スマホガチャという突破口
ここから、僕らの研究が始まった。
ドーパミンは人によって分泌量が異なる。そこで、何らかの期待が高まった際に出されるドーパミンの量を、感情が平坦なときに分泌されている「通常量」で割った数値を「ドーパミン指数」と定めた。仮説では、この指数が高いほど、期待した事象が起こる確率は低下するはずである。
僕らは各医療機関を通じ、被験者を集めた。協力してくれた人々には報酬を支払い、代わりに僕らは権利と情報を得る。権利とは、ドーパミン量のデータへの常時アクセス権。情報とは、自身が「運が良い・悪い」と感じた出来事が起こるたび、その日時と内容をインターネット上にある専用の入力画面から投稿してもらうというものであった。
僕は毎日、様々な被験者から寄せられた事例を読んでは、その時点でのドーパミン指数を確認し、記録をまとめていった。一人では信憑性に欠けるデータも、百人、二百人とサンプルが集まることで「統計」となった。
遅刻しそうなときに限って、バスが渋滞に巻き込まれた。勉強しなかった箇所ばかり試験に出た。重要な会議の前にプリンターの調子がおかしくなった。数少ない自分宛ての電話が、離席中にかかってきた。なくした物が、探すのを諦めて買い直した途端に見つかった――。こうした「運が悪い」出来事の前には、被験者のドーパミン指数は平均して高い数値を示した。
反対に、「駅のホームに降りたら、ちょうど乗りたかった電車が到着した」といった「運が良い」出来事があった際のドーパミン指数は、総じて低かった。
投稿の中には、次のような興味深い事例もあった。
「私が会社で使っているパソコンは、よくインターネット回線に繋がらなくなります。今日は、それがあまりにも酷かったので、パソコンを買い替える許可を取ろうと上司を呼んできました。しかし、彼が来た瞬間、ネット接続が回復したのです」
これは、マーフィーの法則が即時性を持っていることを示している。当初は被験者の「早くネットに繋がってほしい」という願望が強かったため、回線は反応しなかった。ところが、上司が来るとなると、今度は「ネット回線が繋がっていないところを見せたい」と思っているので、途端に接続が回復したのである。
こうした多くの事例を積み重ねることで、ドーパミン指数の高さと「運の良し悪し」の相関関係が見えてきた。だが、さらなる確証を掴むため、僕らにはより堅固なデータが必要だった。
その中で僕は、マーフィーを証明するための実験方法を提案するよう求められた。
マーフィーの法則が関わっていると思われる現象は数えきれないほどある。僕は、「自分が不運だった経験を思い起こせば、難しい仕事ではないだろう」と高を括っていた。しかし、それは大きな間違いだった。
最初に僕の頭に浮かんだのは、スポーツをしているときの一幕である。
「例えばボウリングの際、あと一本でもピンを倒せば相手に勝てるという状況で、手元が狂って二回連続でボールが溝に落ちてしまうという場面に何度も立ち会いました。これは、参考になりませんか」
「残念ながら、それは期待がプレッシャーとなって、体の動きを狂わせているだけだ。日々の精神鍛練や、飽くなき技術力の向上によって克服できる。勝利への期待にマーフィーが作用して、上手く投げられる確率が急減しているわけではない」
大久保さんからの的確な反論を受け、僕は負けじと、別のエピソードを持ち出した。
「トランプや麻雀でも、勝ちたいという気持ちが強いほど、負けが込む印象を受けます。これを実験に取り入れるのはどうでしょうか」
だが、大久保さんは首を横に振った。
「ポーカーや麻雀でも、勝敗を決する要素としては運より実力の比重が大きい。確かに、最初に引く手札の良し悪しにはマーフィーの法則が適用されうるだろう。しかし、その後の勝負で個人の実力差が出ることを考えると、実験対象とするには不適切と言わざるを得ない。私たちが実験を行う上で選ぶべきは、個人の能力に関わりのない、絶対的に運任せの領域だ」
僕は数秒悩んだ後、ハッとひらめいた。
「天気など、いかがでしょうか」
人智が及ばないという意味では、天候は格好の題材のように思われた。マーフィーの影響と考えられる事例としては、外出先に雨具を持っていくと雨は降らず、そうした準備をしていないときに限ってにわか雨に当たられるという現象が挙げられる。
ただ、大久保さんはこの案も、「話にならないな」と一蹴した。
「まず、テレビやスマートフォンのニュースをはじめ、天候の情報は目につきやすい。それによって期待の度合いが変化するので、実験の結果に大きなブレが生じるだろう。それに、天気は多くの人に対して同時に影響を及ぼす事象だ。個人の実験には適さない」
「おっしゃる通りです……」
「運任せの領域ということに加えて、実験において満たすべき要素は二つある。一つは、被験者が期待通りの結果を得られる確率を数値で測れること。もう一つは、被験者に純粋な期待を抱かせたままにしておけることだ」
前者は、ドーパミン指数と運の良し悪しとの相関性をより精緻に示す上で必要だ。難しいのは後者である。被験者が純粋な期待を抱いていなければ、正確なドーパミン指数は計測できない。被験者に、「どうせ実験なのだから、結果がどうなろうと関係ない」と思われた瞬間、実験は成り立たなくなるのだ。
僕が案を出せずにいると、大久保さんはおもむろに言った。
「沢木君、今日はもう帰っていいよ。知恵を振り絞って、妙案が浮かんだら連絡してほしい」
「え、でもまだ集計できていないデータが――」
「今は、新たな実験を考える方が先決だ」
僕は言われるままに帰宅すると、パソコンの文書作成用ソフトを開いて案を書き出した。しかし、どれも大久保さんが満足しそうにないものばかりで、時間だけが過ぎていった。
ついに僕は集中力の限界を感じ、ベッドに寝転がってスマホゲームに興じ始めた。頭では現実逃避だと分かっているのだが、どうしても止められない。
僕がハマったのは、ありふれたパズルゲームだ。画面に配列された四角いブロックを動かして、制限時間内に消していくというもの。パズルで稼いだコインを使ってガチャを引き、好きなカードを集めるのも楽しみの一つであった。
これに熱中すること三時間。気付けば、夕食もとらないまま、時刻は午後十時を回っていた。後悔に打ちひしがれながらも、僕は稼いだコインでガチャを引くことにした。
なにしろ、今は好きなキャラクターの限定カードが登場しているのだ。表示によると、これが手に入る確率は五%。二十回引けば一度は獲得できる計算である。僕は念を込めながら引いていったが、一向に当たらない。結局、二十三回引いても目当てのカードは手に入らず、貯まっていたコインが尽きた。
「なんだよ、これ。当たらないようにプログラムされてるんじゃないか」
思わずスマホを投げつけようとしたそのとき、僕の頭に電気が走った。
「これだ! これしかない!」
僕はすぐに、大久保さんまで電話をかけた。
「実験の方法が見つかりました。被験者には、スマホゲームのガチャを引いてもらいましょう。この実験のポイントは――」
「なるほど。それは良い。今日はもう遅いから、詳細は明日詰めよう」
翌日、僕の説明を待たずして、大久保さんはスマホゲームのガチャを使った実験の利点を理解していた。
まず、ガチャを引くという行為には上手いも下手もなく、純粋に被験者の運を測ることができる。
そして、ガチャでカードなりアイテムなりを手に入れられる確率は、全てプログラムで決まっている。したがって、被験者のドーパミン指数と、もたらされた結果に至る確からしさの双方を数値で表すことができ、相関関係を定量的に示せる。
また、ゲームに熱中している人々は、実験だからといって、希望のカードやアイテムを欲する気持ちを揺るがせることはない。
ゲームをプレイするだけでお金がもらえるとあって、この通称「ゲーム実験」には多くの被験者が集まった。
僕は、この会社に入って初めて充足感を覚えていた。提携の医療機関や被験者とやり取りをし、収拾したデータを整理して、数値を分析する。これによって儲けが発生しているわけではなく、今後利益に繋がるのかも定かではない。それでも僕は、多少なりとも会社のために金を稼いでいた営業時代より、今の方が誰かの役に立っていると感じていた。
大久保さんとの関係も徐々に深まり、いつしか僕らは「幸司さん」、「ユウヤ」と呼び合う仲になっていた。
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