怒りを買う女。

嵯峨嶋 掌

怒りを買う女

 どうしてこうポカばかりやってしまうのだろう。指示されたことを、そのまま反復するように心がけてきたのに……。

 丁寧に、こつこつ、やっているだけなのに、気がついたら、上司から、

「こらっ、おまえ、何やってんだ!」

と、怒られてしまう。

 いつものことだ。

 何やっている……もなにも、黙々と仕事をやっているだけなのに、どうもうまくいかない。

 からからからから空回り……。

 そんなときには、いつも、このフレーズが口をついて出る。そのときの気分と情況によって、節を変え、強弱長短の調子を変える。

 そしてその次には、こんなことを考えている自分に気づくのだ。

 ……自分に向いている仕事は、本当に見つかるのだろうか。

 真面目ぶって悩んでみたりもするのは、なんといっても、あたしはでこれでもけっこう真面目なほうだから。

 冒険ができない……タイプかもしれない。創造性が無い、という意味ではなくて、思いついて何かをやっても、いい結果に結びつかないのだ。

 あたしが本業の仕事の合間にこっそりやっていたのは、〈怒りを買う〉ビジネスだった。

 ほら、世間では最近とくになにかとイライラすることが多いでしょ?

 みんな怒りをめているはずだから、それを買ってやろうとしたわけ。いいアイデアだと思わない?

 え? 買うのなら、お金が出る一方なのに? そ、普通はそうだけど、ほら、粗大ゴミの回収と同じで、あたしが買うのではなく、手数料をもらって、みんなが怒りをめた堪忍袋を、買う=回収しようというわけ。

 で、回収したものを、本業の直属の上司に渡してあげれば、喜んで出世させてくれると思ったの。

 でも……。

 事情を知ったあたしの上司は怒りまくって……

「おまえな、なにをやってるんだ! 人間どもの〈堪忍袋〉を集めても、こっちはなんのトクにもならないぞ!」


 あたしの上司は、びっくりクリクリして目玉が飛び出したっけ。……あ、よけいな話だけど、そのとき、飛んでいった眼球が、月になったそうだけど。


「……で、でも、堪忍袋を買ってやれば、つ、つまり、堪忍袋を回収しておけば、人間は怒りを溜めることがないし、怒りが小さいうちに、そのつど小出しにできるから、みんなケンカしないし、平和になるって……単純に、そう思ったんです……」


 あたしはそう言って上司を説得しようとしたの。するとね、その上司が、ため息をついてこう反論してきたの。


「あのなぁ、おまえ、その考え方が、根本的におかしいんだぁ! 人間どもが、怒りを爆発させなくなってしまえば、事件も激減して、おれたちの仕事自体がなくなるじゃないか! 一体、全体、なにを考えてるんだぁ」


 あたしの上司……閻魔えんま大王様の怒りをくらってしまって、ついに第百八番目の秘書を解任させられてしまった。

 ま、いまから振り返れば、まず最初に大王様の堪忍袋を買っておけばよかったのかしらね……



★★

 ……で、左遷させんされてしまったの。懲戒処分ともいうんだって。よう知らんけど。

 飛ばされた先では、なんと堪忍袋関連業務を押しつけられしまった。これ、やっぱり嫌がらせなのかも。


 いずれにせよ。

 その日から、あたしは、を切る女、って呼ばれることになった。

 もちろん、人間の、堪忍袋のを切る仕事。

 これ、簡単そうで、実際にやってみると、それはそれでけっこう難しいのよ、ほんとの話。なんたって、切るタイミングが一番難しい。


 たとえば、恋人同士がささいな事でケンカしているとする……

 どっちかの〈堪忍袋の緒〉さえ切れば、怒りが心頭に発して、二人は、ハイお別れさん……というふうにスムーズにカップルの仲を壊すことができるんだけど、切るタイミングを逃してしまうと、二人は気づいてしまうの、自分たちが怒った理由が、“ささいなこと”だったと。


 うーん、あたし、その仕事でもポカをやってしまって……何万組のカップルの仲を、断ち切るどころか、逆に強く結びつけてしまったような……あ、ここだけの話。

 一番の失敗は、切るを間違えたこと……

 それは、ある病院での出来事……


 十歳ぐらいの女の子がベッドで寝ていて、お見舞にきたその子のママと大喧嘩になりかけていた。

 よし、今だ! とおもって、切った……ら、突然、ぽカッと、頭を殴られた。


「この野郎! おいらの仕事の邪魔しやがって!」


 あたしは、驚いた。

 振り返ると、不透明な人物がそばにいて・・・・


「……この女の子は、今夜、冥界へ連れていく予定だったんだぞ! なのに、この子とおいらの間の糸をち切りやがってぇ!」


 その……死神さんの怒ること、怒ること、怒ること(あ、何回もわざわざ書くのは、死神さんがめちゃくちゃ怒った、ということを視覚的にも伝えておきたかったから)……ひゃあ、ごめんなさぁい、って叫びながら、あたし、平謝りして病室から逃げてきた。

 そんなに怒らなくてもいいのに、ね。

 ま、そんなこんなで、またまた、配置換えで…… 


★★★


 次の職場は……人間の世界にいる鬼の種族たちが、悪さをしすぎないかを監視する仕事。あ、悪さはしてもいいし、こちらとしては大歓迎なのだけど、何事にも限度というものがある。ほどほど、というのが肝心かんじんなわけ。

 だから、あまりにもひどいことをする鬼には、お仕置きをする……これが、“鬼を監視する女”の役割なの。


 え? どんなお仕置き? それはね、鬼が持っているあの金棒を取り上げてしまうの。

 はい、没収! ってわけね。うふふ。


 でも……近頃の人間の大人おとなたちは、おにといっても、あまり恐れないし、こわがらないので、やっぱり、子どもたちに近づこうとする鬼どもを見張ることが多かったわ……。

 これは、ある公園であたしが垣間見た光景……


「おまえ、鬼やれよ!」

 ガキ大将に言われた少年は、

「やりたくない!」

と、叫んだ。

「鬼なんかいやだ。絶対イヤだ。去年鬼をやらされたとき、あとでお母さんに散々叱られたんだ。去年やったから、今年はイヤだ!」

「やれよ!やれ、やれ!」

 言い争いは、おさまらない。

 しびれを切らしたガキ大将がつい口に出した。

「……だって、おまえは、もともと鬼じゃないか! 鬼の一族なのに、どうして、鬼をやるのをイヤがるんだ?」


 嫌味を言われて、少年はワンワンと泣き出したの。

 そこへ少年のお母さんが登場……


「ちょっとあんたたち、そんなことではダメよ、ダメダメ……もっともっと、うちの子を怒ってくれなくっちゃ!」

 

 そのお母さんの意外な一言で、みんな一斉に逃げるようにかけていったよ。


 このとき、あたし、とっても不思議でしかたなかったもので、つい、横から口を出してしまったの。

「あのう、鬼の一族……って、本当ですか?」

 すると、その子のお母さんは、こう答えてくれたの、もちろん、物凄く怒りながら……。


「そうよ、長い間、人間に混じって、人間から怒られないように、迷惑がられないように、それこそビクビクしながら、生きてきたのよ。ほんと、情けないものさ。なのに、この子ったら、いつだったか、冥界の性悪しょうわる女にだまされて、自分の堪忍袋を回収させてしまったのさ。しかも一生懸命貯めたお小遣いまでむしり取られてしまって……。堪忍袋が無いから、情緒不安定で、ほら、このとおり、いつも泣いてばかり……」


 ひゃあ、もしかして、その性悪女ってあたしのこと?……と、これまた大慌てで公園から逃げてきたんだけど。

 なかなか、うまくいかないものだね……

 鬼の子さん、堪忍してね……



★★★★


 ……眠っている人間の監視なら、あたしにもできるとおもって、今度は自分から転属願いを出したの。

 ほら、よく、仕事中にうたた寝したり、通勤通学の電車のなかでコックリとやることあるでしょ。

 睡眠のシステムは、まだまだ解明されていないことが多いだけに、人間より早くその未知の仕組みを探るのが目的みたい。

 で、あるとき、寝言で男が、

「くそう、切りそこねやがって……」

と、言っていたのを聴いたの。ほら、“切る”のことばに敏感に反応したあたしは、眠っている男の耳元で、

「それ、どういうこと? お、し、え、て!」

と、囁いた。

 すると、男は眠っているのに眉間に皺を寄せてぶくつさ……


「……あの女と別れたかったんだ。だから、半年もかけて、あいつが怒るように、怒るようにじっくりと仕掛けてきたのに、どこのどいつか知らないが、あいつの堪忍袋の緒を切るのを忘れやがって……そんなことって、あるか!! おかげでオレはいまだに生地獄だぁ」


 ひゃあ、どうやら、あたしが、緒を切るタイミングをずらしてしまったカップルの片割れだったみたい。

 うーん、やること、なすこと裏目に出てしまう。

 そのとき、あたしは、ハッと気づいた。

 そういえば、あのときの病院のベッドにいた女の子は、あれからどうなったンだろうか……と。


 ……あっちこっち捜し回って、ようやく、あのときの病床の女の子を見つけた。

 すっかり元気になって、お笑い芸人を経て、今ではネット界のオピニオンリーダーになってたよ。

 ニックネームは、ずばり、ニュースな女。

 その影響力や甚大じんだいで、彼女のポジティブ・メッセージに救われた人々が、いっぱいいることがわかった……。

 こっちがドジばかりやっていても、あの子は生命いのちがながらえて、こうして、発信力のある女性に成長したんだからね。エッヘン。


 ひゃあ、やるじゃない、あ、た、し。

 てね。えへへ。

 で、最新のニュースで、彼女がニュー・ビジネスを立ち上げる記者会見を開いているのを、見たの。


『……わたし、考えたんです。怒りの感情がそのヒトをダメにしてしまうんです。だ、か、ら、みなさんの怒りを買ってさしあげようと思うんです。もちろん、お金はいただきますよ。買う、といっても、処分料だから、大型ゴミ出すときにお金を払うでしょ? それと同じ……怒りを処分したい方は、ぜひレラしてみてねっ』



 うーん、なんてこったい。

 それ、あたしが以前考えていたアイデアそのものじゃない……。

 見事にパクられてしまった……わけ。

 しかも、かつての上司(第一話参照)からは、

『人間ふぜいに先を越されるなんて、なんていう恥さらしだ!』

と、怒られたし。

 死神さん(第二話参照)からは、

『だから、あのときに……』

と、蒸し返された。

 鬼のお母さん(第三話参照)からは、

『返して、うちの子の堪忍袋を!』

と、いまだにストーカーのようにつきまとわれているし……あたしも、そろそろ、怒りが噴出しそうに……


 けれど、ご安心。

 うふふ、そうなんだ、あたしには、堪忍袋はもうないの。

 だって……

 あたし、おもいきって、ニュースな女に、あたしの堪忍袋をプレゼントしてあげたから。

 いってみれば、顧客第一号かな。 

 そして……いまは、ニュースな女の第一秘書になったの。

 なんかこう、やる気がいてきて、いま、とっても良い気分。


 え? そんなハピエンな話、聴きたくないって? 読んでソンした? 

 でもね、ソンした時間は返せないの。怒らないでね。

 だから、これを読み終わっても、お願いだから、怒らないでね。もし、ほんの少しでも怒りそうになったら、ご用心、ご用心。からからからから空回り、のあなたの堪忍袋を処分するきっかになるはずだわンダフルディズ(´д`)


              ( 了 )

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怒りを買う女。 嵯峨嶋 掌 @yume2aliens

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