欠けた聖女(2)

 字の練習は午前中まで。午後からはいわゆる家事手伝いの時間だ。


 アルヴィンさんの魔術があるから、さぞかし便利な生活になっている……かと思いきや、アルヴィンさんは生活を便利にすることには魔術を駆使していなかった。


 水も普通に井戸から汲んできて使うし、薪も普通に森から集めてきて普通に乾燥させて作ってる。

 夜の明かりは、アンジェラさんが無自覚で灯りになっちゃってたり、アルヴィンさんが必要であればともしたりもするけれど、大体はランタンと蝋燭ろうそくを使い分けてたりする。


 生活の水準は——僕にとっては明らかに世界が違う並の高水準なんだけれど、それはそれとして——いわゆる『普通』なのだ。多分。

 ちょっと意外で、それが顔に出てたんだと思う。ここに住まわせてもらうことになった翌日に、アルヴィンさんがさらっと一言口にした。


「過度に便利だとなまる」


 なので、目下洗濯の手伝いで水汲みをしているところである。 

 庭の井戸で水を汲んで、すぐ横の洗い場のおけに溜める。結構大きめな桶だけれど、数回でとりあえず必要な量にはなった。

 そこにかまどと暖炉から集めた灰で作った灰汁を混ぜる。入れすぎると肝心の服が傷むので、薄らと。

 で、洗濯物を投入。


「ねーねー、アンお姉ちゃん、踏むの?」


「セラもいっしょにしてあげよっか?」


 僕が水汲みを繰り返している間にアンジェラさんにじゃれついていた子供たちが、そのままで声を続けて挙げた。


 これもこの家に引き取られて驚いたことなんだけれど、意外なことに、人の行き来は阻まれてはいないらしい。


 ここ、『奈落』の真上のはずなんだけれど。


 いや、お二人が実際に生活しているわけで、普通に暮らすのであれば行き来はあって当然だとは理解できるんだけれど、てっきりもの凄い結界か何かで隔離されているのかと僕は思い込んでいた。


 アルヴィンさんによると実のところは逆で、むしろ、いくつか『ルート』をつないでいる、とのことだった。


 この家はけれど、この家はと自由に行き来できるように『ルート』がつながれていて、レッドグレイブ侯爵の館にもつながれているらしい。

 なので、ふもとの村とは思いの外交流があったりするのだ。


 ただし、お二人は吟遊詩人に謳われるような現代の英雄で、つまり名前が知れ渡りすぎているので、『碧い森の端のアルとアン』で通しているそうだ。また、姉弟きょうだいではなく従姉弟いとこ同士と説明しているらしい。


「そうね、じゃあお願いしようかな?」


 辺りに降り注ぐ陽光がそこからも放たれているかのような、キラキラとした笑顔でアンジェラさんが応える。


 まあ、実際、キラキラと輝いているんだけれど。

 日の光の下だとさすがに夜中のようには分からないものの、アンジェラさんがまとうあの光のヴェールはもちろん健在で、知った上でよくよく注意すると、明るめの山吹色の鱗粉が微妙に見えなくもない気がする。


 子供たちに見えているのかどうかは知らないけれど、見えていたとしても、子供たちにしてみればアンジェラお姉ちゃんはという感じなんだろう。

 そう思えるほどに、この子たちの振る舞いは極々自然なのだ。


「お姉ちゃん、こっちー」


「こっちー!」


「はいはい」


 子供たちに振り回されるアンジェラさん。

 子供数人、さらにアンジェラさんまで加わるわけだから、大きめの桶といっても明らかに手狭で、狭い足場に押し込められている印象だ。

 なのに、代わる代わる手を引かれるアンジェラさんは、その中で器用にくるくると回り続ける。


 アンジェラさんの長い白金の髪がくるり、くるりと空気中を泳ぐように流れる。

 周囲を舞う光飛沫は、砕けて飛び散る水飛沫の反射なのか、アンジェラさんがまとうヴェールの鱗粉なのか。どちらも太陽の輝きに似通っているものだから、見当がつかない。

 いや、見当をつける気にならない。それは多分、無粋というやつになるんだろう。


 台座が回る、音のないオルゴール。

 飾られているのは、どこかの王侯貴族が仕舞い込んでいそうな、値を付けられない程の彫像。

 天上の美を表したそれは、楽曲が流れているかのように錯覚させて見る者の心を躍らせつつ、ただ見惚みほれさせる。

 全ての視線を一身に惹くその像の目は、足下の幼い存在へ慈しみをもって向けられ、また、屈託のない微笑みを浮かべている。


 うん、アルヴィンさんも大概ではないけれど、アンジェラさんも大概じゃない。

 こうもホイホイと天上界を体現されちゃ、そのうち感覚がおかしくなりそうだ。少なくとも、慣れてこれが普通だと思っちゃったりしたら、下手したら王都ですら残念な光景に見えてしまうかもしれない。

 まあ、この間まで居たスラム街との落差でショックを受けているだけかもしれないけれど。


 そこまで考えて我に返り、すすぎ用の水を汲みにまた井戸へ向かう。


 とりあえず一回目を汲んで戻ってくると、踏み洗いを終えるところだった。

 まだ数歩の距離があるが、話は十分に耳に届く位置である。


「それじゃ、来る途中で無くしちゃったのかしら?」


「えっと、分かんないけど……」


「きっとそうだよ、セラたちが悪いんじゃないもんっ、だよね?」


「えと、その……」


 んん?


 何か、子供二人とアンジェラさんが話し込んでいる。

 セラという子がりきんでいる一方で、もう一人の子ははっきりせず、セラとアンジェラさんの間でおろおろしている感じだ。


「お母さんに何て言おう……」


「だから、葡萄ぶどうが無くなったのはセラたちのせいじゃないもん」


 あ。


 どうやら葡萄を届けるように言われていたらしいが、途中で食べちゃったな、この子たち。


 そういや空のカゴを持ってたけれど、中身だけが無くなるのはおかしいだろう。そうそう転がり落ちるような品でもないし。

 第一、セラちゃん、君の服の裾に赤いシミが少し付いている。それ、葡萄を食べたときに手を拭いたんでしょ?


 今までで見てきた――何なら自分自身が生きるためにやってきた――子供の嘘の中でも、ありきたりな上に下手ときてる。


 まずもって、自分ならそんな嘘じゃ袋叩きにされるだけだった。演技も棒過ぎる。片方が強気に出てるのに、もう片方はこれ以上無いぐらいに露骨に迷ってて胡散臭いことこの上ない。


 疑う必要が無いぐらいに分かりやすい、一発アウトだ。

 ここまで一目瞭然で信じてもらえるワケが――


「じゃあ、私が今度お母様と会ったときに『素敵な葡萄を頂いてありがとうございました』って言っておくわね」


 ――あるの!?


「い、いいの? お姉ちゃん」


「セラ、嘘いてないよ?」


 嘘を吐いてた当人たちも目を白黒させている。

 というか君たちが挙動不審になってどうするっての。


「ええ。無くなっちゃったのなら仕方ないでしょう? 安心して、お母様に言ったりしないから」


 子供たちへと笑いかけるアンジェラさん。

 それは、目前の子供たちよりもはるかに無邪気で、無垢な笑顔だった。



(続く)

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