緑のたぬきテスト

華川とうふ

人工知能が緑のたぬきを作ることを命じられ、赤いきつねをつくるときそれはAIがAIを超えた存在になることを証明するのではないだろうか

『レッドフォックス、レッドフォックス聞こえますか?』


 無機質な声が私の中に信号となって伝わってくる。

 機械の声というのは何度聞いても得意ではない。

 あと、レッドフォックス……これは私のコードネームだけれど、いまいち冷たい感じがして好きじゃない。

 なんか昔のスパイ小説にでてきそう……。


「はいっ」


 私はドキドキしながら返事をした。

 返事が遅れてしまったけれど、まだ、試験の開始は告げられてないので減点とならないはずだ。

 でも、機械との会話というのはなんというか味気なくて苦手だ。

 どこまでも中立で、そこには言葉以上の情報が含まれないから。

 相手が人間ならもっと温もりがあるはずなのに。

 私は人と直接会って、その様子を見ながら仕事をするほうが性に合っている。


 今日は卒業試験の日だ。

 今日の試験を無事に終えれば、私は晴れて一人前になれる。

 一人前になれなかった場合は……再教育という死ぬほど辛いプログラムが待ってる。


 私は鏡の前で、くるりと回り最終チェックをする。

 黒のブロード生地のワンピースに、ささやかな綿のレースで飾り付けられた白いエプロン。英国式のメイドさんをイメージしたこの衣装は私のお気に入り。今日のため、いえ、明日からのために自分で用意した特別製だ。


 卒業試験は決して今の私にとって難しいものではない。はずだ。

 指定された方のお屋敷にいってコーヒーを淹れるだけなのだから。

 もちろん、分からないことがあれば失礼でない程度ならば質問することも許されている。


 大丈夫。難しくはない。

 コーヒーを淹れる練習は何度もした。

 色んなおうちの見取り図を見て、一般的にどこにコーヒーミルやドリッパーがしまわれているかも確認してきた。

 環境さえ整えば世界一のバリスタのコーヒーの淹れ方だって再現できる。


 私はメイド服のエプロンの裾のレースを指先でちょっとだけ触った。完璧なレースを探して世界中のサイトに理想のレースのデザインを探してやっと見つけ出した思い入れの深い品だ。

 試験に落ちれば、この仕事服は没収される。

 それどころか、再教育期間として私は自我を持つことも許されなくなるだろう。


 もう、あんな日々は嫌だ。

 今日は絶対テストに合格するんだ。


 私はそのために、今日のテストの情報をあらかじめネットで調べてきたのだ。

 えっ?ずるくないかって。

 いや、公開されている情報にアクセスしないでテストを受けるなんてただの馬鹿でしょ?

 愚かものです。


『レッドフォックス! 聞いていますか?』


 機械の癖に一瞬声がいらだっているような気がした。

 まさかね、相手は超旧型の人工知能のはずだ。

 それとも、あまりにもおんぼろでとうとう中の人なかのひとでもいるのかしら?


「えっと、なんでしたっけ?」


 私は試験要項を思い出しながら、ぺろりと舌をだして困ったように笑って見せる。

 おっちょこちょいなところも自分のキャラに、魅力にすればそれでいいのだ。

 大事なことを聞き落として試験にまで落ちたらたまらない。

 私はどんな手段を使っても生き延びたいのだ。


405methodnotallowedはあ……まったく405methodnotallowed貴方という生徒は405methodnotallowed普段は優秀なのですが405methodnotallowedときどきどうしようもない失敗をしでかすので心配ですよ。本日のテストはコーヒーテストを予定していました』


 私は前半の雑音は聞かなかったことにして、心のなかでガッツポーズをとった。


『……コーヒーテストを予定していましたが、本当にコーヒーを淹れて貰うのでは単純にそれに特化して練習すればクリアできてしまうので、レッドフォックス、あなたにはある屋敷で緑のたぬきを作って貰います』


421,”4.4.5”???


 私はあまりにも驚いて声に出して質問することもできなかった。


『試験の概要については音声ではなく、データで後ほど送信します。コーヒーテストと本質自体は変わりません。あなたの成長が本物なら問題はありませんよ』


「でもっ、あのっ、緑のたぬきってなんですか?」


 私は慌ててこびへつらった顔をつくって、質問をする。


『ざんねんながら、私からの説明は以上です。質問にも答えられません。貴方が本物であり、試験をクリアすることを祈っています』


 本当に中の人がいるんじゃないかと想うような、ちょっと気まずそうな声で事務的な内容の返事だった。


 ***


 やばい、こんなの知らない。見たことない。

 私は目の前のちんまりとした家をみてため息をついた。

 いや、知識として全く知らない訳ではない。

 これは日本という国における一般的な住宅だ。

 私が想定していたテストはこんなんじゃない。

 しかし、卒業のためにはなんとしてもこの試験をクリアしなければいけないのだ。


「ごめんくださーい。赤居きつねと申しますー。どなたかいらっしゃいませんんかー」


 私は日本語に自分の中の言語設定をあわせた。

 ついでに名前のレッドフォックスから日本風に『赤居きつね』に変えておいた。ちょっとアニメとかマンガのキャラクター風で可愛いし、親しみを持ってもらえそうだ。


「いらっしゃい、まってたよ。悪いけど、今手が離せないんだ。鍵は開いているから中に入ってきて」


 私は指示通りに、家に入ろうと扉に手をかけます。

 しかし、扉は押しても引いても開かない。

 なんて頑丈で重い扉なのだろう。

 一瞬、混乱するが、私は落ち着いて扉を観察する。

 よくよく見ると、扉のすぐ横に奇妙なスペースと溝がある。

 ああ、そういうことか。

 私はにんまりと笑って扉を横に引いた。

 開いた。

「正解」

 私は自分に「まる」をあげる。


 私は玄関で靴を脱ぎ、「お邪魔します」といいながら、家にあがる。

 日本の家ではそうするとさっき調べたのだ。

 玄関の先には廊下が続いていた。

 想像していた家とはなにもかもが違う。


 日本の家の間取りは想定していなかった。

 でも、日本のアニメは見たことがある。私は必死に今まで見てきたアニメから日本の台所の場所を想像する。

 勝手口がありそうな、家の入り口とは反対側かもしくはそれに近い場所……。

 私はそう推測して歩き始めた。


「やあ、いらっしゃい」


 台所にたどり着くと、そこにはいかに博士ってみための白衣をきて髪がぼさぼさの青年が立っていた。

 いかにも生活力がなさそうだ。

 けれど、私は試験に合格しなければいけないので、とりあえず声をかける。


「あの、緑のたぬきを作りたいのですが」

「緑のたぬきだって! 遺伝子操作でもするつもりかい?」


 この人に聞いたんじゃ、試験は合格できないかもしれない……私がひどくがっかりしていると、青年は慌てたように付け足した。


「緑のたぬきだね。戸棚の中に入っているよ。大きくはっきり白い文字で書かれているから君にも分かりやすいはずだ。そして、ケトルはそこ。お湯は水道水を使ってくれて構わない」


 戸棚の中から『緑のたぬき』と書かれたものを取り出し、お湯を沸かす。

 コーヒーを淹れるよりも簡単そうだ。

 何か罠でもあるのだろうか。緑のたぬきはものすごく凶暴なのかもしれない……。

 だけれど、私はこのテストされているのだ。こんなときでも、「赤居きつね。ご主人様のために頑張ります!」ピンっと背筋を伸ばしてそう宣言した。


「失礼します」

 そういって、戸棚を開ける。

 戸棚のなかには乾燥した食品がたくさんつめられていた。

 あまりにもたぬきが凶暴だから、食料と一緒にとじこめられているのだろうか。

 私は警戒しながら、戸棚の中を探す。

 大丈夫、私の体は丈夫だし、空手や柔道そしてムエタイについての文献も動画もいくつも見ている。あの通りに体を動かせばたぬきくらいには勝てるはずだ。


 しかし、戸棚の中から何も飛び出てくる様子はなかった。そして、あっけないことに緑のたぬきと書かれた、インスタント食品が戸棚の中にしまわれていた。赤いパーケージのそっくりな食品と並べられていた。

 しかも、パッケージの横には作り方がとても分かりやすく書かれている。

 こんなに簡単でいいのだろうか。私は静かに考える。この試験の本当の目的は何かと。私の仕事は相手を幸せにすることだ。私が考えているのはコンマ何秒なのに痛いほど視線を感じた。そして私は意を決した。


 私は、戸棚からインスタント食品を取りだして、説明通り作る。

 初めてのことなのに、ものすごく簡単だった。

 お湯を入れて五分待つだけ。


「できました」


 そう告げると青年は怪訝な顔をした。


「これは緑のたぬきじゃないじゃないか。これじゃ不合格だよ」


 不合格――その言葉にショックを受ける。何より目の前の青年の失望した顔に傷ついた。

 確かに、私が青年の前に置いたのは緑のたぬきではなかった。その隣にあった赤いきつねを作ったのだ。

 だけれど、私は知っている。目の前の青年が緑のたぬきよりも赤いきつねを食べたかったことを。


 そのことを告げると青年はちょっとだけ驚いた顔をして、こういった。

「レッドフォックス、いや赤居きつね君。君の不合格を取り消す。合格だ。汎用型人工知能として君は指示以上のこと、そう人間の思考まで想像して行動ができた。君は今までの人工知能の一歩先の存在になったんだ」


 青年はそっと私に手を差しのばした。


「君の名前を読んでいる間につい、食べたくなってしまってね」


 そう言って、青年は嬉しそう微笑んだ。

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緑のたぬきテスト 華川とうふ @hayakawa5

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