陰暦は卯月。美しき皐月

 自分の顔は随分と間抜けになっていることだろう。


 何せ、その美しさに見惚れてしまっていたから。それほどまでに目の前に立つ彼女は完璧な美しさを誇っていた。もし許されるのであれば、ずっと見ていたいと思ってしまう程に。


「不登校児の弥生満月くんよ」


 佐藤先生が目の前にたつ少女、十二月田皐月しわすださつきに紹介する。不登校児などと失礼な、と言える肝は無く、実際事実のため口を噤んで会釈をすることしか出来なかった。


 見ない顔だ、と俺を見つめていた瞳は俺を紹介した佐藤先生へ移った。十二月田が浮かべたのは怪訝な表情。何か俺について知っているかのように、顎に手を添えて思案している。


 人を褒めちぎる趣味は俺には無い。しかし、何から何まで様になるその姿形は、思わず惚れ惚れしてしまう。見ているアニメのヒロインが霞んでしまうことなど、今後の人生で経験することはないだろう。俗な言葉を使うのであれば"マジで綺麗"だ。


「……うーん、ここまで出ているんですけどね」

「そこ頭よ~、手を当てるなら喉じゃな~い?」

「頭の中にあるんですよ。ただ引き出しが開かないんです」

「まぁ取り敢えず皐月ちゃんも座ったら~?コーヒー飲む?」

「じゃあお言葉に甘えて。砂糖は六つでお願いします」

「は~い」


 言葉に甘えてコーヒーも甘めとは恐れ入る。

 そして何故かもう一つ壁に掛けられたパイプ椅子を開いて俺の隣に置き腰をかけた。初対面、しかも絶世の美少女だ。俺の体は勝手に強張った。三年前にコミュニケーション能力は手放している。普段の対話相手がディスプレイに映る作画とヒゲオヤジしか居ないのだ。


 手に持つコーヒーを再度胃袋に流し込んで、必死に緊張を誤魔化したが、依然として緊張は拭えない。十二月田がこちらをジーっと見てくる。宝玉のような彼女の持つ二つの黒玉に、今一度俺の姿が入り込む。引き出しを開ける音は聞こえてこない。


 そうしている内に十二月田の分のコーヒーが淹れ終わっていた。どうやら今のでポットのコーヒーは空になったようだ。


「はい皐月ちゃん。どうぞ」

「ありがとうございます、いただきますね」


 召し上がれ~と言って、空になったポットを佐藤先生が流しで濯ぎ始める。


 依然、彼女は俺から目を逸らさない。上から下、下から上。キザでもなければ名俳優でもない俺に「もしかして俺のこと好きになっちゃった?」なんて言葉が吐ける訳もなく、コーヒーは減っていく一方だ。首を傾げながら、彼女もカップに口を付け始めると、示し合わせた様に流しの蛇口の水圧が急に上がった。佐藤先生が悲鳴を上げる。名物の着物姿がビショビショ、とまではいかないが濡れてしまっている。


「ああもうビックリしたわ。最近調子が悪いのよね~」

「減圧弁が故障しているのかもしれませんね。今度修理依頼を出したらどうでしょう」

「そうね~。服が濡れちゃうのも困るし、校長に相談してみるわ~」


 ポケットからハンカチを取り出すのが早かったのは、コンマ一秒の差で俺だった。十二月田は可愛らしい花柄のハンカチを手にしている。全く同じ行動をするもんだから、十二月田は可笑しくなったのか吹き出した。


「ハモっちゃったわね。佐藤先生、どっちを使いますか?」

「う~ん、じゃあ折角だから男の子を立てちゃおうかしら~」

「残念、フラれちゃった。ね、弥生くん慰めてくれる?」

「や、あの……」


 突然振ってくるもんだから、俺は言葉に詰まる。


 ユーモアもあり、容姿端麗でこの儚げな雰囲気。学校の情報は全然知りはしないが、さぞ校内では十二月田は人気の高い生徒なのだろう。はにかんだ彼女はより一層美しく映った。


 暫しこちらを見つめてニヒッと悪戯が成功した子供のように笑うと、手に持ったコーヒーカップを血圧計の置かれた教室机に置いて俺の額を小突いた。反射的に俺は額に手を当てる。

 

「冗談よ。真に受けちゃって可愛いわね」

「や、そんなんじゃ……」

「照れなくて良いのに。ね、佐藤先生」

「あらあら、青春ね〜」

「佐藤先生まで」


 小突かれた額を擦る。からかわれてしまったが、決して気分は悪くない。ただ、何だかむず痒い気分だ。目が自然と泳いでしまった。これでは照れていると言ってるようなものだ。彼女らは、ニヤニヤと笑っている。


「ごめんなさい。でも、肩の力は抜けたんじゃないかしら?」

「あ……」

「私気になっちゃうとつい見ちゃう癖があって。気を悪くしないでね」


 そう言われてやっと気づいた。


 いつの間にか緊張が解けて、体から力が抜けていた。見事にしてやられたようだ。あからさまに緊張してたのは筒抜けだったので、してやられたというよりは気を遣われたのが正解だが。


「自己紹介がまだだったわね。私は十二月田皐月。一応この学校の生徒会長やってるわ」

「あ、えっと、弥生満月です……って生徒会長!?」

「わ、急に声が大きくなるわね」

「そりゃなりますよ。え、マジですか?」

「あ~、疑ってるわね?仕方ない、証拠を見せてあげるわ」


 はいっと、彼女は生徒手帳を差し出した。

 開いているのは顔写真の載った生徒証明書のページだった。注目するのは名前の下。そこには、生徒会長であることを認めたこの学校の校長と理事長の捺印が押されている。


 まさかこの学校の生徒会長だったとは、これまた驚いた。

 何せ、この学校の生徒会長は、特待生制度を勝ち取るよりも難しいと言われているのだから。


 この学校は総生徒数千三百人を抱えるマンモス校。加えて、国が誇る進学校。当然この学校の生徒は優秀な生徒ばかり。その中で選挙を勝ち抜くのは容易ではない。


 そして、生徒会長の座を狙う最大の難関ポイントは、生徒指導教員の面接と選挙出馬権利獲得試験だ。面接は三対一で行われ、生徒指導教員は曲者ばかり。一次面接二次面接と散々にいじめ抜かれた後、勝ち抜いた先に待ち受けている試験は大学のセンター試験レベルの鬼畜な試験。


 それでもこの生徒会長選挙に出馬する生徒が多いのは特待生以上の有名大学への推薦優待と、この学校の行事決定を委ねられるからだ。学校行事は生徒会長の企画で進められ、自分の思い描く学校行事を執り行うことが出来る。正に生徒に与えられた最大の境地だ。


「信じてくれたかしら?」

「まぁこんなもの見せられたら信じるしかないでしょ」

「それは良かった。才女だけど詐欺師の才能は無いの。正直者だからね」

「才女は自分のことを才女って言わないと思います」

「ふふっ違いないわね。でもこれが何よりの証拠よ?」


 それはそうだ。反論の余地がない。


 容姿、頭脳、人望。全てに非の打ち所のない人だ。素直に感心してしまう。その反面、自分と比べてしまって少しの劣等感。


 彼女は俺にとってあまりに眩しすぎる。


「すいません、ベッドって借りれます?ちょっと体調悪くなってきちゃって」

「あらあら、大丈夫〜?」

「ええ、リモート授業ばっかで運動不足なんで……疲れただけだと思います」

「……リモート授業?」

「今右のベッドの布団洗濯してるから、それ以外使ってくれればいいわよ〜。悪いけど、もう時間だから先生は行くわね〜。お大事に〜」

「ありがとうございます」


 必死に目を逸らすように、逃げるように、俺は体調不良を偽った。あからさま過ぎたかもしれないが、恥でも役に立つのなら使ってしまおう。


(明日から、明日から頑張る……)


 果たしてこの言葉を心で呟いたのは何回目だろうか。そう言っていれば、厳しい道に行かなければ心は軽くなるのだからまるで薬だ。やめ時が無いのだから。


 どうせ、誰にも必要にされないのなら、頑張ったって───


 佐藤先生が保健室を離れる。

 俺も彼女に背を向ける。


 もうどうせ、今後話すことも───


「待った!!!」


 裁判はしていない。検察官になった覚えは無いのだが、俺は彼女に引き止められていた。肩に彼女の細い指が食い込む。痛くは無いが、驚いて十二月田の方に振り返る。


 何故か、彼女は嬉しいような、寂しいような、そして悔しいような。そんなグチャグチャで複雑な表情をしていた。


「……思い出した」

「え?」

「いつも一位の、弥生満月。やっと思い出した、"みつき"って言うのね、貴方の名前」

「ちょっと、さっきから何を──」

「黙って、今私が話してるの」


 人が変わったように雰囲気が変わった。

 さっきまでの優しい口調では無い。乱暴で、強気な口調。怖い訳では無いが、気圧されてしまって声は出ない。だが、直ぐ自分を律するように大きく息を吐いた彼女は、先程のように俺の顔をジッと見つめた。


「ふぅー。ごめん、ちょっと取り乱してしまったわ」

「えっと……」

「仮眠を取ったあとでいいわ。ちょっと話をしましょう」

「……拒否権は」

「無いわ」


 どうやら、目を背けることは出来ないようだ。


 それに何だか、さっきよりも目の前の少女が眩しく見えて仕方がなかった。

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思い出部の毎日日記 ポンデリング @ponde0316

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