終章

・碧希 拓海SIDE

 江戸川区の特別区管理者を討伐してから、三日経った四月第四週、その火曜日の朝。

 俺は家で歯を磨きながら、ディスプレイに映るニュースを眺めていた。その内容は、アナブナヴィリオ製薬株式会社の取締役が逮捕されたという続報だ。取締役の保川は薬物法や非人道的な行為を行っていた罪で、刑事、民事の両方で裁判にかけられるらしい。それを見ながら、俺はREGで株価を表示。まだ九時になっていないので市場は開いていないが、アナブナヴィリオ製薬株式会社の株は、もう少し下がりそうだ、というのが金融アナリストたちの分析だ。

 もう少し手放すのを遅らせても良かったかな? と思っていると、REDが家の異常を伝えるアラーム音を出す前に、扉が強烈に何度も叩かれる。

「たたたたっく、たっくたっくんっ! たっくんだよね? やっぱりたっくんなんだよね! たっくんたっくんっ!」

「何だその情報量の少ない呼びかけは……」

 洗面所でうがいをした後、呆れながら家の鍵を開けると、半泣きになった梟と、梟に引きずられる形で、困り顔の頼慈が家の玄関に流れ込んでくる。どうやら彼女たちは、まだ俺の顔を見てくれる気があるらしい。

 梟が俺に縋り付きながら、あわあわと叫んだ。

「たっくんたっくんっ! あのねたっくん! 昨日たっくんが来なくって、でも私たっくんが気になって、令恵ちゃんにたっくんの話を聞いてねっ!」

「なんとなくわかるが、もう少し落ち着け梟。後、頼慈。何か聞いてるなら、もっと俺に情報量を寄こせ」

「碧希くんがいけないのよ。昨日学校休むから……」

「……なるほど」

 ひとまずこれ以上騒ぎになると近所迷惑なので、二人を玄関先から家に入れる。そして俺がこの家に暮らしている事を知らないはずの梟が頼慈を伴って来た事と、梟の性格。そして二人の発言から、ある程度の解を俺は導き出した。

「つまり、頼慈。お前、こいつに全部話したんだな? 黙ってろって言ったのに」

「……だって、ねぇ? 私、碧希くんの代わりに、この様子の梟ちゃんに、昨日は学校でずーっと、ずーっと詰め寄られてたのよ?」

「たっくんたっくんっ!」

「いいから座れ! じゃあ、梟はもう知ってるんだな? 幸せの森に一億円の寄付金が振り込まれた事も、振り込んだのが俺である事も」

 俺はソファーに二人を座らせ、がくがく頷く梟に向かって溜息を付いた。

「たっくんたっくんっ! ねぇ、私、たっくんの口から、ちゃんと説明が聞きたいよっ!」

「……まぁ、そうだろうな。じゃなきゃここまで来ないか」

 大方昨日学校で詰められた頼慈が、梟からの質問攻めに耐えられず、俺の家の事を喋ってしまったのだろう。むしろ学校での質問攻めが嫌で、それから逃れるために積極的に俺の家に連れてきた可能性が高い。睨む俺から顔を速攻背ける頼慈の様子で、俺は後者の方が可能性が高いと踏んだ。

「それでたっくん! たっくんが昨日、学校を休んだ理由なんだけど――」

「ああ、そうだよ。土日に閉まっていた株式市場がオープンするのを待って、株の取り引きをしていたんだ。暴落した、アナブナヴィリオ製薬の株をな」

 横目で見ると、ディスプレイは、まだ保川の逮捕劇の続報を映し続けていた。

「でも、たっくんはアナブナヴィリオ製薬の株を、どうやって売買したの?」

「そりゃ、暴落するのがわかってるんだ。全力で空売りに突っ込む以外ないだろ」

 俺の言葉に、梟が何かに気付いた様子で、頼慈の方を振り向く。

「じゃあ、令恵ちゃんが私が負けた後にメールしてくれた、私が取っていたアナブナヴィリオ製薬の記録(ログ)を送って欲しいって言ってたのって――」

「そうよ。梟ちゃんが行っていた、人体実験の記録をネットにばら撒いたの。幸い私はSWOWで『戦車』を追い回してたって事で少しは有名になってたし、実際あの日、『戦車』を倒す事が出来た。SNSも大盛り上がりで、更にそこに私が『戦車』の、その裏にアナブナヴィリオ製薬が絡んでいた、何て情報を突っ込んだら、どうなると思う?」

「アナブナヴィリオ製薬へ祭りに便乗した奴らが問い合わせ、ネット上は炎上に次ぐ炎上で、更に問い合わせが殺到。日曜日と市場がオープンする月曜日の二日間あれば、これだけの騒ぎになれば、会社としても何かしら見解は出さなければならない。だから俺は、アナブナヴィリオ製薬の会見を待ってたんだよ。株が暴落する、取引に一番おいしいだろう、その瞬間をな」

 それが、俺が昨日、つまり月曜日に学校を休んだ理由だ。梟と戦う前の週末、つまり先週の四月の第三金曜日の時点で、俺はアナブナヴィリオ製薬の株を空売りしていたのだ。人体実験の記録を日曜日に流すのであれば、月曜日は噂であってもその内容が懸念され、アナブナヴィリオ製薬の株は値が下げられた状態で取引がスタートする。だから株主に説明するための説明責任が、アナブナヴィリオ製薬に発生する。そして株が下がる前、つまり先週の金曜日には、既に仕込みを終わらせている必要があったのだ。

「とはいえ、予想よりも早く、アナブナヴィリオ製薬は人体実験の事を認めたな。最悪今週ぐらいは粘られると思ったんだが」

「そうよねぇ。やっぱり、あれじゃない? 内部告発があったのが、大きかったんじゃないかしら」

「確かに、あれが決め手だったかもな」

 アナブナヴィリオ製薬から噂の審議について正式発表が出る前に、梟の実験に携わっていたという人物から、内部告発があったのだ。梟に出してもらった記録は、当然梟や他の個人名は伏せて、頼慈にネットに流してもらっている。その内容が事実であると、アナブナヴィリオ製薬の社員が認めたのだ。

「人体実験なんて凄い会社だけど、やっぱり中にはまともな人もいるのね」

「……うん、そうだね」

 したり顔で頷く頼慈に、梟は少しだけ儚げな笑みを向ける。ひょっとすると、梟には内部告発をした人の心当たりがあるのかもしれない。

「でも、たっくん。株が暴落するのを知っていても、元手は必要になるんだよね? お金、どうやって用意したの?」

「どうも何も、普通に借金だぞ」

 俺の発言に、梟が愕然となる。

「しゃ、借金! たっくん、目、売るの?」

「売らねぇよ。昔PCゲームをやってた時のつてで、無利子で金を貸してくれる人がいてな」

「い、いくらぐらい借りたの?」

「そうだな。最低必要な金額は、四千万円だな」

「よ、四千万円っ!」

 顎が外れそうになる梟を、頼慈がまぁまぁとなだめる。

「一応、ちゃんと返す当てもあったのよ?」

「でも、Poliucos_132-134を倒しても、一千万円しかもらえないよ?」

「アカウントで三千万円だ」

「え? え?」

 今の梟は、俺と頼慈の顔を忙しなく交互に見つめる。

「それって、特別区管理者を倒したアカウントが三千万円で売れるって話? でもたっくん、そんなの買ってくれる人なんて、そう簡単に見つからないよね? そもそも買いたい人は、どうやってたっくんに連絡を取ればいいの? そんなの、成功する可能性が低すぎるよっ!」

「だから頼慈に、オープンなチャットルームで人集めをしてもらったんだよ。『戦車』を倒せるってな」

「梟ちゃん。つまり、こういう事なの。私がオープンなチャットルームで『戦車』討伐を呼び掛けたのは、より私の名前を売るため。売ってアナブナヴィリオ製薬を炎上させる目的と、実際に『戦車』を倒したアカウントを他の人が買い求めやすくする、二つの理由があったの」

 むしろその二つの利点がないのに、『戦車』を倒す方法を、自分たちの手の内を、わざわざ敵であるアナブナヴィリオ製薬の耳に入れさせる必要性が全くない。逆に言えば、こちらの作戦を広める事で、俺たちはそれ以上のメリットがあったのだ。

「そういうわけで、『戦車』の賞金一千万、俺のプレイヤーキャラクター、Lucas1985を売った三千万。合計四千万を、アナブナヴィリオ製薬の空売りに突っ込んだわけだ。アナブナヴィリオ製薬の株が暴落したのなら、仮に二千万円全て突っ込んでおけば、二・五倍、つまり五千万は固い。だから倍の四千万を突っ込んで、一億円儲けさせてもらおうと、そういうわけさ」

 そしてそれで得た金を、俺は幸せの森に寄付した。これで経営難は解消し、施設の子供たちが実験体になる必要はなくなった。当然、梟の両目も無事だ。

「……言っただろ? 任せておけって」

 全てを打ち明けていなかった気恥ずかしさで、俺は頭を掻く。言った後で、そう言えば俺は、結局SWOWで最後までこの台詞を言えなかった事に気が付き、居心地が悪くなった。しかし、そこはあまり気にならなかったのか、梟が感極まった様子でソファーから立ち上がる。

「たっくん! やっぱり、たっくんは私の太陽なんだよ。私、私ね! 私、たっくんの事が――」

「そーいえば、私も聞きたかった事があったのよ、碧希くんっ!」

 俺の方に身を乗り出し、何か言おうとした梟を、何故か引きつった顔の頼慈が首根っこを押さえて引き戻す。梟が不満そうに、そしてやっぱり、という顔で頼慈の方に振り向いた。

「賞金とアカウントの売却で、一億円稼いだのはわかったわ。でも、碧希くん言ってたわよね? 税金で、二割取られるって」

「よく覚えてたな。そうだ。一億稼いだら、二割の二千万、税金を払わないといけない」

「なら、八千万円しか用意できないじゃないっ!」

 関心する俺に、頼慈が慌てた様に声を上げる。梟もまた、落ち着きをなくし始めた。

「えっ! ど、どうするの? たっくん、出稼ぎ? 一緒に出稼ぎ行くの?」

「何処にだよ」

 後、何で梟も一緒に行く前提になっているんだ。

「心配しなくても、それは解決している。特別区管理者を倒したら、そのプレイヤーは特別区管理者が倒した装備品も貰えるって話があっただろ?」

「……そうか、それを見越していたのね!」

「じゃあたっくん。たっくんが借りたお金は、四千万円じゃなくて、もっと多かった、って事?」

「そうだ。俺が一時的に借金した金額は、五千二百万円。それが二・五倍になったら一億三千万になる。その二割、つまり二千六百万円を税金で取られても、一億四百万は手元に残るわけだ」

 結果的に、四百万円が俺の手元に残った計算になる。しかし、賞金とアカウントを売っても四千万円しかなく、残りの一千二百万円分、借金を返す当てがない事になる。

「貯金で一千万はあったが、残りの二百万は完全に俺のリスクだったな。そもそも追加で千二百万円、こいつを借りた先に返さないといけないから、儲けた四百万を当てても、俺は自腹で八百万円払った計算になる」

「た、たっくんっ!」

「碧希くん、それで生活出来るの?」

「だから大丈夫だって。言っただろ? 俺は今まで『戦車』が倒したプレイヤーの装備品を貰えたんだよ。八百万は、その装備品をポイントに変換、更にお金に変換して、そこから補填させてもらった」

 俺の台詞に、二人は露骨に安堵の表情を浮かべた。しかし頼慈と梟は互いに顔を見合わせ、俺に質問する。

「でも、碧希くん。それならもっとお金を借りて、投資してたら、もっと儲けれたんじゃないの?」

「そうだよ。仮に一億円投資してたら、二億五千万円になって、税金で五千万円引かれても、残りは二億円。一億円返しても、一億円残るよね? 私、プレイヤー倒しまくったから、結構装備品集めてたはずだし、その金額の投資は現実的に、ありだったんじゃないかな? 土曜日も、たっくん以外のプレイヤーは、私、倒したしっ!」

「……まぁ、それはそうなんだが」

 言いずらそうに、俺は頼慈を横目で見る。

「『戦車』を俺が最終的に一人で倒せたのは、結果論なんだ。俺のアカウントを売る事は既定路線だったが、頼慈たちが生存している状況も、十分考えられたわけだし」

 そもそも、頼慈の仲間が抜け駆けして、梟を倒しているケースも状況としては考えられた。話してみて独り占めをするような奴らではないのはわかったが、最後にボスを倒したのは自分だと言って、取り分が均等にならない可能性は十分あり得る。俺も自分で生計を立てているからわかるが、お金を稼ぐのは大変で、社会人やフリーターなら、自由に使えるお金は、少しでも欲しいと思ってしまうのが人情だ。

「頼慈には悪いけど、お前以外の奴をそこまで信じられなくてな。とはいえお前の望みは、お前たちのチームで『戦車』を倒す事だから、俺がお前のチームに入らない選択肢もない。色々リスクヘッジを考えた結果、五千二百万円の借金、そして投資が限界だったんだよ」

「じゃ、じゃあ、碧希くんは、お金よりも、私の想いを優先してくれたの……?」

「名前を売ったりと、ある意味お前が一番の功労者だからな」

 そう言いつつ、俺は笑った後、こう口にする。

「……言っただろ? 欲張りを叶えてやるって」

 あれ、これはちゃんと言ったよな? と言った後で、俺は小首を捻った。そんな不自然な俺の挙動が気にならないのか、頼慈が潤んだ瞳で俺を見つめる。

「あ、碧希くん。こ、これは皆が勝手に言ってるだけなんだけど。わ、私! 私たちって、案外お似――」

「たっくんたっくん! それで、ポイントに変換したお金って、結構余ってるんだよね? 何に使うのかな? 結婚資金?」

 話をしている頼慈を露骨に遮り、梟が身を乗り出した。頼慈は不満そうに、梟を見つめる。その様子を見ながら、俺は腕を組んだ。

「最後のはないが、そうだなぁ。打ち上げでもするか?」

 これらは全て、俺だけの力で得たものでもない。なら、協力してくれあ皆のために使うのが妥当だ。

 頼慈がチームリーダーを務めていた、ルドウィッグの面々を集めてもいいだろう。梟が生活しやすいように、もう少し幸せの森に資金援助をしてもいい。

 しかし、今は金の使い道よりも、誰の想いも欠けることなく、俺たちの日常が帰って来た事を、喜ぶべきなのだろう。製薬会社の陰謀だとか、家族がバラバラになるなんて陰鬱な話は、俺たちには全く関係なく、そして必要ない話なのだから。

 俺はいつの間にか、土曜日の陣地取り領域に対する功労者の話から、何故だか勝手に俺の家の領土権の話に発展した頼慈と梟を、家の外に叩き出す。

 気だるさで今日は学校を休もうかとぼんやり考えていたのだが、家の外から議論の続きが止まる気配がない事に、俺は気付き、盛大に溜息を付く。

 そして俺は身支度を済ませると、日常に戻るため、家の外に足を踏み出したのだった。

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