第24話 最終話 行こう!次のステージへ(後編)

 リンカさんと入れ替わるように、楽屋の入口にサアヤさんが姿を現す。甘い香を漂わせながら、楽屋の様子を伺っている。

「みんな調子はどうかな? 餌の時間だよ!」

 サアヤさんが差し出す紙袋には、『柚子乃茶屋ゆずのちゃや』のロゴが入っていた。

「そのお店! 駅前にできたカフェでしょ?」

 真っ先に喰い付いたのはユキホだった。差し出された紙袋を掻っさらう。

「よく知ってるね。さすが女の子!」

「ってことは、これって……」

「そうよ。持ち帰り限定のシュークリームよ」

「やった! 食べていい? ねぇ、食べていい?」

「どうぞどうぞ。喧嘩せずに分けるのよ」

 サアヤさんが言い終わるより早く、ユキホは自分のシュークリームを取り出した。

 柚子乃茶屋は、最近駅前にできたカフェだ。和洋折衷の雰囲気がウケたのか、季節感あふれるスイーツがウケたのか、それとも一日二百個限定のシュークリームがウケたのか……オープンからもう何ヶ月も経つというのに、未だに行列が途切れない人気店だ。二人で店の前を通るたび、ユキホはいつも長蛇の列を横目に「あそこのシュークリーム食べたいな」と呟いていた。

「くー、美味しいわ! ずっと食べたかったのよね」

 大口を開けてシュークリームに齧り付くユキホは、念願が叶って嬉しそうだ。

「行列、すごかったんじゃないですか?」

「えぇ、並びましたとも。アナタたちのためにね」

 どうしたことだろう。今日はなんだかサアヤさんまでもが恩きせがましい。

「早く食べないと、ワタシが食べちゃうぞ」

 ユキホの言葉に、慌ててシュークリームを頬ばる。粉砂糖がまぶされた皮を齧るとサクリとした食感が心地よく、口の中にバターの香りが広がる。こんなに風合いが軽いのは、作り立てだからだろうか。それとも何か特別な生地だったりするのだろうか。カスタードクリームも見事なもので、鮮烈なまでのバニラの香りが鼻孔をくすぐるし、卵の風味と牛乳の甘みが活きている。

「サアヤさん、これ、すごく美味しい!」

「そう。良かったわね」

 微笑みながら、サアヤさんはシュークリームを食べるボクをじっと見詰めている。

「そんなに見られると、食べ難いですよ……」

 二口目を頬張ったとき、クリームがはみ出して口元を汚した。慌てるボクを制して、サアヤさんは口元のクリームを指先ですくい、そのまま自らの口へと運んでしまった。

「ホントだ。美味しいわね」

「ちょっと! 人の彼女に粉かけないでもらえます?」

 間髪入れず、ユキホがサアヤさんに詰め寄る。サアヤさんは余裕の表情でユキホに微笑みを向けると、シュークリームの紙袋を指差して言った。

「アタシの分も食べていいよ」

「え、マジ? じゃ、その、好きにしてもらっていいんで」

 売られた……。ボク、シュークリーム一個で売られた……。

「食べ終わったら、髪の毛セットしてあげるからね」

 サアヤさんの手が、クシャクシャとボクの頭を撫でる。


「ジュンくん、髪の毛伸びたわね」

「ボブだったら、ウイッグ無くてもイケますよ」

「スケベは髪の毛伸びるの早いって言うわよ?」

「ボク、そんなんじゃないですし……」

「ヒデくんも、髪の毛伸びるの早いね」

「オレはスケベじゃなくて、どエロだから」

「何それ、気持ち悪い……」

「あー、ウチの客、どれくらい来るかのぉ……」

「外の入場待ちの列、すごかったわよ」

「今日はシドさんトコと一緒っすからねぇ」

「あー、シドくんトコのお客?」

「大半はそうじゃないっすかね」

「でも、トリはアナタたちなんでしょ?」

「あー、サアヤさんまでそれ言うんだ」

「何よ。プレッシャーでも感じてるの?」

「感じてないと言えば、嘘にななるけど……」

「……けど?」

「まぁ、シドさんがくれた折角のチャンスだし」

「あいつ、見かけによらず面倒見がいいのよね」

「見かけによらずって何だよ……」

「あら、シドくん。帰ったの? 久しぶりね」

「フェスのとき会ったばかりだろ」

「そうだっけ?」

「もうボケちまったか?」

「ボケてねぇし」

「あー、歳はとりたくねぇな」

「ブッ殺す!」

「サアヤさんって、たまにガラ悪いですよね……」

「え? ちょ? ジュンくんなに言ってるの」

「たまに? いつもだろ? 最近は猫かぶってんのか?」

「かぶってません。大人になったんですぅ」

「確かに、この中じゃダントツで大人だよな」

「ブッ殺す!」

「サアヤさん、怖い……」

「えー、ジュンくん、怖くない、怖くないよ。大丈夫だよ」

「あ、シドさん。リンカさん来てましたよ。対バン申し込みに」

「まだ諦めてねぇのかよ。しつこい奴だな」

「対バンしてあげたら?」

「アイツは勝った負けたと、面倒くせえんだよ」

「わかります。その気持」

「ユキホ、客の様子見てこいよ。もう開場してんだろ?」

「やだよ。面倒くさい」

「ユキホちゃん、シュークリームもう一個食べていいよ」

「え、行ってくる!」

「餌づけされやがって……」

「うるさいよ、アニキ」

「今日も前列は、モッシュ大会かね」

「こらこら。モッシュもダイブも危ないから禁止だぞ」

「真っ先にダイブする人が、何か言ってるー」

「俺なんてまだ青いよ。シドさんなんか……」

「おいおい。オレはダイブなんかしねぇぞ?」

「客席にシンバル投げ込んだことがあるんだぞ!」

「ヒデ、その話はやめろ……」

「フリスビーみたいによく飛んだってさ」

「さすがに出禁できんくらったよ」

「よく怪我人が出なかったですね……」

「ウチの客は、そういうの慣れてるからな」

「スナッフアウトのお客さんも大変ですね……」

「見てきた! 超満員だったよ!」

「だろうな……」

「もう前列にサークルできてた!」

「おいおい、元気だな……」

「待ちきれないんでしょ?」

「本番に体力残しとけっつーの」

「そろそろアタシ、客席に行くね」

「差し入れ、ありがとね」

「頑張ってね。楽しみにしてる!」


 高まりゆくオーディエンスの熱気が、楽屋まで伝わってくる。

 他愛もない会話を交わしながらも、本番に向けて空気が張り詰めていく。

「開演五分前です!」

 楽屋に響くスタッフの声に促され、スナッフアウトの三人がステージへと向かう。舞台袖まで見送ったボクたちは、そのまま袖からシドさんたちのライブを見守る。

 スナッフアウトのステージは、今までに観たどんなライブよりも熱く、どんなライブよりも暴力的で、そしてどんなライブよりも驚きに満ちていた。

 スリーピースの構成は、決して音が薄いことと同義ではないと思い知らされる。それどころかシンプルであるがゆえに、ダイレクトに心へと突き刺さる。

 殴りかかるが如き低音のリズムが腹の底を震わせ、重々しいギターのリフとデスボイスが蠢き、絡み、溶け合っていく。

 地の底を這うような重厚なノイズに酩酊を覚えていると、突如として楽曲は疾走感あふれるビートを刻み、降るように煌めくアルペジオに乗って澄み渡るハイトーンボイスが響き渡る。

 緩急巧みな音律に、歌声に、パフォーマンスに、一時いっときだって目を離すことができない。三人の織り成すサウンドに、ホール全体が巻きこまれていく。

 プレイヤーとオーディエンスが、一体となった狂乱。すでにレッドゾーンへと振り切った観客の熱気に、まだだ、まだ足りないと三人があおる。もっとだ! お前らの熱量はそんなものか! お前らの本気を見せろ! 俺たちの音に喰らいついてこい!

 前列は今や巨大なモッシュピットと化し、オーディエンス同士が激しくぶつかり合っている。いたる所でリフトが立ち、オーディエンスの海へとダイブし、波に翻弄されるがごとくホールを揺蕩たゆたう。中列にできたサークルの内側では、ツーステップを踏む者やウインドミルを舞う者が、次々と現れては人の波間へと消えて行く。

 激しさを増すモッシュに揉まれ続け、疲弊している観客も少なくない。それでもオーディエンスは止まらない。もっとだ、もっと寄越せとステージに押し寄せる。もっと激しいリズムを! もっと熱いハーモニーを! もっと突き刺さるメロディーを! もっとだ、もっと寄越せ! もっともっと奮い立たせてくれ!


 ステージも終盤となり、ボクたちは準備のため楽屋へ戻る。

 狂気すら感じるスナッフアウトのステージ、ボクたちにあんなパフォーマンスができるのだろうか。あの苛烈なオーディエンスを前にして、ボクはどんなステージを演ればいいというのだろうか。

「どうした、ジュン」

 鏡の前でうなだれるボクを、ヒデさんが覗き込む。

「ちょっと、シドさんたちがすごすぎて……」

「あー、初めて観ると衝撃だよな」

「ボク、どんなステージ演ればいいのか……」

「今まで通りだよ。俺たちは、俺たちのステージを演ればいいんじゃね?」

 ヒデさんの指が、ボクの顎先に触れる。

「俺たちにしか出せない音が、あるはずだろ?」

 顎を持ち上げられ、そのままヒデくんと見詰め合う。

「ストップ! なんで人の彼女に顎クイしてんのよ!」

 ヒデさんの背後で、ユキホが仁王立ちしている。肩をすくめて退散するヒデさんに代わって、ボクの彼女が目の前に立つ。

「ジュンちゃん、気負い過ぎだよ。後ろ向いてごらん」

 背を向けて座ると、ユキホの両手が背中をさする。

「自分たちがいいって思う音を出してさ、それを気に入ってくれる人が居てさ、またライブにも来てくれるようになってさ、それだけでいいじゃん。刺さる人にだけ刺さればいいんだよ。出来ることだけやればいいんだよ」

 さする手が止まり次の瞬間、背中に強い衝撃を受けた。

「気合入った?」

 背中に張り手を喰らった。

 気合注入だなんて、まったくボクの彼女は相変わらず男前だ。


 オーディエンスの興奮が最高潮に達し、スナッフアウトのステージが終わる。

 鳴り止まない拍手と歓声に応えながら、シドさんたち三人がステージを降りる。舞台袖で二つのバンドのメンバーが、拳を突き合わせながらすれ違った。ボクたちの拳にはリスペクトを込めて。シドさんたちの拳にはきっとエールが込こめられている。

 ボクがシドさんと拳を合わせた次の瞬間、背中に強い衝撃を受けた。

「気合入ったかよ。全力でぶつかってこい!」

 まったく、兄妹揃って同じことを……。思わず苦笑してしまう。


 照明が落ちたステージの上、セッティングを急ぐボクたちにオーディエンスの注目が集まる。値踏みするかのように絡み付く視線に思わず緊張してしまうけど、ここまで来てしまえば緊張もまた心地がいい。


 セッティングが終わり、PAにサインを送る。

 BGMがフェードアウトして、ホールの照明が落とされる。


 刹那の静寂。

 メンバーとオーディエンスが共に、薄闇の中に沈む。


 緊張に高鳴る心音が、驚くほど大きく聞こえる。

 闇の中で目を閉じ、大きく息を吸い込む。


 さぁ、始めよう!

 これが空想クロワールのステージだ!


 さぁ、聴いてくれ!

 これがボクたちの音楽だ!


(了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

柚子崎ディストーション からした火南 @karashitakanan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ