赤と緑が俺らの証

眞石ユキヒロ

忘れられない春

 ほんの些細なことから始まった喧嘩だった。

 

 まだ高二の春の昼休みだっていうのにエニシ―――堀部ほりべえにしが教室で参考書を読んでたから、頭に軽いチョップをくれてやった。クソ真面目なエニシを気晴らしのバスケにでも誘おうと考えての行動だった。

 

 けれどエニシは怒った。眼鏡の向こうの瞳をギラつかせて、「せっかく頭に入った公式が吹き飛んだ」とか言って。

 

「良いだろ、まだ高二の春だぜ!天気の良い内に遊んどかないと!」


あかしはほんとバカで良いよな。僕も見習いたいくらいだよ」


「あぁ!?健全な遊びを軽んじるエニシ君には言われたくねーなぁ!?」


 俺たちの口喧嘩はエスカレートしていき、本鈴が鳴るまで続いた。普段からやかましい俺だけでなく、珍しく問題を起こしたエニシにも教師はイライラで、俺とエニシは教師に集中狙いされる羽目になった。

 

 教師という第三の敵が現れたおかげか、授業が終わるとすっかり俺のエニシへの怒りは冷めていた。隣の席に座るエニシもきっとそうだろうと思っていたらそうじゃない。俺がエニシの肩を叩いたり頬をつついたりしても、黒い瞳を俺に向けない。

 

 これはだめだ。エニシには教師よりも俺の方が許せないらしい。だからといって謝るのも何か違う気がする。別に悪気があってやったことじゃないし。

 

 無反応のエニシをいじっている内に、次の予鈴が鳴る。さすがに今回は大人しく席について、教科書とノートを取り出した。

 

(さーて、どうしたもんか)


 シャーペンを何度もノックし、無駄に芯を輩出している内に、本日最後の授業は終了してしまった。

 

 

 

 帰り道。カーチャンから頼まれたおつかいで、スーパーに向かいながら、俺はエニシとのこれまでを思い出していた。


 知り合ったのは高校からだけど、エニシとはなんとなく気が合う。というか言い合うことに遠慮しなくて良かったから、気が楽だった。

 

 気が楽だったから、気を抜いていた。その結果、言い合いがエスカレートして気まずくなってしまった。

 

 言い合いが楽しい相手なんだ、気まずくなるのは本望じゃない。だからといって真っ正面から謝ってしまったら、軽口を叩き合う関係には戻れなくなるかもしれない。そういう危惧もある。

 

(なんか、なんかいい手は……)


 辿り着いたスーパーの入り口。自動ドアの前に立つ。自動ドアがスーッと開いて、涼しい空気が俺の短い髪を揺らした。


 吸い込まれるように店内に入ると、入り口付近に鎮座するカラフルなそれが目に入った。

 

 赤いきつねと緑のたぬき。学生の小遣いでも手を出しやすいそれは、まさに腹ぺこになりがちな男子高校生俺らの救世主であった。

 

「これだ!」


 そうだ、馬鹿正直に謝るだけじゃない。誠意を見せるという手だって存在するじゃないか!

 

(やっぱお揚げだよな、お揚げ。これならエニシだってなんとな~く許してくれんだろ)

 

 大好きな赤いたぬきを買い物カゴに放り込む。大丈夫だ、今月の小遣いはまだ残ってる。赤いたぬきの代金をスマホにメモしながら、俺は青果売り場へ向かっていった。




 翌朝、いつもより三十分早く登校して、パッケージに油性マジックで『昨日は悪かった。これで手を打ってくれ』とだけ書いた赤いきつねをエニシの机の中に仕込んだ。

 

 それから自分の席に座り、スマホで遊ぶフリをしながらエニシを待つ。十分後に現れたエニシは俺を見ずに席に座った。昨日の気まずさを引きずったままなので挨拶はないし、自分からする気にもなれない。

 

 エニシは教科書やノートを入れる前に机の中を見る傾向がある。横目でエニシを伺うと予想通りに机の中の赤いきつねに気づいて取りだしてくれた。

 

 そして眉根を寄せて立ち上がった。

 

「僕は緑のたぬき派なんだけど」


 挨拶もなくそれだけ言って、エニシは俺の机の上に赤いきつねを置いた。俺は赤いきつねをエニシのスクールバッグに押し込んで、無理矢理受け取らせた。エニシは終始むっとしたままだったが、昨日のような気まずさは感じられなかった。

 

 翌日、俺の机の中には緑のたぬきが入っていた。パッケージには『天ぷらはふやふやにするのが絶対美味しい』と書いてある。俺は口角を上げてエニシの机にそれを置いた。

 

 俺とエニシの視線が合う。もちろん友愛や許容といった温かい気持ちの籠もった視線ではない。ライバル意識と意地という、健全な感情に満ちた視線だ。その後エニシは俺のリュックに緑のたぬきをつっこんだ。

 

 その翌日は俺が『暖かいお揚げが一番うまい!』と書いた赤いきつねをエニシの机に忍ばせ、さらにその翌日にはエニシが『天ぷらにはカリカリのまま食べるというバリエーションもある』と書いた緑のたぬきを俺の机に忍ばせていた。

 

 『幅広のメンで食べ応えがあっておトク!』『細く長くに人生の教訓が詰まった素晴らしい麺』『赤ってゲンキが出るだろ!』『緑は心を穏やかにする』

 

 こうなるとどちらも退かない。俺とエニシの赤いきつね、緑のたぬき戦争は互いの小遣いが尽きるまで毎朝行われた。

 

 

 

「なかなかやるな、エニシ」


「それはこっちのセリフだよ、証」


 屋上に倒れる俺らの中心には赤いきつねと緑のたぬきがあった。俺は起き上がって、緑のたぬきを手にした。すでにお湯が注がれていて、食べ頃になっている。

 

「仕方ねーから食ってやるよ」


「仕方なくない、凄く美味しいんだから」


 エニシも起き上がって、傍らの赤いきつねを手に取った。食べ頃になったそれのフタを開けて、匂いを嗅いでいる。


「……悪くはないね。天ぷらがないのは残念だけど」


「なら……ほいっ」


 俺は封を開けず取っておいた天ぷらを、エニシに差し出す。エニシの表情が和らいだ。

 

「そういうことなら……」


 うっすらと笑ったエニシが、俺の緑のたぬきにお揚げを移した。

 

「おっ、悪くねーな!」


「これはこれで趣があるね……!」


 二人で麺をすすり、お揚げと天ぷらを囓りながら笑い合う。久々にエニシと笑い合って、良い気分のまま午後の授業を受けた。眠りこけて教師に怒られたが、エニシはそれすらも笑ってくれた。

 

 

 

 それから約二年後、桜の咲く頃。俺とエニシは卒業式を迎えた。

 

 俺は就職、エニシは進学。東京で一人暮らしをはじめると言っていた。一ヶ月前にそれを告げたエニシの表情がどこか名残惜しげに見えたのが、未だに強く印象に残っている。

 

「お前が寂しくないように赤いきつね、箱で送ってやっても良いからな」


「証こそ、僕がいないのが寂しくないように緑のたぬきが一生分必要なんじゃないかな?」


 卒業生やその保護者、後輩や教師の悲喜こもごもで賑わう校門の前で、そんなやりとりをして互いに背を向ける。それだけでエニシの気持ちは伝わってきたし、エニシもそれだけ言えば伝わると信じてくれたのだと思う。

 

「今日は緑のたぬき、食べてやるから」


「僕も、今日は夜食に赤いきつね、食べようかな」


 振り返ることもなく、どちらからともなく歩き出した。

 

 まだ風は少し冷たくて、それでも空を見上げるには少し眩しい。忘れられない春だった。

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赤と緑が俺らの証 眞石ユキヒロ @YukichiAwaji

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