僕は「不運」を否定する
そんなある土曜日、幸司さんから電話がかかってきた。今の部署に来てから、業務時間外に社用携帯が鳴るのは珍しい。
「ユウヤ、子どもの方が大人よりも純粋だということが、科学的に立証できそうだぞ! 次の実験は、子どもを対象にしよう」
「え?」
「子どもは、高いドーパミン指数が出やすいんだよ!」
詳しい説明を求めると、幸司さんは、ちょうど先ほどまで行っていたという実験について語った。
「今日の昼下がり、うちの研究員が五歳になる息子を研究センターに連れてきたので、ドーパミンの量を測らせてもらったんだ。まず、私とじゃんけんをして勝ったら景品がもらえるというルールを教える。その後、景品を見せて、その際のドーパミン指数を測定。それから実際にじゃんけんをして結果を記録するという流れだ」
幸司さんは五回じゃんけんをして、その都度景品を変えていったようだ。子どものドーパミン指数は、スポーツカーのおもちゃや恐竜のぬいぐるみを見た際、これまでの実験における平均値の倍近くまで跳ね上がったらしい。
二者間で行われるじゃんけんにおいて、勝つ確率は三分の一なので、測定したドーパミン指数との相関関係も数値で測ることができた。
この「じゃんけん実験」にあたり、僕らは子どもの被験者を得るため、幼稚園や保育園に協力を依頼することになった。子どもへの景品については幸司さんが、「私が何とかする」と請け合った。
しかし、近隣の幼稚園と保育園を訪れ、実験の許可を求めたものの、成果は芳しくなかった。人体への影響がないことが証明されているとはいえ、子どもにナノマシンを投与するとなると抵抗は大きく、ことごとく断られたのである。
「やはり、親御さんの反対は懸念せざるを得ませんよね。別の実験方法を考えます」
僕はそう言ったが、幸司さんはまだ諦めきれない様子であった。
「現段階で、子ども以上に良い数字が取れる被験者は存在しない。幼稚園や保育園には、私がもう一度当たってみるよ」
二週間後、僕は幸司さんから、USBメモリーを渡された。
「ユウヤ、これの分析も頼む」
ファイルの中にあったデータを開くと、人名がずらりと並んでいた。どうやら「じゃんけん実験」の結果らしく、筆箱、ぬいぐるみ、プラモデルといった景品ごとに、じゃんけん前のドーパミン指数と景品の獲得状況が記録されている。
「これ、どうしたんですか」
僕が驚いて尋ねると、幸司さんは事もなげに答えた。
「はなやま園という保育園の園長さんに、私の情熱が伝わってね。実験の許可をもらえたんだ」
「でも、景品は?」
実験の予算には、商品の購入費は計上されていなかったはずだ。
「私が自腹で揃えたよ。子どもが喜びそうなものなんて、大した額じゃないからね」
それにしても、データに記録されていた人数は五十人以上いた。全員が景品を獲得できるわけではないが、それぞれに五種類もの品を提示するには、念のため二百個は商品を用意せねばならなかっただろう。それらが平均三千円だったと仮定すると、合計六十万円である。
僕は、この実験自体を早々に諦めていた自分を恥じるとともに、マーフィーの証明に全力で挑む幸司さんの姿勢に感じ入った。
この調子でデータを積み上げていけば、そう遠くない将来、マーフィーの法則を証明できるかもしれない。僕は今の仕事に対して、自分なりのやり甲斐を見出しつつあった。
マーフィーの法則が万有引力と同じように、どんな人にも影響を及ぼす普遍性を持っていることを証明すれば、「自分ばかりが嫌な目に遭う」と頭を悩ませている人々に希望を与えられる。「自分は運が悪い」と感じている人たちは、単に物事に対する期待が大きすぎるだけなのだ。明確な原因がある以上、これまで「不運」と呼んできたものは「不運」ではなかったことになり、人々を無意味な自己卑下から解放できる。
こんなに愉快なことがあるだろうか。僕は、この会社を辞めようと考えていたのが、遠い過去のように思えた。
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