いですかな?」
アンジェラさんに面食らう子供たち及び僕に、遠慮がちに声が届いた。
ちょうど完全に意識がお留守になっていた家の玄関の方から、回り込むように、忍び寄るように来た男の人。
年の頃は40代ぐらい、中肉中背で特徴という特徴が見あたらない人だけれど、身なりからするとそこらの平民よりは裕福そうな感じだ。
正しくは、服のデザインとかは質素な平民が着ていそうなもので、素材も同じく質素だとは思うんだけれど、服の傷み方がわざとらしい。長年着古したものではなくて、そう見えるようにした感じを受ける。
本当に古くなった生地はもっとヨレるしくすむし薄くなるものだ。わざわざそれっぽく加工するような道楽をするということは、生活に余裕があるということだろう。
こんなことをするのは、大体はどちらかだ。
僕の今までの経験からすると、前者1割、後者9割なんだけれど……。
「いつもお邪魔しているジョンが腰を痛めまして、代わりにご用伺いに来たんですが」
「あら、ジョンさんは大丈夫なんですか?」
「ええ、アイツは腰以外はピンピンしてますよ。来週にはまた顔を出せます」
アンジェラさんと男の人との会話が和やかに進む。
同時に、男の人はアンジェラさんの前までさらっと足を進めてきた。
会話の内容から、『ジョン』という人はアンジェラさんの顔なじみと思われた。行商人みたいな感じだろうか、生活必需品なんかを仕入れてるってところだろう。
であるならば、ジョンという人は、まあ心配しなくてもいい。多分。
問題は代理と名乗る目前の男の人だ。
この人が、ジョン氏が定期的にここを訪れていることを知っているのは間違いないけれど、それがジョン氏の代理である証明になるわけじゃあない。
そして、だからといって代理ではない証拠も何一つ無い。
ここに来たばかりの僕には判断がつかない。知らないことが多すぎる。
色々知っているはずのアンジェラさんなら——と思ったんだけれど、
「そう、なら良かったわ。お大事にとお伝えくださいね」
「確かに、承りました」
と、微塵も疑っていない。
これが役者なら演技の可能性もあるけれど、正真正銘短い付き合いだけれども、アンジェラさんは素だという確信がある。
今さっきの子供の嘘にすら気付かないぐらいだ、疑ってかかるという発想があるかどうかも怪しい。
ここはアルヴィンさんにも同席してもらうべきなんだけれど、アルヴィンさんは正午から夕方にかけて不在なのだ。
何かはまだ教えてもらっていないけれど、仕事があるらしい。時間厳守ではないものの欠かすことは出来ないみたいで、だから今日も家にアルヴィンさんはいないのである。
普段、こういうときはどうしているんだろう?
こういうことが初めてとは、ちょっと考えにくい。
町や村から離れた一軒家があれば、盗賊の類からすれば普通に
まあ、自分の経験で判断してはいけない。もしかしたら貴族御用達の商人さんで、ここの事情を知っていて
もしそうなら、一番可能性が高いのはレッドグレイブ侯爵様のところだろうか。その辺りが確かめられたら安心できそうだけれど、
僕が一人悶々と考えていると、まるで想定してたかのように、男の人がやや声を抑えて含みのある言い方をした。
軽く前屈みになって、耳打ちほど露骨ではないけれど、アンジェラさんだけに届くように狙ったかのように。
「で、ジョンが先週承ったものの他に、侯爵様からお預かりしたものもございまして……」
僕が内心求めていた単語が出てきた。
状況からすると、内密にされている事情を理解していて、ジョンという人がやっている仕事の内容もちゃんと把握もしている、レッドグレイブ侯爵様のところから遣わされた人、ということになる。
なら、大丈夫だろうか?
「あら。セラちゃん、リザちゃん、お姉ちゃんちょっと用事が出来ちゃったからまた明日ね?」
「「はーい」」
元気な声で子供たちは帰って行く。
その後ろ姿を見送ってから、アンジェラさんは僕へと顔を向けた。
「じゃあ、カイルくん、行きましょうか」
「いや、その子も……」
「カイルくんは良いでしょう?」
僕が応える前に男の人が口を挟んで、アンジェラさんが首を傾げる。
そして、アンジェラさんに言われて「はあ――ええ、そうですね」と一瞬の生返事からにこやかに立て直した男の人が、ちらりと僕を見た。
あ、ヤバい。
その目で、頭の中の悩みに一瞬で決着が付いた。
ほんの一瞬ではあったけれど、僕へと向けられた視線。それに見覚えがあった。
スラムで生活していたときに向けられていた視線と同じ。僕たち浮浪児たちを利用価値があるかどうか推し量ろうとする目、もしくは目障りなゴミを見る目。
完全に自分の経験則のみ、色々な可能性を踏まえての公平な判断からは明後日の方向へ外れた言い分だけれど、経験故に僕としては確信がある。
絶対に怪しい人の方だ!
となると非常にマズい。
当の本人であるアンジェラさんは微塵も疑っていない。
騒ぐなり誰かに知らせるなり出来る子供たちも帰る。
アルヴィンさんは夕方まで不在。
僕は凄く警戒されているのが分かる。
「では」
男の人が家の玄関の方へとアンジェラさんを促す。
「ええ」
アンジェラさんは言われるままについて行く。
僕も後に続く。
男の人が視線に怒気を込めてくるけれど、こういうときは酷い目に遭うのがお約束だったから正直膝が震えてるけれど、足がびっくりするぐらい前に進まないけれども、それでもアンジェラさんの後を追う。
何が何でも一人にさせるわけにはいかない。
僕なんかどうせ一発で吹っ飛ばされて終わりだろうけれど、その一発分の時間ぐらいなら稼げるわけで、時と場合によってはそのその一呼吸の間に事態が逆転することだって無くはないんだから。
何かあるはず、まだ危機回避の手がまだあるはずだ。
あのアルヴィンさんが何も準備していないはずがない。
とはいえ、寝泊まりさせてもらったから分かる事実としては、この家は普通の家だということだ。
「こちらなんですけれどね」
手をこまねいているうちに、何せたった庭から玄関口までなのだから、それこそあっという間に到着。
荷物が積まれた馬車が玄関前に横付けされていた。
積まれているのは樽やら麻袋やらと色々で、中には大きな箱もある。
作りのしっかりした、木製の長い箱。
かなり大きい。それこそ――
――中で人間一人が横になれそうだ。
「ありがとうございます。で、侯爵様からのお届け物とはどちらでしょうか?」
「それはこちらに」
その手元に布切れ、いやハンカチ――誘拐の手口の定番!
薬品で眠らせるなりして運ぶ気か、となると近くにまだ誰かいる!?
ダメだっ!
(続く)
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