【短編】この世界は存在しない〜山や川も全てが錯覚だ【読切】

猫海士ゲル

ビックバンなんてデタラメだ!!!

「先生、今日はお招き頂きありがとうございます」


ぼくは教授の部屋に招かれた。「気難しい」とか「変態」とか言われる、ようするに変わり者のセンセイの……その研究室に呼ばれたのだ。


「うん、今日は君とゆっくり語らいたくてね。論文、読んだよ」


論文、なんてレベルのものじゃない。おもいつきで書きなぐった創作を大学のWeb掲示板にあげただけの事だ。それをいろんな連中が面白がって騒いだ。称賛はない、むしろ怒られた。なかには「変な宗教に騙されているんじゃないのか」と心配してくれる友人もいた。


つまり大学というモラトリアムな空間における「暇つぶしの余興」そのものの存在に祀り上げられてしまった。


書いた内容は至極簡単、生命の「常識」についてだ。


曰く「あなたが、あなただと自覚している、その躰は本当にあなたですか?」というお話である。


「きみは生命工学を専攻していながら実にユニークな思考をする。いや、違うな。生物を学んだからこその疑問を素直に述べたのだろう」


「はい。そうですね」


「天文学の連中が大騒ぎしている姿が実に愉快だ」


気難しい人だとの印象はどうやら間違いのようだ。このセンセイ、何気にぼくに似ているな。


センセイは昔ながらの年季の入ったやかんに水を注ぐと電気コンロで温め始める。コーヒーでもご馳走してくれるつもりだろうか。


「天文学者という存在はに至極楽観的なものだよね。テレビタレントとしての知名度もあり世界中に熱狂的ファンがいたカール・セーガン博士までが「生命は条件さえ整えば必然的に発生する」と考えていた。また発生した生命は時間とともに進化するのが「当然だ」とも考えていた」


そうだ。実に馬鹿な、くだらない、無知蒙昧。


世界的に有名な天文学者ですらこれだ。


ぼくは椅子を勧められるとセンセイの後をつなぐように自身の考えを述べた。


「アミノ酸の混合物の中から特定のタンパク質が出来上がる確率は10の何百分の1という小さいもので、特定のDNAが形成される確率はもっと低い」


これを天文学者は理解していない。しかも生物として生きていけるよう組み合わされる確率となると、もはや絶望的なものと考えられる。


「うん、そうだね。天文学者の楽観主義は我々生命工学に身を捧げた者たちへの冒涜だよ」


 天文学者は二十億ドルの望遠鏡を覗き、二百億ドルの国家予算で運用されるNASAから様々な資料を提供してもらう。徹夜明けのコーヒーと退屈しのぎのチェス盤を傍らにハビタルゾーンの惑星を見つけては「我々は宇宙で孤独ではなかった」とはしゃぐ。大々的にテレビ会見してはニュースショーでヒーローのように賞賛される。


「我々生物学者はもっと冷静に物事を見つめる。なぜならば、科学者だからだ」


「天文学者はテレビタレントですね、センセイ」


「そこまで言っては可愛そうだろう。彼らが無邪気にはしゃいでくれれば大学へ入学してくれる若者も増える。学校も商売だから、学生は必要だよ」


そう言って笑った。


ぼくらは「生命の誕生は奇跡の繰り返しによってしか実現しない」ことを知っている。躰を構成する核酸や炭素、されにそれらがDNAに基づいて綿密に部品を作り上げる。プラモデルとは違う。自立し、自我を持ち──愛を知る。


「それで今日、君を呼んだのは聞きたいことがあってね」


「はい、なんでしょうか」


「はたして宇宙はビックバンによって誕生したというが、以来、知的生命が発生するに必要な時間は確保出来ていたのかね」


「……仰る意味が」


「つまりね、非常に高温高密度だった138億年前の原子宇宙が突如爆発、そこから大きく膨張を始めたとするビックバン。地球はそこから更に100億年もの年月を経て46億年ほど前に誕生した……わずか46億年前だ。しかも生命誕生は、そのさらに後だ」


ゴクリと息を飲んだ。ついに、ぼくの思考の核心をついてきた。


「これほど、わずかな時間でのは何故だ」


これはどういうことなのか?


我々人類は、生物学の常識からいえば「存在していない」ということになる。


研究室のやかんがお湯を吹いた。センセイが席を立ち火を止める。


「いつから我々はと考えるようになったのでしょうか。これが錯覚であると、ひょっとしたら誰かが見ている夢の中の世界ではないのかと考えられないでしょうか。むしろ生物学のからいえば「この世はすべて夢・幻である」と考える方が自然ではありませんか」


ぼくのトンデモ意見をまるで予見していたように「ふむ」と苦笑いで受け流しつつ、センセイは棚から大柄なカップ麺をふたつ取り出した。


「腹が減らないか」


いやいや、これではまるでトンデモ宗教ではないか。こんなもの科学じゃない、と教授から小馬鹿にされ始めたのだろう現実に危機感を覚えたぼくは、自らの「常識」こそ真理だと主張するためカップ麺にお湯を注ぐセンセイの後ろ姿に言葉を放った。


「世の中がビックバンなどというインチキ科学に踊らされているんです。あんなものありえない!」


天文学の「常識」に真っ向喧嘩を売ってしまった。


「ビックバンなどSF小説の世界です。天文学者はクラークやブラッドベリの読み過ぎで夢と現実の区別がつかなくなっているんです」


天文学者が言うように、本当にこの宇宙がビックバンによって誕生したのなら、今、我々はここに存在していない。せいぜいが真空を漂う微生物レベルのはずだ。それは今、見えている、感じているこの世が「実は微生物が見ている夢だった」現実ではない。そういう事になってしまうんだ、ありえない。


「ところで君は、クマバチをご存じかな」


「は?」


センセイは急に意味不明な質問をしてきた。


「地方によってはスズメバチをクマバチと呼ぶので混同されるが、むろんスズメバチではなくクマバチのことだ。この蜂はその名のとおり大きな体をしている。黒くて、一部に体毛まで生えている。まさに名は体を表すわけだが、性格は大人しくスズメバチのような獰猛さはない。ミツバチの巨大化バージョンというところだよ」


「はあ」


「この蜂は当然だが羽もある。この羽で空を飛ぶ。高速で羽ばたかせて飛ぶわけだが、しかしこの蜂の場合、羽がとても小さい。その大きな躰と釣り合いが取れていないのだ」


「ああ、聞いたことがあります。確か空気の粘膜で……」


「はは、それこそ君が言うところのビックバン・インチキ論者と大差ないぞ。クマバチは微生物じゃない。相応の質量を保つ昆虫だよ。だいたい、あのサイズの虫が全て空気層の粘膜なる物質で縦横無尽に空を飛べるなら、トンボや蝶があれほど大きな羽を持つ理由がない。クマバチなのだよ、躰のサイズに合わないほど小さな揚力しか生まない羽を羽ばたかせている昆虫は」


「つまり結論から言うとということですか。でも、ちゃんと飛んでいますよ」


「その通り。しかもクマバチくんたち、意外にも翔ぶのが上手いんだ。急上昇からホバリングによる制止、さっと横にスライドしてからくるりと回転ターン。まるで最新鋭の戦闘機のように華麗な機動力を魅せる」


「クマバチを除くすべての昆虫は航空理論上適した羽のサイズをしているのに、それが必要ないのなら、揚力を確保する理由がないのなら、なぜクマバチだけなのですか」


「答えは簡単だ」


「なんでしょう」


ゴクリと息を飲んだ。


「やはりクマバチの飛ぶ理由は根本の所では解明されていないということさ」


ズッコケた。


センセイはカップ麺をテーブルに置いた。芳しい香りがしている。


「赤いきつねと緑のたぬき」


「そう、これ美味しいんだよ。わたしは緑だ、きみは赤を食し給え」


「はあ、それは良いんですが……センセイのお話の意図がわかりません」


「つまりね、なぜ地球に山や川があり、生命にあふれ、知的生命体が文化を営むほど進化しているのか。根本のところでは何も解明されていない。クマバチが飛べる理由を問いただしても、空しい誤魔化しが返ってくる」


「なんか、センセイのお話は科学を全否定しているように聞こえますが」


「おや、君がそれを言うかね」


「我々の科学レベルはから見たら園児レベルなのかもしれませんね。生物学者も天文学者を笑えるほどモノを知っちゃいない」


「その通り。近頃世間を騒がしている「未確認飛行物体」や「未確認生物」の発見も同じ。宇宙の起源やブラックホールの謎、重力波やダークマターが実は存在していないのではないかとする疑問。相対性理論が間違っているとする新たな学説の登場。太古の昔に栄華を誇ったとされる恐竜にまつわるイメージの変容──わたしが大好きだった「ザ・恐竜」ティラノサウルスのイメージ画も様々な変更を遂げ、ついに羽毛に覆われた巨大な鶏になってしまったよ」


「我々人類は、わけのわからぬ世界に、わけのわからぬまま日々を暮らしている」


教授が緑のたぬきを美味そうに食べ始めたのをみて、ぼくも赤いきつねに口をつけた。温かいスープと柔らかな麺が喉を通るとしての存在感に躰が満たされる。


「うまい」


「人間は腹が減る。生きているからだ。胃に質量を伴う確かな物体が落ちて躰全体が満足感に浸る。幸せな気持ちになる。これだけはだよ」


「確かに、そうですよね……ところで、センセイ」


「なにかな」


「赤とか緑とか、これはどういう意味なんでしょう」


センセイは湯気に包まれながら、にんまりと優しい口調で呟いた。


「好奇心。それこそが人類を進化させる調味料だ……さあ君の番だよ」


いつの日か、この世の森羅万象が解き明かされるのか。水分で重くなった湯揚げを箸で突いていると後ろから誰かに呼ばれた。


「先生、お呼びでしょうか」


へ天文学に喧嘩を売ったと噂の院生がやってきた。それを笑顔で迎える。さあ、語ろうよ進化を。

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