カクヨム甲子園作品の感想を書いて

snowdrop

作者は親、子は作品

 参加された高校生のみなさん、お疲れさまでした。

 各賞を取られたみなさん、おめでとうございます。

 読ませていただきましてありがとうございました。荒療治でしたが、おかげさまで活字も普通に読めるようになりました。

 活字が頭に入ってこなかったということは、様々な書籍が読めないばかりに作品も書けないことも意味していました。思い悩んだ末、情熱のこもった高校生の作品を読む練習に用いながら、同時に書く練習――感想を書こうと思い至ったのです。

 誰しも書けないときは訪れるでしょう。そうならないためにも、ネタを常に引き出しに貯めておかなくてはいけません。それでもいつか引き出しが空っぽになるときが来るかもしれない。そんなときはどうすればいいのか。散歩したり、本屋に足を運んだり、人に会ったり人間観察したり、自分が好きなものに触れたり、昔を振り返ったり。

 とにかく、ネタ探しに出かけなくてはならないのですが、もう一つ重要なことがあります。書けないときでも、何かしら書くということです。日記でもいいのですが、それよりも自分が好きな作品の構成やあらすじを書けるだけ書く方法が実に効果的です。

 粗いところは粗いままでいい、細かいところはできるだけ細かく書くといいです。構成やあらすじから一項目を選び取り、その項目について思うことを何でもいいから書いていく。そして、好きなところから並び替えして整理すると、その作品がどのように書かれているのかがわかってきます。それらを参考にすることで創作活動に役立てるとおもい、これまで沢山の作品を読んでは感想を書いてきました。

 読んだ方々はお気づきだとおもいますが、私の感想は通常の感想文と異なっているのはこういう理由があったからです。

 なので万が一、書けなくなりましたら、ぜひ試してみてください。お役に立てたら幸いです。


 応募総数一六四九作品のうち、八分の一にあたる二百三十余りの作品を読んで感想を書かせていただきました。一人一作の方もいれば、一人で九作も応募されている方もいらっしゃいましたので、おおよそ六百人ほどの高校生が作品を書いては応募し、参加されたのだろうと推測します。

 これだけの作品が読めましたので、統計学的に言えることがありそうです。

 参加された高校生の作品レベルは高い。男性神話や女性神話に沿った作品や挫折と成長の物語、互いの能力ではクリアできないゆえに協力しながら進んでいくメロドラマのような作品、乗り物パニックの構造を用いた作品などがありました。ときには、「あなたは本当に高校生? 人生何周目かの転生者ですか」とツッコみたくなるような作品を書いている人もいました。

 稀有な体験をさせていただきました。それぞれの個性が光るような独特な作品が数多く応募されていて、時間は随分掛かりましがた、ときに感心しときに驚き、たまに頭を悩ませ、フムフムなるほどと読み進めては感想を書かせていただきました。

 一番気になったのは、全体の六割が死にまつわる物語だったことです。幼馴染や好きな人、友人知人、自分自身が死んでしまう重い話が多く見受けられました。死を扱う作品が悪いわけではありません。世に出回っている作品にも数多く存在します。

 下読みをしている人のブログやコラムを読んだことがあります。一般応募作品の半分は、いじめや介護、自殺といったものが応募されるそうです。世相を反映して割合も題材も変わるといいます。

 現在はコロナ禍であり、社会全体が暗い雰囲気に覆われています。そんな時代の影響から、カクヨム甲子園作品でも同じことがいえるのかもしれません。

 ですが、読者は楽しい話を求めています。暗く冷たい中だからこそ、光明を手にしたいのです。

 イヤミスというジャンルもありますが、読後はやはり「面白かった」「楽しかった」と思いたいのです。作り物の世界から現実に戻ったとき、生きる力を持ち帰れる作品を、読者は欲しているのではないでしょうか。

 応募作品を読み続けていると、「ブルータス、お前もか」と叫びたくなるほど、似たシチュエーションの作品に出くわしました。作者は幼馴染や恋人、友人知人になにか恨みでもあるのかしらんと勘ぐりたくなるほどです。

 作品を面白くするためには、作者は登場人物を甘やかしてはいけない、といわれます。これでもかと不幸に叩き落とし続けるのは、最後は窮地から脱し、良かったねと読み手に安心感を与えるためです。

 アンハッピーな作品が悪いわけではありません。読者の中にも、そちらの系統を好まれる方々もいらっしゃるでしょう。ですが、割合としてはそれほど多くはありません。より多くの読者を楽しませることも、頭の片隅に置いてほしくおもいます。

 私は、幼馴染も友人もなくしています。以来、物語といえども、誰かが死ぬ作品を避けてきました。

 もともと速読やななめ読みなどをして多読する読書スタイルでした。でも、ストレスから活字が頭に入ってこなくなり、リハビリのために読み上げ音声ソフトを活用して作品を読んできました。同じ作品を、多いときで十回は繰り返し、熟読しました。なので、死ぬ話は本当に辛く、気分が悪くなりました。

 もうやめてやる、と思ったのは十回や二十回ではありません。それでも続けたのは、たとえ重い作品でも、作者の作品にかける熱量を感じたからです。他人は上手に避けるでしょう。面白くない、自分の好みに合わないと思えば読むのをやめればいいのです。でもあえて逃げずに、作者の思いを知ろうと読み続けました。

 作品を通して考えや思いを知り、少しは作者に近づけたかもしれません。おかげで心身ともに病んでしまい、PCまで不調になる始末。いまは、心から晴れやかになれる作品を読みたい心境です。


 カクヨムのロング部門は、四百字詰め原稿用紙換算だと五十枚。短編は百枚なので、実際の短編よりも短いです。ちなみに五十枚というのは、単行本一冊の原稿用紙枚数三百五十枚程度の長編小説の三部構成の第一幕の文量に相当します。第一幕が五十枚、第二幕が二百枚程度、第三幕が五十から百枚という割合です。

 ショート部門にいたっては五枚程度。ショートショートの部類でしょう。

 この文量ですと、読み物にするか、物語のある場面を切り取った作品が向いていると思います。長い話を描こうとすると、ダイジェストのようになってしまいます。描写にこだわれば、AだとおもったらBだったくらいの話しか書けないのではないかしらん。

 ロング部門の応募作品には、大きく三つにわかれているように見受けられました。

 枚数を意識して短編としてまとめた作品。

 第一幕を描いたような作品。

 長編小説を枚数内に収めたような作品です。

 読んだ感じですと三番目が多く、ダイジェストの印象を受けた作品もありました。ですが、一番目の枚数を意識してまとめた作品が多く選考に残っている印象を受けます。

 原稿用紙一枚で一分だと思えばいいので、五十分のアニメやドラマを思い浮かべると書きやすいでしょう。映像作品を見ながら、分毎にどのキャラクターが何をして、どんな事が起きているのかを紙に書き出して表を作ると作品作りに役立ちます。

 読んでいますと、二時間サスペンスドラマで見たことのある展開や場面の作品がいくつか見られました。ショート部門ですと、犯人の動機にあたるような場面でみたことがある内容の作品がいくつか見られ、既視感をおぼえました。

 世の中には作品がたくさんあるので、かぶったり似たりするのは仕方ありません。アイデアとは、古い要素の新しい組み合わせ。そうなのですけれども、本人が意図していなくても、気をつけないとパクリと言われてしまうかもしれません。

 なので、似た作品がないか作者自身で調べることも必要でしょう。とはいえ、探すにも限界があり、すべてを確認するのは不可能です。やはり似てしまうのはしょうがないのかもしれません。

 ともかく、似ていると思われないためにも、登場人物の性別や年齢、世界や時代設定、場所などを変更し、見せ方や視点を変えるなどの工夫をして気付かれない努力が求められるのでしょう。

 世の中のミステリー好きには詳しい人がいるので、似ているとすぐに気づかれます。そういう場合は別ジャンル、たとえばホラーに応募すると気付かれにくいでしょう。

 ミステリー枠で出せばミステリーに詳しい人が下読みする可能性が高い。なので、違うジャンルにすれば、ミステリーに疎い人が読み、気付かれず通ることもあるでしょう。ジャンルを変えて出すのも一つの方法なのです。もし指摘されることがあるのなら、映像作品となって多くの人の目に触れやすくなったときかもしれませんけれども。

「夢物語がおわるとき」の作品がそうでした。二時間サスペンスドラマで似た展開を見たことがありますが、本作はホラーであり、ジャンルが違うし現代的で作者自身のアイデアも盛り込まれ、結末が違います。枚数の関係から出来なかったと思いますが、もっとパニックになるような展開があれば、より良くなる作品でした。書き続けていくと、面白い作品を書く作家になるかもしれません。

 

 読んだ作品の中では、新型コロナウイルスを題材にした作品はわずかしかありませんでした。コロナ禍であっても、ないものとして現代ドラマの日常を描いていたのも特徴です。

 描かないのは、物語は人と出会わなければ生まれないと気づいたからかもしれません。自粛の閉じた世界では、出会いと別れは生まれにくく、ただ時間だけが過ぎて哀しみだけが募る。伝えられるニュースも世知辛く陰湿で、書き手も読み手も楽しくなれません。思い出を綴るにしても、語れるほど長く深く経験を積んでいたわけでもないでしょう。だからこそ、せめて物語は自由で夢のある世界を書くことは必然かもしれない、とおもいました。

 また、現状にあっても高校生の創作の発想はすごい、と感心しました。見過ごしてはいなくとも、着眼点の素晴らしさと、あえて書こうと思った意欲と熱意にただただ感心するばかりでした。なかには描写にこだわった作品もあって、高校生がこれを書いたのかと、画面の前でうなり、何度手を叩いたことか。そんな作品が選考されてなかったときは、作者でもないのにひどく落ち込んだのを覚えています。

「さよならを君に。」もその一つです。この作品は描写の表現がいいとおもいます。思わず泣いてしまいました。ただ、ストーリーは転校が決まって引っ越すことを友達に告げず、旅立つときになって感情が顕になっていく姿を描いたもの。たとえるなら、三部構成の第一幕という感じなのです。なので、第二幕、第三幕と描いて長編小説にしたら良いものが出来るのではと思えてなりません。

 他にも、もう少し書き込んだらすごくいい作品となるだろう、と思える若葉のような小説がいくつもありました。こういう子達がこの先、作家になっていくのかもしれないと想像すると、頼もしくもあり末恐ろしく感じました。


 選考された作品では、ショートとロング部門、どちらも現代ドラマ(恋愛とミステリーを含む)が半分を占めています。次にファンタジー(現代と異世界もの)、SF、ホラーと続きます。異世界転生ものは選ばれていませんでした。

 高校の卒業や恋愛、友情を描いた作品が多かったのは、カルビー賞の影響と思われます。現代ドラマには、地に足のついた等身大の高校生の姿が描かれていると感じた作品も選ばれていました。SFとホラーが混ざった作品も見られ、この二つは相性がいいのかもしれません。

 ショート部門では、現代ドラマが半分、のこりはSFやホラーなどのファンタジー作品が選ばれていました。

 個人的に好きな作品は「かえるもってかえる」です。数ある作品の中で本作は読後、読者は生きる力を現実世界に持って帰れる、そんな作品に感じました。

「残火」や「蝉と黄色いワンピース」は、等身大の高校生の様子が描かれているように受け取れました。それだけでなく、普遍的なメッセージも込められていて、万人受けするでしょう。

 昔話のような教訓を秘めた「鵜飼」は、物悲しくもあり、教科書に掲載されてもよさそうです。教科書が駄目なら絵本でもいいので、書籍で出してほしいものです。

 唯一、コロナ禍にふれた「全力で楽しめ‼」は、コロナによっていろいろなことが自粛される中での葛藤を描きながら、状況に関係なく、青春は一度きりだからこそ大切で、叫ばずにはいられない作品でした。

「僕の神話を君に捧げる」はラブコメな作品。何度振られても、彼女に気に入られるよう主人公は自分を磨いて成長し、振り向かせようと粉骨砕身の努力を惜しまない姿を描いています。ひたむきな前向きさで突き進む主人公の姿は読み手に、人は誰しもがむしゃらに前に向かって突き進むことしかできないことを思い起こさせてくれます。

「初期化」はSF作品で、人間に尽くすために造られたアンドロイドが、最後の人間が亡くなったことでアイデンティティーを失い、これからどうやって生きていけばいいのか苦悩する姿を描いています。機械でありながら人間らしく、コロナ禍にあってやりたいことが出来ず生きがいが奪われていく今だからこそ、考えさせられる作品に感じました。

「夢色パレット」の作品は、卒業式を迎えながら「青春は何故、青い春と表すのか」と考える作品。どこかで暮らしている高校生たちが、実際にこんなことを話しているんじゃないかしらん、そんな雰囲気を作品から受けました。


 ロング部門は文量が多いため、ショート以上に作者の個性がよく出ていて、じっくり読める作品が選ばれていました。現代ドラマに次いでファンタジー作品が多い印象です。東洋風ファンタジーが選ばれているのも特徴に挙げられます。

「檻の祈り」の作品は、東洋風ファンタジーです。ファンタジーといえば、異世界転生作品でも多く見られる西洋風ファンタジーが多い中、東洋風の世界観で描くところに作者はこだわられているのでしょう。個人的に東洋風ファンタジーが好きなので、本作が選ばれていて嬉しかったです。

「龍の祝福」のお話も、東洋風ファンタジーで日本昔ばなしみたいな御伽噺のように感じます。一時間くらいのアニメ映像で見てみたいと思える素敵な作品です。

「懸命に、アドニス」は、私が関西が好きなせいもあって、作品から感じる空気感が懐かしく、すごく惹かれました。神戸在住の漫画も思い出し、さらりと高校生が書かれていることに感心してしまいます。

 他殺や自殺の話も選ばれています。「樹林裏のアネクメーネ」の主人公は自殺遺体を発見したあと、自殺願望者と対話していきます。主人公の心のどこかにも不安を持っていたから、出会ったのかもしれません。主人公の鼓動は読み手にも作用し、踏みとどまるよう促す力があるように受け止められました。

「とある少年の話」は、人を殺めた同級生について取材した記者の作品で、証言してくれた人たちの文字起こしが綴られています。複数の視点から見なければ本当に何が起きていたのかを知ることは出来ないことを描いているところが素晴らしい。放っておいたら報道されたない問題を、記者が独自の調査や取材で掘り起こして明らかにする調査報道は、ジャーナリズムの重要な意味を考えさせてくれます。

「手のひらの記憶」は亡くなった彼と再会して別れる作品。かのひとに会いたいと願っている人ならば誰しも一度は夢をみて、言葉をかわしてみたいとおもいつつ思うように果たせない願望を、まさに描いて見せてくれています。

「ドロップアウト」は、自身の生涯を映像で振り返り、選択した結果再会して来世をともに過ごすという、小説でなければ描けない作品です。描写にもこだわりが見られていたので、映像で見てみたいとおもいました。主人公の自分の生き方を自分で見ながら振り返る様子が、感情が混ざらず客観的に描かれているところが凄い。こういう自身の半生を省みる作品は、コロナ禍で人に会う機会が減って自分を見つめ直す時間ができた現代の私達にはストレートに反応する作品です。

「音と色の絵筆」は友情を描いたファンタジー作品です。ブロマンスは応募作品内でも読んだことのないジャンルでした。これも涙を誘う素敵な作品でした。一時間ほどの絵本調のアニメで見てみたいとおもえる作品です。本来アニメは子供のためのもので、かつては心の肥やしになるような作品が描かれていたとおもいます。ぜひ、映像作品にして広く触れてもらいたいです。

「青に焦がれる境界線」は高校生バンドの作品でした。いわゆる立身出世の成功譚ものなので、階段を駆け上がっていくように進んでいくのが、読んでいて心地よかったです。メンバーを集うのも現代的だし、恋愛が絡んでないところがいいです。バンドが解散するのは人間関係が原因とよくいわれるので、そういう点が混ざってこないところが読んでいて清々しかったです。

「アンチマシーンの詩」もまたいい作品。アンドロイドが恋をして、告白の手助けをしつつ見守る主人公の姿が実によく書けています。アンドロイドを回収しようとする大人に叫ぶ「あんた保護者ならもっとちゃんと見てろよ! あんたの子供が今、いま……がんばってんだって……」というセリフは、作品の親であるすべての作家にも響くセリフではないでしょか。

 

 本当に素晴らしい作品が、今回選ばれました。

 応募しても、九割は落とされます。そこからさらに七割が落とされ、中間選考に残ったとしても、賞をとれるのはほんの一握り。どんなジャンルの賞においてもいえることです。

 それでも作品を書きたい人が世にあふれているのは、困難にこそ面白みがあるからでしょう。人生に障害があるたびに人は血をたぎらせ、闘志を燃やすのです。手軽にオリンピックの金メダルが手に入るなら、誰が欲しがるというのでしょうか。まさにそれと同じです。

 参加した高校生のみなさんのやる気に満ち満ちた作品を少しでも読めて、私は幸せでした。心より感謝申し上げます。ありがとうございました。


 今回読んできて改めておもったことは、文章の出来もさることながら、読者が作品の内容を味わえて、楽しめるかが大切だということ。これに尽きます。

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