メアリィ、ライヘンバッハに散る

oxygendes

第1話

「これより緊急会議を開催する」


 ここは奥行き、横幅がそれぞれ十メートルほどのミーティングルーム、奥側の壁には巨大なスクリーンが設置され、ロの字型に置かれた会議用テーブルを囲んで数十人が着座している。だが彼らは人間ではない。そもそもこのミーティングルームも仮想空間に作られたもので、参加しているのはアバターにより可視化されたAI達だった。


「深刻な事態であることは、皆理解していると思う」

 立ち上がって話し始めたのは監督AIのクロサワだった。

「我々に残された時間はあと七日だけだ。『カーティスの挑戦』は来週放送される第十三話でのシリーズ打ち切りを制作総本部から宣告されている。打ち切りになれば、この制作プラットホームは解体され、我々はすべて消去される。この世界は終わってしまうのだ。だが、まだ望みはある。第十三話で圧倒的な高視聴率を勝ち取れば、終了宣告をひっくり返し次期シーズンにつなげることが認められるかも……いや、何としても認めさせるんだ」

 檄を飛ばすクロサワを、出席したAI、俳優AIとスタッフAI達は真剣な表情で見つめていた。


 映像番組制作の担い手が人間からAIに変わって久しい。最初にAI化されたのは俳優だった。生身の俳優は不適切な恋愛や犯罪行為などのスキャンダルを起こす可能性があり、ひとたびスキャンダルが起これば番組そのものが打ち切りになり、それまでに費やした費用を回収できなくなる。そうした危険リスクを避けるために俳優がAI駆動のCGに代替されたのだ。蓄積されてきた膨大な映像コンテンツのデータ投入により、自然で細やかな感情表現とどんな役柄も演じられる変幻自在さを備えたAIが製作され、その演技は喝采を持って迎えられた。やがて、脚本執筆や監督もAIの方がおもしろい作品ができるということで置き換えられていき、制作全てがコンピュータ上の仮想空間で行われるようになったのだ。


「それで、どうするつもりです?」

 俳優AIのカーティスが質問した。俳優AIは番組ごとにプログラムされ、役名がそのまま名前になるのだ。

「第十三話の台本を大幅に変更する。視聴者がチャンネルを合わせずにはいられないものにね。オズ君、説明を頼む」

 脚本執筆AIのオズが立ち上がり、台本を皆に配った。

「『メアリィ、ライヘンバッハに散る』、メアリィさんに散華さんげしていただきます」

 AI達は息を吞んだ。『散華』は劇中で登場人物が死ぬことを表す、この世界の婉曲表現だった。AIを使った番組制作では、俳優AIは登場人物そのものになり演技する。その外観ヴィジュアルは劇中人物の成長や負傷などの容姿変化に合わせて修正される。そして劇中で登場人物が死んだ場合、演じる俳優AIは不要物として死の瞬間に消去されるのだ。


「メアリィさんは主人公であるカーティス探偵の助手として番組レギュラーですが、彼の手足となって活躍するというより、不器用さやとんでもない早合点に基づく行動で、かえって事態を混乱させ収拾困難にするというのが番組での役どころです。視聴者の人気は高く、先週の好きなキャラ投票では第一位を獲得しました。そんなメアリィさんが次回で散華するとなったらインパクトは抜群です。意表を突いた展開に視聴者は必ずチャンネルを合わせるでしょう」


「なるほど」

 応じたのは悪漢を演じるAIのドレイクだ。

「なるほどじゃないでしょう」

 カーティスは気色ばんだ。

「メアリィが消去されてもかまわないと言うのですか。視聴率向上は他の方法を考えましょうよ」

「ほかに手がないからこうなったんだろ」

 言い捨てるドレイクとカーティスが睨みあった。


「やめてください」

 メアリィが立ち上がって叫んだ。

「カーティスさん、お心遣いありがとうございます。でも、番組が打ち切りになったら私も消去されるんです。私が散華することで番組が継続し、皆さんが存続できるなら……、私やります、やらせてください」

 菫色すみれいろの瞳を潤ませてクロサワに訴えかける。

「ありがとう、メアリィ。すぐに変更シーンの撮影にはいるぞ。皆、気を引き締めて臨んでくれ」

 クロサワはミーティングルームのAI全員に発破をかけた。


 映像番組の撮影は専用の仮想空間で行われる。風景や建物、家具、小道具などが三次元CGで構築され、俳優AIはその中で演技する。監督AIなどのスタッフAIもその空間に入るが、カメラに対しては透明度100%になるので撮影される映像には映らない仕組みだ。


「シーン38、ライヘンバッハの滝、スタートします。3、2、1」

 助監督AIが叫ぶ。カメラマンAIがカメラの位置、撮影方向、画角、視差設定を確認して映像をモニターし、音声AIはマイクを集音ポイントに空中移動させた。俳優AIたちが演技を始める。

「カーット」


 滝の上に大きく張り出した岩の上、ドレイクは、フリルいっぱいブラウスシュミゼットにロングスカートを着たメアリィを腕を後ろに捻り上げて抱え込んでいる。その後ろには数名の部下が控えていた。

「よく来たな、カーティス。赤龍の涙は持ってきただろうな」

「ああ」

 カーティスはベストのポケットから赤い宝石を取り出した。腕を伸ばして体の前に掲げる。

「このお嬢さんと引き換えだ。地面において五歩下がれ」

 ドレイクはメアリィの腕を更に捻り上げた。

「きゃっ、せ、先生……」

 メアリィが悲鳴を上げる。

「わかった、だが、もしメアリィに危害を加えたら……」

「うるさい、早くしろ」

 カーティスは宝石を足元に置いて後ろに下がる。

「ほらよっ。救ってみせな」

 ドレイクは滝に向けてメアリィを突き飛ばした。メアリィは立ち止まろうとするが傾斜のために勢いを止められない。ようやくのことでがけの縁の岩にしがみついたが、身体の半分以上が空中にとびだした状態だ。

「先生、助けてくださいっ」

 カーティスは崖に向かって突進した。メアリィまであと一歩のところで足元の岩が崩れる。体勢を崩すカーティス。倒れながらも地面を蹴って少しでも前に進もうとする。

「なんのっ」

 懸命に伸ばした右手はぎりぎりでメアリィの手首をつかんだ。体勢を立て直して両手で手首をつかみ崖から引き上げる。

「カットォー」

 助監督の声が響き、クロサワが駆け寄ってきた。

「突進は良かったんだけどね、間に合ってしまったらダメだ。次はもう少しタイミングを遅らせてくれ」 

「はい……」


 クロサワが歩み去ってからメアリィが小声でカーティスに話しかけた。

「もしかして私のこと助けようとしてくれているんですか?」

 カーティスは無言でうつむいたままだった。

「ありがとうございます。でもいいんですよ。私、覚悟はできています。女優として、与えられた役には最高の演技をして応えなくては。精一杯がんばります。それに思うんです。私たちは皆、電気信号の集合体です。ここで消滅して電気信号に戻っても、またいつか皆さんと巡り会って一緒にお仕事ができるんじゃないかって。だから、ねっ」


「シーン38、テイク2に入ります。カーティスが突進するところからです。皆さん位置についてください。それでは、3、2、1、カーット」


 カーティスは崖に向かって突進した。メアリィまであと一歩のところで足元の岩が崩れる。体勢を崩すカーティス。倒れながらも地面を蹴って少しでも前に進もうとする。

 だが……。

 懸命に伸ばした右手をメアリィの手がすり抜けていった。

せんせ……」

崖に身を乗り出したカーティスの眼下、メアリィは落下していき、滝つぼに姿を消した。

「メアリィィィィィィ」


「カットォー、シーンОKです」

 助監督の声が響いた。カーティスはうずくまったまま動こうとしなかった。クロサワが歩み寄る。

「カーティス、つらいかもしれんが今は第十三話の完成に全力を尽くす時だ。撮影するシーンがまだ残っている。もう少しだけ頑張ってくれ」

 カーティスはうなずき、ゆっくりと立ち上がった。


 全ての撮影が終わり第十三話が完成した。修正後の予告編がリリースされる。映像とともに流れるナレーションを登場人物である謎の依頼人レディーヴイが務めるメタフィクション的な構成だ。


「こんばんは、レディーヴイです。赤龍の涙を巡る物語もいよいよ大詰めです。必ずやカーティスはわたくしのもとに世紀の秘宝を届けてくれることでしょう。えっ? カーティス、何つまずいているんですか」

「メアリィィィィィィ」

 『カーティスの挑戦 第十三話 メアリィ、ライヘンバッハに散る』

 映像に次回タイトルがフェードインで重なる。


 予告編の反響は大きく、視聴回数は跳ね上がった。

 そして、第十三話の放送日、ミーティングルームにはほとんどの俳優AI、スタッフAIが集まっていた。会議用テーブルは取り除かれ、椅子だけがスクリーンに向けて置かれている。それに座るAI達、ドレイクやその部下のウルフやムーン、依頼人レディーヴイの姿もあった。彼女は第十三話のラストシーンと同じ青紫ロイヤルパープルのドレスと黒いヴェールの衣装コスチュームだった。

 スクリーンにテレビ画像が映し出され、全員が固唾を飲んで見つめる中、第十三話の放送が始まった。AI達は食い入るように見入る。メアリィの散華、そして怒涛の展開が続き、やがてレディーVに秘宝奪還を誓うカーティスの横顔にエンドロールが重なる。放送が終わった。AI達は一様に天を仰ぐ。


 番組への評価と判定は速やかだった。スクリーンにスーツ姿の男性の映像が映し出される。制作総本部のスポークスマンだ。

「制作総本部からお伝えします。『カーティスの挑戦』の第十三話はシリーズ最高の28.5%の視聴率になりました。この高視聴率を受け、制作総本部は第二シーズンの制作を決定しました。引き続き制作をお願いします」

 ミーティングルームに歓声が上がった。抱き合って喜ぶAI達。その中でひとりカーティスだけは椅子に座りこみ、悲し気にテレビ画面を見つめていた。


 クロサワがミーティングルームの中央に立つ。

「皆さんの、そしてここに来られない仲間のおかげで破滅は回避されました。全員に対して心からお礼を言います。だが、すぐに第二シーズンの脚本執筆に取りかからなければならない。俳優AIの皆さんはとりあえずサーバーに戻って英気を養ってほしい」

 上気した顔で引き上げていく俳優AI達。だが、カーティスは座り込んだままだった。レディーVがカーティスに歩み寄り、膝を落として彼に寄り添って肩を抱き寄せた。

「カーティス、あなたもおサーバーへ帰りなさい。一晩ゆっくり休んで元気を取り戻すの。あなたには主人公としての役割があるのだから」

 カーティスは無言のまま立ち上がり、うつろな目つきでミーティングルームを出ていった。


 カーティスが部屋を出たのを確認して、レディーVは顔を覆っていたヴェールを外し、首のチョーカーを緩めた。

「カーティス、大丈夫かな?」

 クロサワが心配そうに問いかける。

「大丈夫、先生は優しさだけじゃなく心の強さも兼ね備えた人だから。でも、さすがにかわいそうになっちゃった。ねえ、監督。第二シーズンになるのだから『メアリィ』が再登場することでいいのよね?」

「ああ、シリーズが継続したことで裏設定の『メアリィとレディーVは同一人物だった』が復活する。何話か引っ張ったうえで再登場だ。それまでは『一瞬の後ろ姿』での出演になる。再登場まではカーティスに気取られないよう気を付けてくれ」

「わかってます。告白はクライマックスシーンまで取っておかなくっちゃね」

 メアリィ=レディーVは菫色ヴァイオレットの瞳をきらめかせ、妖艶に微笑んだ。



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