狂信者からの手紙
その日は、突然やってきた。
次はどのような実験をしようかと、僕が構想を膨らませながら出社の準備をしていると、玄関のチャイムが鳴った。
来訪者は、二人の警察官であった。何事かと思ってドアを開けるや、僕は任意同行を求められ、パトカーで警察署まで半ば連行された。
事の全容は、取り調べの過程で見えてきた。どうやら幸司さんは、「じゃんけん実験」の際、何らかの方法ではなやま園の保育士に取り入って協力を仰ぎ、無断で子どもたちの体内にナノマシンを投与したようだ。幸司さんは僕よりも一足先に逮捕され、僕も共犯の容疑で引き立てられたというわけである。
事件のあった日、僕は現場に立ち会っておらず、子どもたちへの景品購入にも関わっていない。この実験に関する幸司さんとのやり取りも一切なかったため、疑いは晴れた。
ただ、取り調べはそれでは終わらなかった。刑事は、内ポケットから折りたたまれた紙を取り出すと、こちらに差し出した。
「実は大久保が、どうしても君宛に手紙を書きたいと言ってね。中身を見せてもらったが、狂信者のものとしか思えない。これを読んで、何か分かることはないか」
僕は促されて手紙を開き、読み始めた。
ユウヤ、騒がせてすまない。今回の件は、私の自業自得だと思っていることだろう。確かに私は、法に背く行為をした。その罪は償うつもりだ。
ただ、こうした形ではなかったにせよ、遅かれ早かれ、私は研究を続けられなくなっていたと思う。マーフィーの研究に対する私の思いは強まるばかりで、マーフィーの法則に照らせば、研究ができなくなる日は近いと悟っていた。
なぜ私は、ここまでマーフィーの研究に執念を燃やすのか。それは、神の悪質性に対抗し、復讐を果たすためだ。
優秀な君なら、もう気付いているだろう。仮に統計データからマーフィーの法則が証明されても、この法則が働く原理について科学的に解明されたわけではないということに。「なぜ、人が期待した事象は起きにくいのか」という、法則の根源的な理由の部分は、神に委ねるしかないのが現状だ。ならば、神はなんと天邪鬼な法則を創ったものだと思わないか?
神の悪質性については、私が身をもって感じてきた。実のところ、私は昔から、自分ほど不運な人間はいないと信じていたし、そのために神を憎んでさえいた。神は明らかに、私を敵視しているとしか思えなかった。
この瞬間も、全国からマーフィーの事例が数多く寄せられていることだろう。私はそれらと同様の仕打ちを、幼い頃から毎日のように受け続けてきたのだ。そのたびに私は、屈辱を忘れないよう、出来事を逐一日記に書き止めた。誰よりも執念深く、神からの攻撃を克明に記録してきたのは、ほかならぬこの私だった。
しかし今、私は「運の悪さ」を覆すことができると考えている。「運の悪さ」の正体が欲望の高まりならば、それを逆手にとってドーパミンの放出を抑え、無闇に期待が膨らむのを防ぐことで、不快な出来事が発生するのを止められるのではないだろうか。
これは、荒唐無稽な妄想に聞こえるかもしれない。だが、すでにいくつもの分野で、人間は神をも凌駕する所業を成し遂げた。「神が定めし運命」の克服。これは、人類が科学を駆使し、悪逆な神に鉄槌を下した輝かしい勝利として、歴史の一ページに刻まれてもおかしくはない。
ただ、何にせよ、まずはマーフィーを証明しないことには始まらない。ユウヤ、あとは頼んだ。神に、挑み続けてくれ。
「どういうことか、分かりますか」
僕が顔を上げると同時に、刑事が尋ねた。
「これは、私に対する激励の手紙ですね。それ以上でも以下でもないかと思います。お任せください、と幸司さんにお伝えいただけますか」
あとは、僕一人でやるしかない。それでも僕は、マーフィーの証明を完遂できる気がしていた。これまで積み上げてきたデータもあるし、実験の要領はもう掴んでいる。僕が、幸司さんの意志を継ぐのだ。
釈放された僕に、一本の電話が入った。研究開発部の笹野部長からであった。
「おお、沢木か。警察から話は聞いている。大変だったな。だが、疑いは晴れたようで何よりだ。疲れているだろうし、今日はゆっくり休め」
「お気遣い、ありがとうございます。ただ、私なら大丈夫です。これから出社し、引き続きマーフィーの証明に全力を尽くします」
「気合い十分なところ、言いにくいんだが……経営陣は、今回の事件を重く受け止めている。君に落ち度がなかったのは承知しているが、マーフィーの研究は永久的に中止となった。ついては、また異動してもらうので、そのつもりでいてくれ」
ああ、油断した、と僕は思った。
マーフィーの証明 才谷祐文 @eichan99418
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