きつねにつままれた13年でした。

肥前ロンズ

とあるご家庭のお話

 タンスにしまい込まれた洋服。台所用品。勉強道具。家電。本。裁縫道具。

 引っ越したときはほとんど何もない状態でやって来たのに、何時からこんなにも物が増えたのだろう。


「これ、まだ取っていたの?」


 そう言ってメイが取り出すのは、小さいころに着ていたワンピースだ。

 アニメのプリンセスが着ていたドレスに似せた、シースルーの布でフリルをたくさん作ったやつ。俺が初めてメイのために作ったものだった。


「持っていくの?」

「ああ。俺の初作品だしな」


 そう言って、畳んで段ボールに詰め込む。


「……じゃあ、これは?」


 メイがペラ、と取り出したのは、メイが昔描いた絵だ。俺の似顔絵から、メイが好きだったキャラクターのイラスト、誕生日や記念日に送ってくれた手紙の数々。


「やだ、これ腕折れてるじゃん! 首もないし! 捨ててよー!」

「やだよ俺のだもん。あ、あと昔、お前が書いてくれた小説もあるぞ」


 そう言って取り出したるは、真っ黒の表紙の大学ノート。


「序章で止まっている奴。選ばれた片翼がもげた堕天使の続き、もう書かないのか?」

「黒歴史じゃん‼」


 メイが顔を真っ赤にして捨てて! 読むな! と叫ぶが、俺は面白いと思うので取っておく。

 溜め込まれた作品の中には、学校で受賞したものも数多く存在した。それらの賞状もとってある。

 だがその中には、腹立たしいエピソードもあった。

 メイが小学校二年生の時だ。夏休みの自由研究でメイは絵を提出したのだが、あろうことか担任はその作品を紛失したのだ。メイは大会に出すために、もう一度描くことになった。



「学校に押しかけて、先生にブチ切れた時にはびっくりしたよ~」

「生徒の作品を無くすとか、教師としてない」



 おかげで一年、担任から怯えられっぱなしだったが。親にはビクビク顔色を窺っておきながら、子ども相手なら適当に謝っておけばいいと言う態度が気に喰わない。

 そのほかにも、『絵ばっかり描くから協調性がない』だの、『本ばかり読むから内気』だの言った担任もいた。うるせぇうちの子は誰よりも優しいっちゅーの。いまだに俺は、メイが人の悪口を言ったところを見たことがない。まああまり、人から悪く言われても気にしない性質だったとも言う。

『私が悪くないことは、私が知っておけばいいんだよ』とあっさり言ってしまうメイの度量には、すぐカッとなって人間関係を破壊する俺としては平伏するしかない。


 そんなメイだったが、小学校高学年になると、暗い顔をすることも増えた。『もう中学生になるんだし』という理由で宿題の量を倍に増やされ、『したいことがあるなら、まずしなければならないことをやりなさい』と担任に言われて、絵や読書から離れていった時のことだ。

 ストレスからなのか、それとも自傷行為だったのか。みみず腫れや血が止まらず、皮膚科にも行った。ボロボロになっていくメイを見て、どうしてあげればいいのかオロオロしていた。

 俺は、メイが望んでいることをかなえてやることは出来ても、望みがわからないメイの気持ちを察することは出来なかった。

 結局メイは、自分の力で立ち直ったのだが。


「ねー、ねーってば!」


 白昼夢のように昔を思い出していると、メイが台所から声をかけてきた。

 そろそろお昼ご飯にしよう、ということで、メイがカップ麺を取り出しているところだった。


「きつねとたぬき、どっちが良いのー」

「あー、じゃあ、きつねで」


 俺の回答を聞いて、わかった、とメイ。

 すぐに『赤いきつね』二つと、赤い電気ケトルを持ってきた。

 ビリビリと蓋を半分に開け、入っていたかやくスープを破る。そして固まった麵の上にかけた。そこにメイが、沸騰したお湯を注ぐ。

 モクモクと狭い部屋に漂う湯気に、俺はなんだか夢を見ているようだった。






「じゃあ、改めて。――美大合格おめでとう、姪」

「改めて。――結婚おめでとう、叔父さん」





 互いの門出を祝う料理が、カップ麺だとは笑える。

 既にメイ――姪の引っ越し準備は済んでおり、明日には新しい住居へ旅立つ。

 なのに俺の引っ越し準備が整っていなかったのだから、姪が呆れるわけだ。



「本当に俺が手伝いに行かなくていいのか?」

「いいよ。自分でやった方が早いし」



 そう言われてはぐうの音も出ない。むしろ手伝ってもらっている身。

 友達も手伝ってくれるから、という言葉に、おれはそうか、と答えた。引っ越しの手伝いを頼める友達が出来たのだと、嬉しくなった。



 姉はシングルマザーの母に暴言や暴力を吐くことが多く、俺ともそりが合わなかった。姉が家出してからは殆ど縁を切ったようなものだ。


 再会した場所は、母の葬式だった。


 喪服を着る姉の右手には、一切自分の方を見ない母親に向かって、必死に腕を伸ばして掴んでいた娘の姿があった。――それが姪だ。姉は母の死を悼むよりもまず、俺に遺産相続の話を持ち掛けた。娘がいるから、俺に相続を放棄してほしいと。

 普通は怒るところだった。すぐにカッとなる俺ならなおさら。ましてや、あいては嫌いな姉貴である。だが、出てきたのは乾いた笑い声だった。

 姉が俺たちの近況を知らないように、俺たちも姉の近況なんて知らなかった。それなのに、母は姉のために口座を残していた。『結婚しているかも』『子供が出来ているかも』と。……母は姉を切り捨てることが出来なかったのだ。

 あの通帳が、母親の無償の愛だとでも言うのか。何時でも母の味方をして、母を庇って姉を憎んだ俺の気持ちはどうなる。

 そして、そんな母を嘲笑うかのように、姉は自分の娘に対して冷酷だった。何時だって自分が被害者の姉は、すべての不幸を周囲のせいにしたが、母親になってそれに拍車をかけた。自分にお金がないのも、自分の時間が持てないのも、新しい恋人が出来ないのも、全部姪のせいにした。

 だから俺は言った。『じゃあ俺が育てるよ』と。

 なぜそう言ったのか、俺にもわからない。何かが乗り移ったように、口が勝手に動いた。


 ……数日後、あの時言い切ってしまった自分の言動に後悔することになるが。

 子育ては、マジでヤバイ。覚えることが多すぎて、半分意識が飛んでいたと思う。とにかく一瞬の油断が命取り。何食べさせていいのか何を着せりゃいいのかわからん。まずあまり意思表示しない子だったから、何が好きなのかもわからなかった。

 ある程度自我が育つと、急にサランラップの芯が明日までに欲しいとか言うし、体操服忘れたから持って来てとか言うし、一端に口うるさくモノを言うし、かと思えば辛かったことは口にしない。その様子に、気をもむことも多かった。

 ……気付けば姪は、自分で教育し自分の力で立ち直るようになっていた。俺はその環境を整えたにすぎない。しかも、その環境ですら、他者の力がなかったら出来なかった。



 ほとんど何もしてやれなかったな。そう言うと姪は、「そんなことないよ」と言う。


「叔父さん、帰って来てからすぐにご飯くれたじゃん」

「カップ麺だけどな」

 あの時はマジで何もなくて、出せるものと言えばカップ麺だった。


「初めての時も『チュルチュル』だったね」


 姪は幼い頃、『赤いきつね』のことを「チュルチュル」と呼んでいた。

「チュルチュル食べたい」と言ったら、俺は電気ケトルでお湯をわかす。その間、姪はダンボールから『赤いきつね』を出す。

 そうして二人で食べた。


「すごく嬉しかったよ。お腹がすいたって言ったら、すぐに出てきたんだもん」


 そのうち、この人は大丈夫って、思えたの。

 ……そう言って微笑む姪は、それ以上何も言わなかった。



 きっと姪は、まだ俺に告げていない想いが、沢山あるのだろう。

 何時か、抱えていたことを話せるようになったらいい。



    ■



 そうして、姪は旅立って行った。『部屋が片付いたら遊びに来てね』と言い残して、あっさりと。

 長年住んだ住処と別れることに、思うことが沢山あったから、儀式めいたことをしたくなかったんだろう。

 俺は魂が抜けたように座り込んでいた。何かを作る気力もなく、目の前にあった『赤いきつね』を開ける。

 閉まらない蓋をどうしようかと考え……るのも面倒くさいので、タイマー兼重しとしてスマホを乗せた。



 怒涛の十三年間は、最初から最後まできつねにつままれたような時間だった。

 その中で思い出すのは、姪が『美大に通いたい』と言い出せずにいることを知った時。


『だって、お金かかるし……ホントに仕事に出来るかわかんないじゃん……』


 姪の言葉に、俺は思い出した。

 ――姉が母を否定するように、母も姉がすること全部否定して育てていた。「絵なんてお金にならないでしょ」それが母の口癖で、絵を描く姉の邪魔をし続けた。

 姉はきっと、姪を自分の子供の頃の時と重ねて、苦しんでいたのだろう。

 そこに考えが至った時、姉は苦しかっただろう、と、ようやく許せるようになった。俺もまた、自分のことしか見えていなかったのだ。


 だから、一つ言いたいことがある。

 姉貴、あんた、もったいないことしたよ。

 娘を自分の世界の侵略者とでしか見られず、怖かっただろう。苦しかったのだろう。

 でも、自分だけの世界で体験することなんて、たかが知れていた。俺は姪を通して、今の学校や受験の実態を知った。姪の会話から、本やゲーム、芸能人からネット社会、どんなものが世の中で流行っているのかを知った。姪のために作ったドレスやコスプレ衣装は、気づいたら俺を被服の仕事へ導いていた。誰かを思いながら作る喜びも、自分の力でモノを作りだす喜びも知った。


 ……ああ、そうさ。目まぐるしくて気が飛ぶほど、楽しかった。


 二人で一緒に食べた日々。

 今は、湯気で覆われた『赤いきつね』が、一つしかない。


 

 カップ麺の蓋の重しがわりにしていたスマホが鳴った。タイマーではなく、電話だった。

 相手は、これから俺と結婚する相手だった。


「ああ、もしもし? ああ、今行ったよ。……いや、寂しくないって。え、今から来る?」


 スマホを肩と頬で挟んで、蓋を開ける。

 しぼんでいた油揚げは、ふんわりと膨らんでいた。

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きつねにつままれた13年でした。 肥前ロンズ @misora2222

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