最終話 赤く染まる恋

 飯塚が教えてくれたことと、雛乃さんの言う秘密が同一のものだと思っていた。

 まさかそんな現実離れしたこと言葉が出てくるなんて。


「あー。やっぱり信じてくれない」

 可愛くむくれる雛乃さんだが、単なる嘘なのか、本気で言ってるのか全然検討がつかない。


「えーっと、冗談? じゃない、ですよね」

 助手席から雛乃さんの横顔を窺う。

「こんなつまらない冗談、私は言わないわ」


「え?」

 突然、唇を奪われる。

 国道を走っていたはずの車は、気付けば人気の少ない山道の路肩に停止していた。


「ぅ、はぁっ。ちょ、ちょっと待って下さい!」

 俺は雛乃さんの肩を押して、キスする口を遠ざける。


「す、すみません。話すのなら詳しく話して欲しいんです」

 雛乃さんは呆気に取られたように目を丸くする。


「俺、雛乃さんのこと心から、本当に、大大大好きです。だから、雛乃さんが通ってる学校の先生でも、生き物が死んでゆく様を見るのが好きでも、もし、吸血鬼だったとしても、関係ないです。変わらずに雛乃先生を好きでいられます」

「雄斗くん、なんで、知って……」

 

 飯塚が教えてくれた雛乃さんの秘密は、彼女が生き物が死んでいく様子を見るのが好きだということ。


「だから、教えて欲しいんです。本当のことを」


 雛乃さんが動揺しているのは見て取れた。言ってから、彼女を傷付けてしまったのではないかという後悔の念に駆られた。

 俯く彼女を前にして俺はどうしていいか分からなくなっていた。


「すみません、雛乃さん。無神経なこと、言ってしまって」

 自分の言いたいことばかりを言って、雛乃さんの気持ちをちゃんと考えられていなかった。なんて自分勝手なんだ俺は。


「ううん。いいの」

 雛乃さんはゆっくり首を横に振った。


「私の話を聞いてくる?」

「はい。聞かせて下さい」


 それから雛乃さんは訥々と語り始めた。


 吸血鬼。その名の通り血を吸って生きる怪物の類である。

 しかし、雛乃さんの話と俺の持っている知識には食い違いがあった。もちろん、俺はホラーには明るくはない。だから、その前提とは違っていたって、何ら不思議に思うことはない。


 話を聞き始めた時は、雛乃さんは吸血鬼と人間の恋が上手くいかないと思い込んでいると直感したが、彼女の苦悩はそんな単純なことではなかった。




 私は活発な子供ではなかった。

 外に出ることはほとんどなく、家の中で家族と暮らしていた。


 父親は日中家を外していることが多く、反対に母親は夜になるとよく外出していた。子供の頃は分からなかったが、きっと二人とも仕事に出ていたのだと思う。


 両親のどちらかが家にいても、寝ているばかりで、遊び相手、話し相手はいつも弟だった。

 食事は、事前に作られた料理が冷蔵庫にあって、それをレンジで温めて食べていた。


 ある日、母親が私と弟を日中、外に連れ出そうとした。

 二人とも、外に出られることを嬉しがった。


 初めて外に出た私は、広々とした世界や、感じたことのない景色に感動して元気よく走り回った。

『すごい、楽しいよ』

 弟に笑い掛ける。

 

 しかし、弟は苦しそうに胸を押さえてうずくまっていた。

 それを見た母親は、弟をすぐに家の中に連れ戻した。


 弟はそれ以来、二度と外に出ることはなかった。出たいと言うこともなかったし、母親も念を押して絶対に外に出ては駄目だと言った。


 私は、翌週から小学校に通うようになった。三年生からのスタートだったが、家にあった本で勉強していたせいで、周りの誰よりも頭は良かった。

 

 弟と接する時間は少なくなったが、学校が終わるとすぐに帰宅して弟と遊んだ。

 私には学校での友達ができたけれど、弟には私しか遊び相手はいない。弟を一人にはしたくなかった。


 しかし、そんな思いと同時に、学校が楽しいという思いも私にはあった。家にある本を読むことだけでは知ることのできないことがたくさんあった。弟に学校であったたくさんの出来事を話した。優しい弟は嫌な顔一つせず、私の話を聞いてくれた。


 弟が体験できないことを楽し気に話す私。それは弟にとっては単なる自慢話でしかないと悟った私は、いつしか弟に外であった出来事や知った事を話さなくなった。

 それでも優しい弟は、その異変に気が付いて、『お姉ちゃんの話が聞きたい』と笑って言ってくれた。


 そんな弟がある日を境に、外に出ているわけでもないのに、身体の不調を訴え始めた。

 そのことを私は両親に話した。


『ついに、来てしまったか』

 驚いた様子もなく、二人は冷静に言った。


『どうすれば治るの?』『お医者さんに連れて行こう』

 私は言った。

 二人は首を振った。


 どうして?

 なんで?

 私の中で疑問が募った。

 

 弟は、その日から家の中の一室に隔離されてしまった。

 しかし、ある日私が学校から帰ると、弟が待っていた。

 血だらけになった母親と共に。


 弟の体調は元に戻ったが、父親は母親の死を嘆き悲しんだ。

 それは私も弟も同じだった。

 父親は涙ながらに私たちに真実を告げた。

 

 母親も父親も共に吸血鬼の血を継ぐ者であり、私と弟の違いのように、母親と父親にも吸血鬼としての特性が色濃く出るかの差があった。


 弟は吸血衝動が抑えられずに体調を崩し、結果として母親の血を吸った。

 また、その衝動はいつか私にもやってくる可能性があると、教えられた。


 そして、それがやって来たのは三年前。

 その頃には、弟の二度目の吸血衝動も経過していた。その時には父親自ら弟に命を捧げた。


 二人きりの家族になっていた私と弟。私は自分に吸血衝動が来たら、自ら命を絶つつもりだった。大好きな弟には生きてて欲しかった。

 しかし、それは弟も同じ思いだったみたいで、結局私は弟の血を吸った。

 初めての血は涙の味がした。




 雛乃さんの言葉に、俺は言葉が出なかった。


「大丈夫よ。無理に何か言おうとしなくて。表情を見れば分かるわ。ありがとう」

「いえ、すみません。でも、雛乃さんを好きな気持ち、全然変わりませんから」


 俺は雛乃さんの前で笑顔を見せる。上手く笑えているかは分からない。


「私ね。家族以外でこの話をするのは雄斗くんが初めてよ」

「そう、なんですか? それはとても嬉しいです」

「弟に似てたから、出来心で雄斗くんに声を掛けたけど、今ではちゃんと雄斗くんを雄斗くんとして好きになれた」

「はい。私も雛乃さんが好きです。雛乃さんの弟さんに似てて良かったななんて、思ってます」


 苦笑いを零す俺と雛乃さん。

 その距離感はどこかいじらしく、まだ壁が立ちはだかっているように思えた。


「雛乃さん。キスしませんか?」

 だから、俺は雛乃さんともっと近付きたくなった。


「……。それは」

 雛乃さんは胸に手を当てて、困ったように視線を外した。


「雛乃さん。まさか」

 自然と、その言葉を口にすることが憚られた。

 

 彼女が抱えてる大きな悩み、それをやっと打ち明けてくれたのに、災厄は彼女を蝕み続けていた。

 そして、俺は決心する。


 

 雛乃さんの手に握られた刃渡り15センチの包丁は、俺の懐を容赦なく貫く。

 

 当然ながら痛みは想像を絶する。

 すぐに雛乃さんの唇がその傷口を覆う。


「はぁ。はぁ。雄斗くん。好きよ」

「ええ、俺も雛乃さんが大好きです」


 雛乃さんが苦しみに悶える前に俺は、雛乃さんにこの身を捧げることを選んだ。

 愛する人の為なら俺はなんだってできる。

 

 雛乃さんは夢中で俺の身体に何度も歯を突き立てる。

 俺は雛乃さんの頭を撫でる。

 朦朧とした意識の中、愛する人を精一杯感じようと手を伸ばす。

 

 これまでの人生、冴えない日々だった。そんな日々を忘れるほどに、雛乃さんとの出会いは俺に輝きを与えてくれた。


「デート、楽しかった、なぁ」

 後悔がないと言えば嘘になるが、俺が雛乃さんの為に生きられたということだけで、充分だ。


「雛乃、さん。愛して、ま、す。あり、が、とう」

 ただ、雛乃さんをまた、ひとりにしてしまうことが、最大の後悔だ。




 意識が戻った時には、愛する人は、既に息絶えていた。

 だけど、ちゃんと覚えている。

 とてもとても愛おしい彼との出来事を。


「ごめんね。痛かったでしょう」

 私は彼の亡骸を抱きしめる。

 冷たくなった彼の唇にキスをする。


「待っててね、私もあなたの所へすぐに行くから」

 彼の傍らにあった包丁。

 それは私が持ってきたもの。


 本当は、ひとりで死ぬつもりだった。

 だけど、少し欲張ってしまった。

 彼のことが心から好きだったから。

 きっと同じ気持ちだよ、私たち。

 

 ありがとう。

 これからも変わらずに愛してる。

 

 私は、雄斗くんの身体を貫いた刃渡り15センチの包丁で、力の限り何度も心臓を貫いた。

 

 向こうの世界でもう一度、初めから恋をしましょう。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

好きっていうことは、その人に殺されてもいいということ 入川軽衣 @DolphinIsLight

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ