カナリア姫は歌わない

moes

カナリア姫は歌わない

 ◇


 さて、カナリア姫と聞いたらどんな人物を思い浮かべるだろうか。

 声が美しい、歌がうまい、華奢で庇護欲をそそる、その辺りだろう。

「お兄様」

 執務室のドアを開けると、今日も見目麗しい兄はにこやかな笑顔をこちらに向けた。

「どうした、私のカナリア姫」

 やっぱり元凶はお前か。

「どうして私にそんな妙な呼称が付いたのか説明いただきたいのですが?」

「夜会どころか茶会にも現れることのない年頃の令嬢。その兄である僕に、どのような妹君かとわらわら群がる煩わしい虫け……令息たちに説明しただけだよ。我が妹はカナリアのような姫だと」

 虫けら言うな。

「もう少し、どうにかならなかったのですか、説明」

 端的にもほどがある。

 嘘ではないが、一般的にイメージされるカナリアとは乖離している、私の場合。

「ところでカリナ、どこでその話を?」

「お手紙をいただきまして」

 磨きこまれた机の上に、十通ほどの封筒をばらばらと落とす。

 兄は口元に笑みをたたえたまま、目を細めて封筒に書かれた送り主の名前を確認している。

「見なくてもわかると思いますが、内容はどれもカナリア姫にあてた求愛です。いい迷惑です」

 人前に現れないのは出てこられないような容姿だからという噂があったのは想像に難くない。

 兄の軽率な説明でそれが払拭されたとなれば、家柄も程よい私と縁を結びたいと願うのは、まあありがちな話だ。

「思ったより大物はつれなかったねぇ。それで、悪意は?」

 封筒をそろえて抽斗にしまうと、兄は笑みを消してこちらを見る。

「幸い、と言って良いのか。まったく、きれいなものですよ。どうせなら炙り出せればよかったんでしょうけれど」

「さすが、うちのカナリアは頼もしいな」

 兄は楽しそうに笑う。

「役に立てているなら良いのですけれど。私は通常の社交で役に立てない穀潰しですし」

「誰がそんなことを?」

 声が冷える。自分に向けられた感情ではないことはわかっているけれど、おそろしい兄だなぁ。

「ごく一般的な概念として。家のための社交ができていないのは心苦しいのですよ、これでも」

「カリナが悪意を見てしまうのはカリナのせいではない。それを負い目に感じる必要もない」

 兄が私をカナリアだと評したのは人の悪意を敏感に感じ取ることができるから。

 毒検知をするカナリアのように。

 以前はその悪意に触れるたび、倒れていたこともあり、屋敷から出ることもなく、謎の令嬢と化したわけだ。

「ありがとうございます」

「今は図太……丈夫になったのだしデビューしてみるかい?」

「……カナリア姫なんて呼称を付けられて、人前に出られるほどには図太くなっておりませんので」

 見目麗しい兄の妹でカナリア姫、とくれば世間の期待は大いに高まっているだろう。

 しかし残念。私の容姿は平凡だ。

 人様の期待を裏切るのは良くないだろう。

「本音は?」

「面倒です」



 ◆


 か弱く、依頼心のつよい妹だった。

 その特性のため、人の悪意に触れては倒れる。そのため過保護にされ、甘やかされ、それを当たり前とする。

 妹が感じ取るのが悪意だけでつくづく助かった。表面的には穏やかに対応をしていたけれど、内心では面倒に思っていた。

 曲がりなりにも妹ではあるし、かわいく思わないわけでもなかったのだけれど、全幅の信頼を超えた好意は正直煩わしかった。

 仕方ないことだともわかっていたけれど。

 それが変わったのは一年ほど前のことだっただろうか。

 邸に来ていた客と運悪く遭遇した妹は卒倒した。

 ずいぶんな悪意の持ち主だったようだ。

 半日程度寝込むのは常であったけれど、その時は数日間目を覚まさなかった。 

 さすがに心配で、できる限りはそばにいるようにした。意識を取り戻したのは、ちょうど居合わせたタイミングだった。

「おにいさま……?」

 何度か瞬いて、こちらを見た。

 平素以上に青白い顔にもかかわらず、視線がまっすぐだった。いつもは伏目がちか、もしくはうかがうような上目遣いが多いのに。

「っー」

「何をしているんだ。大丈夫か」

 突然がばりと起き上がった妹は、頭を押さえ項垂れる。

 今度はそろりと顔を上げた妹は淡い碧の瞳でやはりまっすぐにこちらを見た。

「お兄様、私、おかしくないですか」

 おかしい。こんな風に直球で話すタイプではない。

 自らの希望も、遠回しに、察してもらえるように、要領を得ないときもあるほどに持って回った話し方をしていたはずだ。

 が、そのままおかしいと口にするのは憚られる。

「いつも通り、かわいいよ。ただ、少しやせたかな」

「そういうのは良いんですけど……でも、そうですか。見た目は問題ないんですね」

 真顔でさらりと受け流す。

 今までであれば、頬を染めてうつむいていただろう。

 これは、誰だ。

「お兄様、相談というか、ご報告したいことが。少々、突飛なお話なので、気が触れたとか思わないでいただきたいのです」

「まず医者を呼ぼう」

 目を丸くされ、思わず笑みがこぼれる。

「数日間、意識不明だったんだ。一度診てもらって、大丈夫なら食事をとりながら話を聞こう」

 そっと頭をなでてやると、妹は瞳を伏せてはにかむ。

「ありがとうございます、お兄様」



 ◇


 倒れて寝込んでいる間、おかしな『夢』を見た。

 ここではない、文化も風習も全く違う国で私は生きていた。

 狭い部屋に一人で住み、労働し、たまの休暇を楽しむという、平民の生活。

 今とは全く違うけれど、それなりに幸せに暮らしていた。

 実際に自分が体験してきた記憶のような鮮やかさで、現在の生活の方が幻なのではないかと思ったほどだ。

 なにしろ、どちらの記憶もありはするものの、感情は平民の生活をしていた自分のもの寄りだったのだ。

 それなのに兄を見たら、絶対的な安心感があって、やっぱりこちらが現実なのだと腑に落ちた。

 けれど、私は倒れる前の私とは変わってしまった。

 それを隠して、今まで通り生活するのは無理がある。

 兄は聡い。絶対どこかで不審に感じるはずだ。

 すでに開口一番おかしなことを口走ってしまっているし。

 それなら早々に打ち明けておいた方がましだろう。

 兄の呼んでくれた医師に簡単な問診を受けたあと、兄と差し向いにテーブルに着く。

「つまり、外見はカリナでありながら内面は別人だと」

 病み上がりの体にやさしいスープを頂きながら簡単に説明すると兄は眉を寄せる。

「別人、とまでは。カリナとしての記憶はありますし。そうですね……歳を重ねて、いろんな経験をして性格が変わった、くらいに思って頂けると」

 見た目は変わっていないし、実際は数日しか経っていないけれど。

「信じられないけれど、今までのカリナらしくはないのは確かだしな」

「カリナはお兄様のことをお慕いしていましたから」

 好きすぎて、目も合わせられないくらいに。

 邸に引きこもりで、身近な歳若い男が兄だけで、その兄が優しい上、美形ときたら恋しない方がおかしいだろう。

 まぁ、兄だからどうにも出来ないけれど。

「過去形か? 今はもう嫌いだと」

「まさか。起きた時、お兄様がいてくださって、どれだけ安心したか。ただ、カリナの持っていた恋情ではなくなった、というだけです」

 面白がるように問う兄に、ゆるりと首を横に振る。

「お兄様にとって、今の私を妹として受け入れ難いだろうということは承知しています」

「確かに別人のようだが、受け入れ難いとは思わない。今までよりも話がしやすく、気安いくらいだ」

 それはそれでどうかと思う。今までのカリナが少々哀れだ。

 呆れを含ませた視線を向けると、綺麗な笑顔が返ってくる。

 笑って有耶無耶にしようとするのは良くないと思う。けれど、これだけの美人に微笑みかけられて、文句など言えるはずもない。

 顔が良いってずるいなぁ。

「これから、よろしく。私のカリナ」

「その言い方は誤解を招きますよ、お兄様」



 ◆


 恋情はないと言い切った口調も視線もまっすぐで、偽りは見えなかった。

 ただ、以前とは違いすぎた。

 そして『カリナ』であれば、当たり前に承知している記憶が今の妹にはないようで、その辺りが完全に同一であるとは言い切れない気がした

 本人に自覚がないだけで嘘をついているつもりはないのだろうけれど。

「お兄様?」

 それでも、ちょっとした仕草、首の傾げ方だったり、困ったときに口元に触れる癖だったりはやはり長年一緒に暮らした妹のもので、それに安堵してしまう自分が少々おかしかった。

「これから、よろしく。私のカリナ」

 妹は渋面を作って見せる。

「その言い方は誤解を招きますよ、お兄様……でも、そうですね。これからは私も多少のお手伝いはできるかと思います」

「手伝い?」

「えぇ。今までのように悪意を見て体調を崩すこともないでしょうし、お仕事でお付き合いする相手の見極めぐらいはできますよ」

「根拠は?」

 小さな悪意でも寝込む妹のため、使用人も最低限にしていたほどなのだ。妙な記憶を持って性格が変わったとはいえ、それほど簡単なものではないだろう。

「先ほども申しあげたとおり、平民として生活していた記憶があります。男性に混じって働くことが当たり前の国で」

「……その時も悪意が見えていた?」

 いろいろ気になることはあったが、先を促す。

「いえ。それでも悪意をぶつけられることも、不躾な態度を取られることも、ごく当たり前の生活でしたから」

 不愉快に思ってもやり過ごせていたから大丈夫だと強かに笑む。

「だからと言って、今そんな無理をしなくても」

 わざわざ直面する必要もないはずだ。

「少しでもお兄様のお役にたちたい妹心ですよ」

 茶化したような言葉ではあったけれど、申し訳なくなっている気持ちは透けて見えた。

 それが、今までのことに対してか、現状についてのことかまではわからなかったけれど

「わかった。機会があればお願いするよ。ただ、決して無理をしないように」

「お兄様は結局妹に甘いですよね。そんなだからカリナが好きになってしまうんですよ」

 困った人だなぁとやわらかく笑う妹は、ひどく大人びて、やはり別人のようだった。

「私のカリナは勘違いしないだろう?」

「ですから、その呼び方……えぇ、もちろん。お兄様としては大好きですけれど」




 ◇


「面倒とは申し上げましたけれど、嫁ぐことに否やはありませんので。できれば、田舎の方の領地で、あまりガツガツしていない方がお相手だと助かりますけど」

 貴族の結婚に政略はつきもので、義務でもある。ろくに社交のできない娘であっても、そこまで逃れられるとは思ってはいなかったのだけれど。

「は?」

 目を丸くする兄の姿など、初めて見た。

「なんですか。身の程知らずに相手の注文するなと?」

 確かに役立たずだから、相手を選べる立場ではないけれど。

「……いや、嫁ぐつもりなのか?」

「それは、まぁ。このまま家にいるわけにもいかないでしょう。お兄様だってそのうちには結婚されるでしょうし、お相手の方だって困りますよ。ずっと家にいる小姑」

 自分の立場で考えたら絶対に嫌だ。

 あれ。そういえば兄に婚約者っているのだろうか。カリナが恋慕していたから、邸で話題にしないようにしてたのか?

「やっぱり」

「やっぱり?」

 呆れまじりに溜息をつかれ、首をかしげる。

 特におかしなことは言っていないと思うけれど。

「僕の婚約者は君なのだけれど、カリナ」

「は?」

 いやいや。兄妹で結婚は出来ないでしょう。

 幼いころ「大人になったらお兄様と結婚するの」とかは言ったことあるけれど、それは子供なら身近な異性に言いがちなものだし。

「記憶に欠損があるんだよ。僕は養子でカリナと血縁は全くないわけではないが、婚姻を結ぶには問題ない程度には遠い」

「え?」

 つまり、どういうことだ。

「カリナは外に結婚相手を探す必要もないし、小姑になることもない。生活は現状維持」

「……えぇと、それだとお兄様がすごく貧乏くじじゃないですか?」

 見目麗しく、才覚もあって、優しくて、家柄もそれなりに良い。引く手数多な優良物件だ、どう考えても。

 もしかしなくても私との結婚が前提の養子なのか? そうすると選択肢がないか。両親にどうにか解消してもらう方法を考えるべきだろう。私に縛られるのは申し訳なさすぎる。

「人のことばっかりだな、カリナは。自分はどうなの? 今の君は兄としてしか僕を見ていないのに、結婚することになるんだよ、僕と」

 確かに、兄としか見ていないけれど。

「余所のどんな方かわからない相手とお兄様と比べるべくもないですよ」

 こんな私でもずっと変わらず大事にしてくれている。現状維持、なんて役立たずのままでいいっていう甘やかしだよね。すごく。

「信用しすぎだよ、私のカリナ。僕は今の君が好きなんだよ。もちろん、妹としてではなく」

 頬に兄の手がそっと触れる。綺麗な顔が近づく。

「…………カリナ、少しは危機感を」

 寸でのところで兄はかくりと項垂れる。額と額が軽くぶつかる。

「いえ、お兄様なら良いかなって。大好きなことは確かですし」

 たとえ恋情じゃなくても。

「お兄様の籠に入るなら、カナリアでも構わないですよ、私」

 密やかにささやくと、苦笑いのような吐息が触れる。

「そういうことを」

 呆れたように諫める兄の言葉を塞ぐついでに、そっと口づけた。


                                   【終】

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