赤いきつねと緑のたぬきはあらゆる人に効く
達見ゆう
きのこたけのこ戦争に匹敵する争い
ここはとある病院の一室。ある老人のベッドには親族が集まり、号泣していた。
「おじいちゃん、来年は私の成人式よ。着物姿見せたいよ。頑張って」
「じいちゃん、俺かわいがってもらっていた恩返し何もしてないよ。初給料で好きなものを買ってやると約束したじゃんか。死ぬなよ」
「おじいちゃん、三か月後にひ孫が生まれるのよ。顔見たくないの?!」
孫と思われる若い男女が呼びかけるあたり、今が峠の患者のようである。
息子夫婦たちと思われる中年男女達も涙をこらえていた。
重たい空気の中、廊下から看護師の声とドタドタという足音が響いてきた。
「困ります! ご親族の方以外は入っては……!」
「ええい、数十年来の友人だ! 従兄弟ってことでいいだろ!」
「あの声は……」
「お隣の洋二じいさんね。看護師さん、親類同然の付き合いの方なので入れてやってください」
「は、はあ」
親族の呼びかけに渋々と入れる看護師、意気揚々と入ってくる老人。友人の看取りに来たにしては少々おかしなものを持参していた。
片手に割りばし、片手に「赤いきつね」である。
「よう、龍彦。ざまあねえな。そんなんじゃ、俺との長年の決着は付けられねえ。だから勝手に俺の好きな赤いきつねをの良さを実演しながら語らせてもらうぜ」
龍彦と呼ばれた老人は相変わらず意識は戻らない。だが、構わずに洋二老人は素早くふたをめくり、病室に置いてあるポットの湯を注いだ。そして、眠り続ける龍彦の鼻元に近づける。
「ちょっと、おじいちゃんに何を」
孫の一人が迷惑げに洋二からガードしようとする。
「純夏、多分いつもの『アレ』をやるのだ。最後になるかもしれない、好きにさせなさい」
父の呼びかけに渋々と純夏と呼ばれた女性が少し、離れる。
こうなると洋二の独壇場だ。赤いきつねを龍彦の鼻元に近づけながらトークは続いた。
「赤いきつねは五分待つ。お前はいつも緑のたぬきに比べて長い、すぐできる緑のたぬきが優れていると言ってた」
蓋を少しめくり、龍彦の元へさらに近づけた。
「だが! お前はわかっちゃいない。まずはほのかに漂う出汁の香りを嗅ぎながらイメトレをしていくのだ。こうしている間にも油揚げに出汁が染み、油揚げ自身の甘辛さが出汁と融合していく。そんな時間が五分間もあるのだ。そう考えるだけでもワクワクしねえか?」
龍彦は答えず意識は戻らない、だが構わずに洋二は赤いきつねをリスペクトしていく。
「ふっ、お前は緑のたぬき派だから理解できねえからシカトか。俺から言わせれば緑のたぬきはかき揚げの食べ方でも先乗せ派と後乗せ派と二つに割れて争うと言う。しかし! 赤いきつねにはそんなくだらねえ争いはない。お湯を先に入れないとパサパサして食えたもんじゃないからな。たまに後乗せする奴がいるが、変態扱いされている。おっと、こうしている間に四分半も経ったな」
「伯父さん、あれ何?」
孫の一人がこそっと尋ねる。
「隣に住む洋二さんだ。彼は赤いきつね派、じいちゃんは緑のたぬき派でどっちが優れているかって、暇あればしょっちゅう討論してたのだ」
「はあ……」
「人は意識無くても会話は聞こえるという。最後の討論になるだろうから、じいちゃんのためにも聞かせてやろう」
「そしていよいよ五分経った。待望の蓋を全部めくる。じゃじゃ~んと擬音を付けたくなるくらいの大きな油揚げ、隙間からしか嗅げなかった赤いきつねの香りが全開となる。この至福の時間、わからねえだろうなあ、寝てるもんな」
心無しか洋二の声も涙声になり欠けている。これが最後になると本当はわかっているのだ。しかし、努めていつもの毒舌を保とうとする。
そして龍彦の耳元でわざと音を大きく立ててうどんをすすり始めた。
「うどんという純粋な小麦粉100%の麺だから旨味も純粋に味わえる。お前の緑のたぬきはそばだ。そば粉の香りが汁の味とケンカするから合わねえって俺が何度言っても『そばと汁の高尚なハーモニーがお前には理解できないのだ、哀れだな』とか返しやがってよ。ホント、頭の固え奴だった」
脳波と心電図のモニターが先程より弱くなってきた。医者も首を横に振る。いよいよだと皆が覚悟した。洋二も赤いきつねを食べながら泣き始めている。
「待ってろよ、龍彦。議論の決着は天国でやろうぜ。あ、お棺には赤いきつねの良さを知ってもらうために赤いきつねを箱買いして入れてやるからな。どうせ仏壇には緑のたぬきばかりだろうからな」
その瞬間、異変が起きた。脳波計の反応が急激に回復したのだ。心電図も強くなっている。その瞬間、龍彦がカッと目を開き、大声で反論した。
「なんで、そこで赤いきつねなんだよっ! 緑のたぬき以外は認めんっ! 洋二、貴様は死んでからも嫌がらせするのかっ!」
一瞬、医者を含めて病室の全員が何が起きたのか理解できなかった。本当に瀕死だったのだ。医者も見慣れていた臨終のパターンが打ち破られたので混乱していた。脳波計も心電図も健常者のそれに戻っている。
「そうやって隙あらばいつも赤いきつねを押し付けてくる。そういうとことが赤いきつね派の嫌われるところだ!」
「何を言う! 緑のたぬきなんて邪道から引き戻すべく赤いきつねを推すのではないか!」
「緑のたぬきのどこが邪道だ! 全国の緑のたぬき派に謝れ! とにかくあの汁を吸ったかき揚げを少しずつそばと食べるのが最高なんだよっ!」
二人の老人が喧嘩、いや、討論を続けている間に息子がこっそりと医者に尋ねていた。
「先生、これはいったいどういうことなのでしょうか」
「私にもなんとも。しかし、蘇生中の人間に食べ物の話をして生きる気力を戻らせようとする救命士の話を聞いたことがあります。今回もその類なのでしょう。龍彦さんにとって緑のたぬきがかけがえのないものだったから、強く反応したのです」
そうして龍彦老人は死にかけていたとは思えないスピードで回復し、今も洋二と二人でミニカップ麺を啜りながら議論している。ミニなのは塩分を控えろと双方の息子の嫁に言われているからだ。
ハッピーエンドである、一部の者達を除いて。
「私の晴れ着姿より緑のたぬきに負けたのか……」
「初給料で緑のたぬき買うか……」
「ひ孫より緑のたぬきが効果あるなんて……」
赤いきつねと緑のたぬきはあらゆる人に効く 達見ゆう @tatsumi-12
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