きつねとたぬき
九戸政景
きつねとたぬき
「……うーん、これは困ったぞ……」
よく晴れた日の正午、俺は目の前の段ボール箱の中に入れられた物を見ながら自室で腕を組んでいた。
かたや染みこんだ香り高い
昼時だと思って入れていた段ボールから顔を出すそれらが今俺の目の前に並び、言葉を発せないにもかかわらずまるで自分を選んでくれと言っているかのようにその存在を主張していた。
「さて、どうするかな……流石に一度に二つ食べるのも良くないから選ばないといけないんだけど、どっちもブラック勤めだった頃の俺の頼もしい相棒と言えるからこそ選びづらいな。
まあ、だからこうして田舎に引っ込んできた時にも買い込んで持ってきたわけだけど、田舎暮らしの初昼食として片方だけを選ぶのはなんだか忍びないし……」
どちらを選び、食べるか。二つを前にしながらその事を考えていたが、考えれば考える程にどちらも捨てがたくなり、余計に悩む結果になった。
「……とりあえず、二つとも囲炉裏のそばに置いといて湯を沸かしてくるか。決まっても湯が沸いてなかったら意味が無いしな」
考えるのを一度止めて、二つを手に取った後、俺は囲炉裏のある部屋に行ってカップ麺を囲炉裏の近くに置き、続けてヤカンで湯を沸かすために台所に向かった。
そして、いつも自慢をされていた鉄器のヤカンに水を汲み、朝から火を
「……ん? 庭から声が聞こえる……?」
誰もいないはずの庭から声が聞こえる事に俺は疑問を抱く。
「……まさか空き巣か……?」
そんな不安が頭をよぎり、俺は足音を立てないように歩きながらまずは聞こえてくる声に耳を澄ませた。すると、しっかりと聞こえてきた声は俺の予想とは反した物だった。
「……子供の声、みたいだな。それも男の子と女の子の二人……」
声の主が空き巣じゃなさそうな事に安堵したが、その正体を見極める必要があるのは変わらなかったため、俺はそのままゆっくりと歩く。そして、声がした庭に面した和室の襖を開けてそっと覗くと、庭には何かを言い争ってる様子の二人の子供の姿があった。
藍色の着物姿で綺麗な長い黒髪に三日月の髪飾りを付けた女の子と紅色の着物姿で太陽の形の首飾りを下げた薄い茶色の短髪の男の子の二人だったが、二人の頭にある異様な物に俺は思わず小さな声を上げてしまった。
「あれって……狐の耳と狸の耳か?」
普通の人間には狐や狸の耳は生えない。つまり、あの二人は普通の人間では無いのだろうが、どうして家の庭で言い争いをしてるのかは全くわからなかった。
「……とりあえず話しかけてみるか。このまま庭で言い争われてもよくはないし」
そう独り言ちた後、俺は縁側に向かって歩きながら言い争いをしている二人に声をかける。
「おーい、そこの二人。そこで何を言い争ってるんだ?」
「……え?」
「う、うそ……に、人間!?」
「あー……たしかに俺は人間だけど、ここは俺が住んでる家だから、言い争いをするなら他所でしてくれないか?」
「住んでる……え、でも誰か住んでたのは昔で、この前まで誰もいなかったはずじゃ……」
「……住んでたのはウチの祖父ちゃん。俺はこの家を受け継いで昨日引っ越してきたんだよ」
この家に元々住んでいたのは父方の祖父で、小さい頃は俺も何度か遊びに来ていた。けれど、成長していくにつれて中々足を運ぶ機会も無くなり、その内に祖父は病気で他界。
その後は父さんがこの家を管理していたが、県外からわざわざここまで来て家の掃除などをするのは
初就職先がブラック企業だった上に上司からの理不尽な叱責やキャパシティを明らかにオーバーした仕事の押し付けなどで俺は体調を崩していたが、それと同時に心も壊れていた。スーツを見るだけで汗と震えが止まらなくなり、電話の音を聴くだけで体がビクリと震える。そんな状況に陥っていたのだ。
そんな俺に対して両親はすぐに次の仕事を探せとは言わず、病院に行ったり気分転換をしたりしながらゆっくりと治せば良いと言ってくれた。俺はそんな両親に感謝し、精神科を受診した。すると、医者から提案されたのが、都会から離れたところで暮らしながらゆっくりと精神を元に戻し、自分が大丈夫だと思えたらまた働き始める事だった。
俺も両親もそれに反対する理由は無かったため、その日の夜に話し合いをしたところ、父さんはこの家に住んでみてはどうかと言ってくれ、俺が代わりに管理をする事に決めた上で俺は昨日からここに住み始めた。
「そういうわけだから言い争うなら他所でやってくれ。まあ、そもそも言い争わないのが一番だけどさ」
「は、はい……」
「勝手に入ってしまってすみませんでした……」
「別に良いよ。まあ、気が向いて遊びに来るくらいなら良いから、次からは声をかけてくれ。ところで……君達は人間では無いんだよな?」
「はい。私達は人間と妖怪の間に生まれた半人半妖という物で、家が隣同士なのもあって昔から一緒に遊んでいるんです」
「でも、どっちが化かし上手かっていう話になった時に言い争い始めちゃって、だったら誰も住んでないここで化かし合戦をする事にしたんです」
「なるほどな」
言い争いの理由に納得しながら頷いていたその時、子供達のお腹から揃ってぐーと音が鳴る。
「あ……」
「そういえば、そろそろお昼だもんね。あ……でも、どうしようか……」
「ん、どうかしたのか?」
「お父さん達、今日は急にお仕事が入ってしまったから、お昼は家にある物で済ませてって言ってたんです」
「ウチもそうで、遊んでる間にお昼の相談をしようとしてたんですけど……」
「それを忘れてたってわけか。それじゃあ二人さえ良かったらウチで食っていくか? 俺もそろそろ昼飯の時間にしようとしてたからさ」
「え……でも、良いんですか?」
「良いよ。それに、二人が一緒なら俺もちょうど良いからさ」
「ちょうど良い……?」
「一人で食べるには少し量が多くなりそうなんだ。という事で、上がってきなよ。このままここにいてもしょうがないからさ」
子供達は一瞬迷ったように顔を見合わせたが、すぐに頷き合うと、おじゃましますと一言口にしてから脱いだ履き物を綺麗に並べて縁側から上がってきた。
そして、二人と一緒に囲炉裏のある部屋に向かい、二人は囲炉裏を珍しそうな目で見始めるのに対してクスリと笑いながらヤカンを掛けた後、二人に声をかけた。
「さて、二人は油揚げとかき揚げならどっちが好きだ?」
「え……どっちも好きですけど、どちらかと言うなら私はかき揚げ、かな……」
「僕もどちらかと言うなら油揚げかも……」
「そっか。こう言ったらなんだけど、反対の答えが返ってくると思ってたから少し意外かな。さてと、それじゃあやっぱりどっちも開けるとするか」
「開けるって……そういえば、それって何ですか?」
「昔の俺の大切な相棒達さ」
問いかけに対して笑みを浮かべながら答え、赤いきつねと緑のたぬきの二つを開けた後、二人が囲炉裏の上に掛けられたヤカンを物珍しそうに見るのを眺めながら待った。
そして、沸いた湯をカップ麺に注いでしばらく待った後、出来上がったカップ麺の蓋を開けると、二人は目を輝かせた。
「わぁ……こんな簡単にそばとうどんが出来ちゃった……!」
「お兄さん! これ、すごいですね!」
「……まあな。さて、冷めちゃってもよくないし、早く食べようか」
部屋の隅に置いている簡易的な食器棚からお椀を4つ出した後、お椀にそれぞれ汁と麺、そして四分の一ずつにした油揚げとかき揚げを一つずつ載せてから二人の前に出した。
「はい、召し上がれ」
「はい、それじゃあ……いただきます」
「いただきます!」
二人は手を合わせながら声を揃えて言った後、美味しそうにお椀の中の赤いきつねと緑のたぬきを食べ始め、その姿に俺は思わず目を細めていた。
そして、俺もカップの中の赤いきつねと緑のたぬきをそれぞれ口に運ぶと、あの頃は感じる余裕の無かったほんわりとした温かみが体の芯まで伝わっていった。
「……うん、やっぱり美味いな」
これからもこれを食べる機会はあるだろうし、その時にはブラック勤めだった頃の事を思い出すかもしれない。けれど、今日からは違う。それだけじゃなく、新しく出会えたこの子達の笑顔も思い出せるはずだから。
そんな事を考えながら、安らいだ時間の流れる室内で俺はそんな一時を味わえる事に感謝をし、これからの生活に向けてのやる気を高めていった。
きつねとたぬき 九戸政景 @2012712
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