四国へのプロット

naka-motoo

四国にあこがれます

 わたしはプロットを書いたことがありません。

 

 通常わたしはプロットを書かず、長編小説も短編小説も両親の介護をする実家の台所のステンレスの天板で料理をしながらいきなり本編を書いてきました。


 けれどもある長編小説の中に主人公が四国へ行くエピソードかセクションをどうしても入れたくなり、四国限定で書くとしたらばある程度は四国の深い情景などを勉強しないといけない、どうせならばプロットを書きながら勉強すればいいんではないかな、と思ったんです。


 さらに言えば、そのプロットそのものをエッセイのようにしてしまえば一石二鳥ではないかな、と。


 変でしょうか?


 ところでわたしは前職で四国へ行ったことがあります。一度目は正確には前職の内定が決まって就職する少し前です。わたしが生前遭えなかった恩人に縁の深いおばあさんが「日本は海に囲まれた国で海の幸や船での航海安全がどの国よりも重要だから、社会人になるにあたって『こんぴらさん』にお参りしなさい」と教えてくれたんです。


 飛行機に乗ったのは高松空港へ降り立ったのが人生初でした。空港に着くなりうどんをいただきました。以後、滞在中の食じは全てうどんにしてしまったぐらいに美味しかったことを思い出します。


 長い石段を登って辿り着いたこんぴらさんの頂上から確か瀬戸内海を観たような記憶があります。

 その時の記憶を『ゆかりフォーメーション』なんかのいくつかの小説に散りばめました。


 そして今にして思えばわたしは当時から既にひどい厨二病だったと思うのですが、こんぴらさんの参拝が終わったあとの帰りの飛行機を松山空港からにしていました。

 愛媛の松山までの移動は青春18きっぷを使って。


「あての無い旅をしたいな」


 こういう厨二病です。


 けれどもこの過程でとても重要な出会いがありました。

 

 移動する各駅停車の電車の窓から小高い山が前方に見えてきて、『あの山に登りたいな』とどうしてか思ったんです。

 そのまま次の駅で下りて当時スマホもなにもありませんので、ここがどこかもわからず、ただ山がある方向を目指して歩き始めました。

 

 多分香川と愛媛のちょうど県境あたりだったのではないかな、と思います。山の麓に着いてなんとなくこっちかな、という方に歩いていくと里山なんですけれども道がすごくはっきりしていて、林の中に午後の強い日差しがカンカンと差し込んできていました。


 中腹あたりまで歩くと鳥居がありました。

 神社の参道だったようです。

 でも、誰もいないんです。


 どこにあるのか分からないですけれども、野外用のスピーカーが設置されているようで、雅楽が流れていました。参拝する方とも結局出会わないまま神社の山を登り、その後は記憶がはっきりしないのですけれども、雅楽が流れる中、やっぱりきらめいている瀬戸内海を木々の隙間から、けれども明るい展望だなあと感じながら見下ろしたように思います。

 この神社の名前もわからず、多分調べればわかるのでしょうけれども、少し謎めいたままに敢えて自分の中にとどめておいて、この時の記憶を『日月(にちげつ)の交わり』という長編の重要なエピソードとして織り込みました。


 二度目の四国は前職に勤め始めてからの出張でした。


 高知県です。


 仕事が終わったその夜に、とても大きな宴席に招かれてびっくりしました。


 みなさん、お酒がお強いです!


 わたしも何度も日本酒を注いでいただきましたけれども(あまり飲めずお断りする場面が多く大変失礼したように思いますが)いわゆる、献杯と返杯、というのをやっておられました。

 その席には出て来なかったんですけれどもお話によると円錐形のような(多分ベーゴマのような)形をした盃があって、つまりテーブルに置くことができないので、延々とお酒を注いで飲み干してまた返した盃に注いで飲み干して…と繰り返すらしいです。

 とても寡黙なお取引先の課長さんがわたしを気遣ってこれを食べなさいこれも食べなさい、とおっしゃってくださり、なんでもその日の朝に上がった鯨も確かお刺身でいただいたように思います。


 と、完全に脱線してしまっていますけれども、プロットでしたね。


 こんな感じで考えています。


・ 四国は『弘法大師さまの地である』(日月の交わりにもこういう表現をしました)

・ お遍路を超高速で行う

・ 超高速で行うにあたっての凄腕観光タクシー運転手がいる

・ 運転手の名前は、『モヤ』

・ 運転手は、女子


と、ここまで書いて補足ですけれども、わたしは「醜い花」という小説で主人公の親友を演じてくれた『モヤ』というキャラがとても好きで、いつか別の小説に登場させたいと思っていたんです。


 続けます。


・ なぜお遍路さんでタクシーか?→わたしの恩人と縁の深いおばあさまが四国八十八ヶ所をお参りしたいと半ば使命感を持って願ったけれどもご高齢でありタクシー以外の徒歩などの手段は難しかったから。

・ そもそもなぜ四国か?→さっき書いた通り四国八十八ヶ所は弘法大師空海さまが修行して歩き開いた場所であり、『虚空蔵求聞持法』という虚空蔵菩薩さまの真言を百万遍称える厳しい行を満了して結果無類の記憶力を授かって遣唐使として唐へわたり密教を日本に持ち帰られたという重要な土地だから。

・ なぜ弘法大師さまか?→わたしの恩人が『ホンモノ』だから。

・ 恩人がホンモノのなんだというのだ?→ホンモノの仏で、人間として現世にあった時、法然上人さまや親鸞聖人さまと言った念仏を旨とする聖賢豪傑たちを好み、特に聖徳太子さまと弘法大師さまのご功績を日本という国の国柄の礎と捉えていたから。



 もはやプロットでもなんでもなくなってきましたけれども、わたしにはこういう抑えきれない思いがあって『四国編』を書くにあたってはお遍路さんとしての訪問はできなかった四国をわたし自身が巡らせていただくようなつもりで書けたらいいなあ、と思っているんです。


 実はこれは別に書いている『マニアック』という小説も似たような感覚を持っていて、やっぱり前職でわたしはベトナムへ出張したことがあるのですがその際に恩人と縁が深いそのおばあさまは、「ベトナムへ行ったら写真をいっぱい撮っておいで。必ずあなたの将来につながるから」と言ってくれた記憶があるからです。『マニアック』もほんのしばらくの滞在だったベトナムを今一度わたしが訪問する気持ちで書いてみようと思っているのですが…書いている真っ最中にうつ病になってしまって遅れている状況です^^;


 ただ、「日月(にちげつ)の交わり」に主人公の賢人とヒロインの翡翠がベトナムへ旅行するエピソードがあり、その中で市場の野菜を指して『色が濃い』というわたしにとっての多分将来につながるんだろうな、という描写をさせていただきました。


 ところでこれってプロットになっていますか?


 プロット書いたことがないのでまったくイメージが湧かないものですから。

 

 わたしは仕事と舅・姑との同居生活と実家の両親の介護をする中で、小説というものは隙間時間、それこそさっきの台所のステンレスの天板でスマホで書くように煮物を煮ている待ち時間の数分間に細切れで書かざるを得ませんでしたので、全て脳内で、しかも時間がありませんから上記の日常生活すべてを小説に結びつけて脳内でキャラたちのセリフを自分が実生活で話すとしたらどうだろうかとシミュレートそれどころかお客様と面談する際も小説の主人公が言ったセリフそのままを応用してプレゼンしたり、などという本来の意味での厨二病ぶりなんです。


 厨二病に本来も何もないかもしれませんけれども。


 あの、もう一度お訊きするのですが、これってプロットの体をなしていますか?


 わたし自身はこれを書いている瞬間にやっぱり脳内でどんどん発想やら考えやらが焼き付けられていっているので自分なりにこのプロットを書いてみるという試みは成功だったと思っているのですけれども…^^;


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