第2-3話

 兄が部屋にこもるようになって十四日。兄は依然として部屋から出てこない。食べ物と新聞紙だけよこすように言うだけで言葉を介してもくれない。


 それからして弟は私たちと同じように働くようになった。道沿いでパンを売るだけの仕事だが、月収はよく、弟だけでも家計の4割は支えてくれた。


 それからさらに三日ほど経った頃だ。この辺では見かけない人物が訪ねてきた。その人が来るやいなや布団をかぶり震えだした。まるで死者が訪ねて来たかのような怯えようだ。


 私は玄関の扉を開けようかどうか迷った。兄の怯えようを見れば、一目瞭然。開けない方が兄にとっていいことだ。けど、ここで開けなければ――脳裏にひとつ嫌な歪みが裂いた。


(本当に兄は必要なのか?)


 心のどこかで兄を否定する私がいた。


 兄はあの日を境に人が変わった。部屋に閉じこもり、贅沢するかのように新聞紙やクリーム入りのパンを要求するようになった。私や家族からの声掛けも一切返事をするどころか本や食器などを投げつける始末。


 そんなことを繰り返す毎日。私は疲れ切っていたのだ。


 兄の祈りに私は裏切ったのだ。


 玄関の扉を開けた。開けると同時に兄は卑屈な悲鳴を上げた。


 扉を開けるとそこにいたのは優男だった。パペットを手に玄関の前で突っ立っていた。白い帯を両手両足に結んでいる。服には星の模様が描かれている。


「……だれ? お人形さん?」


 兄のようにカッコイイ印象があったがどうも物静かさで兄とは正反対だ。私の問いかけに反応を示したのは男ではなく手に持っていたパペットだった。


『お嬢さん、部屋にいる男を差し出せ。これは取引でも交渉でもない。強制だ』

「どなたかご存じありませんが……兄は病気なんです。部屋にこもっきりで私たちの声さえも答えてくれません」

『もちろん報酬は払う。この世界では暮らしていける額だ』


 提示されたのは金貨70枚。一生暮らしていけるほどの大金が男の袋の中にあった。家を売って庭付きの屋敷を買ってもおつりが出るほどだ。第一世界の単価は安く、第二世界よりも二十分の一でしかない。給料も第二世界から見れば安い。


『隠れているお…いや、君の兄を合わせてくれないか』


 差し出された金貨を見て唾を飲み込んだ。これだけあればひもじい毎日を過ごすことはない。けど、脳裏に兄の記憶が流れ込む。優しかった兄がこの男の金貨と交換すると思うと、自分が酷い仕打ちで返すのではないかと思いとどまる。


『……仲間たちが動かないぜ。こりゃ、ボスが言った通りだ。コイツは使えるぜ』

「え?」

『こっちの話だ。これは好都合だ。あちらさんは魔法が使えなくて困っているに違いないぜ』


 男は私を差し置いて中に入った。すると途端にパペットが動かなくなった。まるで魂を抜き取られたかのようだ。


 男は動かなくなったパペットを見て酷く動揺した。パペットを揺すりさする。けど動かない。酷く取り乱す。部屋の中にあった椅子やテーブルを蹴飛ばし、あげくの果てに窓ガラスを割り、壁を壊し始めた。


「やめて!!」


 止めに掛かるも男の容赦ない拳で家の外へ吹き飛ばされた。顔を殴られ口や鼻から赤い血が流れた。口や鼻を切ったらしい。


 男に殴られたにもかかわらず、兄は心配するそぶりも助けにも来ない。ああ、兄はもう昔のような優しい兄じゃないのだと悟った。


『やれやれ、ようやく息ができたぜ。アイツを殴って追い出すなんて、強くなったなアンジー』


 突然息を吹き返した。アンジーは血まみれになった手でパペットをなでた。


『おいやめろ! 汚れるだろうが!!』


 アンジーはすぐに気づき、落ちていたテーブルクロスで手を吹きカーテンを引き裂いて包帯のようにして巻いた。


『派手に暴れたな。金貨70枚…内で収まるだろう。さて、あちらさんも魔法が使えるようになったはずだ。気をつけろよ。なぜなら、あちらさんは罪人だ。人を化かす専門家だ』


 兄がいた部屋から扉がゆっくりと開く。中にいたのは兄とは全然顔が異なる太った男が立っていた。硫酸をかけたかのような顔はとろけ、眼や鼻の位置は崩れていた。


「ようやく自由になれたぜ。化けるのはとても大変で、一度顔を変えると再度変えるにはもう一度使う必要があるのだが、どういうわけか魔法がからっきし使えなくなっちまった」

『俺達もそうだぜ。あの女の魔法だ。どうやら強制的に魔法を使えなくさせてしまう能力をもっているみたいだぜ』

「道理で。この家族たちもみんな魔法使いなのに、だれひとり使っていない。最初はそういうに見せかけているのだと思っていたが、どうやら真相はすべてあの女が握っていたようだな」


 二人して私に指さして会話をしている。なんのことかさっぱりわからない。魔法? 私と魔法と何の関係があるのだろうか。それよりも兄は兄じゃなかった。では、本物の兄はどこへ行ったのだろうか。


『さてと、改めまして。俺はアンジー。罪人だ。今は分け合って看守と別行動をしている』

「別行動? よく許してもらえるな」

『信頼関係が根深いので』

「それで、俺を捕まえに来たのか?」

『本部ではそうしろと言われたが、俺達は違う。ぜひ、協力してもらいたい』

「協力だあ?」

『信用できなくて結構です。すぐに信用して協力してもらえるようになります』


 男はアンジーを見て、どんな魔法使いなのかを探っていた。パペットがひとりでに話しかけている。それに部屋の暴れよう。アンジーの手が包帯で覆っている。おそらくアンジーが暴れたのだろう。だとすれば、パペットか怪我をした男(アンジー)かどちらかが本体だ。それにしても怪我をしているのに痛がらない。まさか本体は別の場所で隠れているのかもしれん。


「その話し方だと、仲間が近くにいるみたいだな」

『ご名答』

「…なら全力で逃げなくちゃな。俺はまだ魔法を完成していない。この魔法を完成次第、世に見せしめる。魔術だと呼ばれ続けるのは腑に落ちないからな」

『魔術は魔術ですよ。人に危害を加えた時点で、そんなものは魔法じゃない』

「よく言うよ。アンジー、その名前ようやく思い出したよ。マリオネットマスターの異名を持つ青少年。たしか幼いころに投獄されたんだっけな。今になって外に出してもらえたか。監視塔はよほど人手不足らしいな。こんな危険な奴を野に放つなんて」


 アンジー。その名を知らない人はいない。魔女から生まれた呪われた黒髪の子供。人形やロボット、建物など無機物に生命を吹き込み操る魔術師。魔女を捕らえると同時に捕まえた。


 長い間、陽の光を差さない地下牢で暮らしてきた少年は、肌は真っ白く変色し、瞳の色は左右異なる色をしたと。


「さぞ、好奇心旺盛な看守に出してもらえたんだろうな。魔女の子だ。呪われた子だ。きっと自分の名誉のために出してもらえたんだろうな!!」

 アンジーは肩を震わした。強く反論したい。言い返したい。けど声が出てこない。パペットはアンジーの代わりに叫んだ。

『俺は、必要だといわれたから外に出られた。だから、恩人に悪く言うな!』

「恩人……か。どちらにせよ、魔女の子を狩りだすなんて相当のようだ。俺はさっさと逃げさせてもらうぜ!」


 男の体から蒸気を発した。男の体を覆いつくすように蒸気がまとまっていく。パペットがテーブルや椅子たちに命を吹き込み、男を捕らえようとするが、取り逃がしてしまう。


『クソッ!』


「――悪いが、ひとまず退散させてもらうぜ――」


 霧が晴れると男の姿はどこにもなかった。


 アンジーを守るかのようにパペットたちが一斉に終結した。気配はパペットを通じて手に取るようにわかる。男は逃げるように言ったがこの場にとどまっている。パペットたちはかすかに男の魔力を感知している。


 およその位置を割り出し、そこに攻撃を仕掛けるも男は「おおっと」と呆気に捕らえる声を上げるも捕らえることはできない。


 アンジーは少しずつでもと何度も挑戦する。なぜそこまで一生懸命にやれるのか理解できない。私はそんな彼が一生懸命なところを今の私と重ねるかのように私もなにかやれないかとアンジーに声をかけた。


『来ないでくれ。君が来ると俺の魔法が解ける。無防備になる。それにアンジーが怖がってしまう』


 パペットは先ほど、殴ったことを詫びるかのように頭を下げた。アンジーは本当は気の優しい子だ。だが、男が話していたように地下牢で暮らしていたのだとすれば、アンジーの心はきっとまだ闇の中なんだ。パペットを友達と思うほど友達も家族もいない時間を過ごしてきたのだろう。


 私はふと昔のことを思い出した。兄に見せた光の玉。兄に見せたきり兄は怒って二度と人前で見せないように誓った。だけど、いま兄はもういない。私は昔の記憶の中から光の記憶を思い出した。あの日、光を幸せな思い出で作ったことを思い出しながら。


 両手を組み祈りを捧げる。すると両手が白く光りだした。光は手のひらから離れ空高く飛び上がる。光は太陽のように輝いた。すると、消えていたはずの男が姿を現した。


「な、なぜだ!?」

『それっ!! 一斉に飛びかかれ!!!』


 パペットの軍団は一斉に男を覆いかぶさるかのように捕らえた。男は逃げるように暴れるがパペットの数が圧倒的に多く手を伸ばしながらパペットの軍隊に押しつぶされていった。


 それからアンジーのボスと思わしき人から兄を合わせてくれた。どうやら男によって囚われていたらしい。囚われていたころの記憶はあいまいで兄が戻ってきたことに酷く感謝した。


「兄さん!!」

「テクト!? 無事だったか!」


 本物の兄だ。あの偽物の兄じゃない。本物なんだ。優しかった兄そのものだ。


 しばらくの間、抱き合ったあと兄からあることを告げられる。


「俺、看守になるんだ」

「え、どういう…こと?」

「あそこの人が俺を推薦してくれたんだ」


 指さす方には紫色のローブにフードで顔を隠した人が立っていた。彼は兄を助けてくれた二人のうち一人だ。


「給料は今の仕事の十倍だ。これでひもじい生活はオサバラだ」

「え…てことは…」

「ああ、テクトはやりたいことをやればいい! 学校もあとちょっとで卒業だろ?」


 学校をやめたことを言いにくかった。でも、喜んでいる兄を前にして隠し事はできなかった。


「私…学校をやめたの」

「え」

「兄がいなくなって、生活が苦しくなって…私、あと少しで卒業できたんだ。でも、家のことも家族のこともある。だから、私……」


 兄が抱きしめた。


「すまない。心配をかけてしまって。今度は俺がずっとテクトたちを守っていく。ずっと、ずっと」


 そのあと、わんわん泣いた。涙が涸れるまで泣き続けた。

 これが本当に兄と別れることになるとは正直思いもしなかった。


 4年後、私は厳しい試験を合格し、看守となった。

 いなくなった兄の行方を探すために。

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魔術狩り 黒白 黎 @KurosihiroRei

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