ねこ飛んじゃった(赤い靴3)

源公子

第1話 ねこ飛んじゃった(赤い靴3)

 孤児のカーレンは、黒い靴を履いて行かなくてはならない教会に、禁じられた赤い靴を履いて行くような娘。

 今日も養い親が死の床に就いているのに、赤い靴で舞踏会に出かけてしまいます。

 するとカーレンの靴は呪いがかかって脱げなくなり、一生休む事なく踊り続けなければならなくなったのです。


 昼も夜も踊り続けるカーレン。養い親の葬儀にさえ出られませんでした。

 呪いから逃れるため、とうとうカーレンは両足首を切断します。

 赤い靴は、切り離された両足を入れたまま、踊りながら去っていったのでした。

 アンデルセン作「赤い靴」より




 今日は九月三十日、アメリカの防災の日だ。オハラ大統領の二人の娘パット(パトリシア、十一歳)とケティ(キャサリン、五歳)もイベントに参加するので朝から大騒ぎ。


 ベビーシッターのメリー(本名、真理子。日本人、二十三歳)もファーストレディのママの代わりに付き添う事になったので、よけいに嬉しいのだ。


 だってママは厳しいけど、メリーは親切で優しくて、若くて美人で、胸まででかい。毎晩その胸に頭をのせて、心臓の音を子守唄にしてる俺が言うんだから間違いな

 い。 

 

 俺か? 俺の名はソックス。クリスマスプレゼントを入れるあのソックスさ。

 ケティに飼われている雄猫トムキャットなんだ。

 タキシード柄で、四本足は白靴下、八割れ顔のシュッとしたハンサム。

 生まれて六カ月だ。


 そうそう、メリーの事だ。古いことわざにあるだろう?


「天国とはアメリカの給料をもらい、中国人のコックを雇い、英国のでっかい家に住み、日本人の妻を持つこと」だって。

 家はともかく、メリーならコックは不要。料理の腕はプロ並み、和洋中すべてOKだ。


 そんなメリーを新聞が〝ホワイトハウスのメリーポピンズ〟なんて記事にしたもんだから、今じゃメリーは、全米お嫁さんにしたい女性ナンバーワンになっちゃって、ホワイトハウスには毎日ファンレターがいっぱい来るようになった。


 パットとケティは、メリーが結婚してベビーシッターをやめるんじゃないかと心配している。

 ファンレターの半分が独身男。半分が写真入りで、「息子の嫁になって下さい」という母親達のじゃ心配にもなるよな。


 そのメリーが今日は黒の礼服を着ておめかししている。

〝黒は女を美しくする〟って本当だ。キレイだよ、メリー。

 俺はいつものように挨拶がてら、スリスリしようとした。


「ソックス、今日はダメ! やっとあなたの抜け毛を取り終ったところなのよ」

 右手のクルクルローラーはそれか。


「メリーの服、台無しにする気だな、この腹黒ネコ」

 パットのいつもの憎まれ口が出る。


「ソックスはお腹白いもん、黒くないもん」

 ケティが俺を抱っこしてお腹を見せる。


「ケティ! 今取り終ったのに」メリーはガックリ。

 ケティの胸は、俺の背中の黒い毛でいっぱいだ。ごめんなメリー。


「ふーんだ。毎日海苔ばっかり食ってりゃ、腹の中は真っ黒に決まってら。

 早く去勢させなよ、そしたら少しは大人しくなるさ」

 いじわる姉ちゃんのパットは俺がキライなんだ。


 俺がまだ子供で、親とはぐれて、ここの台所に迷い込んだのは四カ月前。


 ジブリおたくのパットのために、メリーが一時間かけて作った特製〝黒猫ジジのり弁〟 俺が盗み食いした事を、未だに根にもってる。


 だって腹ペコだったんだよ。だから、そのうまかったことったら!

 以来俺は海苔が大好きになり、パットは俺が大キライになったってわけ。


 ごはん粒だらけの顔で現行犯逮捕された俺。


 パットが「叩きだせ!」と怒り、


 ケティが「猫ちゃん、飼うの」とがんばり、


 ファーストレディのママが「自分の世話も出来ないくせに」と渋り、


 猫好きのメリーが「世話は私がします、何とかなりますよ」と請け合い、


 娘に甘い大統領のパパが「まあいいじゃないか」と言ってくれて、俺はここで飼われる事になった。


 ◇


 ケティとメリーと大統領は、俺の命の恩人だ。

 そして、借りを返すのは男の義理ってもんだ。


 その日から俺はホワイトハウスのパトロールを、一日も欠かさず続けている。

 よく鼠一匹通さない厳重な警備なんて言うが、俺という猫一匹通れたんだから、ここの警備は穴だらけだ。


 すくなくとも、俺がパトロールを始めてからは鼠は一匹も通しちゃいない。

 まったく俺がいなかったら、ここの警備はどうなっていた事やら。


「ソックス、今日は一人でお留守番なの、ごめんね。おやつ先にあげとくね」


 そう言うとメリーは、真四角の大型タッパの横止めをパチンとはずして、パリパリの海苔を半分くれた。

 いつもは四分の一だから特別サービスだ。

 丸山海苔の〝佐賀のはしり〟は、メリーが自腹で日本からお取り寄せしている逸品なんだ。

 愛されてるなぁ俺、うまい。


「オーイお嬢さん方、新聞社の記者さんが正面の芝生の所でカメラかまえて待ってるよ、インタビュー急いでおくれ。ママは党の婦人会だし、パパもこれから昔の友達に会わなきゃならないから。

 ケティは今日、大脱走グレートエスケープ(煙の中を身を低くして進む避難訓練)初めてやるんだろ? 気を付けるんだよ」

 大統領のパパはけっこう心配性だ。


「だいじょうぶ。ケティ消防士ファイヤーマンだもん」


 煙の中で逃げる時、この色ならめだつからと、真っ赤なツナギと、脱げないようにベルトで止めるエンジニアブーツ(五歳児用)をあつらえてもらい、ケティはやる気満々なのだ。


 そのお気に入りの赤いブーツを〝アンデルセンの呪いの赤い靴〟とパットにからかわれて、きのう大泣きしてたのは、もうすっかり忘れてるみたいだ。


「大丈夫だって、マスコットの着ぐるみの後について這ってくだけだよ。私もいっしょにやるんだからさ」

 何のかんので、パットは頼もしい。さすが姉ちゃん。


「そうか、じゃあパパは行くから。メリー、二人をよろしく。スケジュールの合間みて、行けたら顔をだすからね」


「ハーイ」

 三人そろって良いお返事をして、みんなで玄関に向かう。


 先頭は俺、続いてメリー。そのあとを羊よろしく、パットとケティがついて行く。


 SPの一人がメリーの胸に見とれて鼻の下をのばしてやがる。

「シャーッ」と、俺が威嚇するとあわてて目をそらす。

 ホワイトハウスに勤務している独身男のほぼ全員の体に、俺の爪のあとがどこかに付いている。白靴下のソックスの名にかけて、メリーに手ェ出すやつは許さない。


 赤いカーペットの上、しっぽをピンと立て、キャットウォークで堂々たる行軍の先頭に立つ俺は守護者ガーデアンソックスだ。

 メリーと子供達とホワイトハウスを守るのは、俺なんだ。


「じゃあ行ってきます」

 メリーが二人をつれて出て行った。


 みんなが行ってしまうと俺のしっぽが下っていく。

 一人になると悩みが心からあふれ出て、力が半分抜けちまうんだ。


 この頃、俺の体は背が伸びなくなった。初めてここに来た時、メリーの手のひらに乗っていた俺は、四カ月で四倍に大きくなった。

 あと一年もすればメリーの背に届く。

 そしたら俺はメリーを嫁にもらって、一生守るんだと心に誓っていた。


 でも、俺が独身男どもに爪を立てるから、この頃メリーはファーストレディに、早く俺を去勢しろと責められている。

 男性ホルモンがなくなったらもう背は伸びない。

 だから俺はメリーの眠ったあと、毎晩お星様に願っている。


「俺を大きくしてください。メリーに相応のりっぱな男になって、結婚させてください」

 だって星に願いをかけるなら、叶わぬ願いなどないって〝ピノキオ〟で歌ってるじゃないか。


 断っとくが、俺はパットと違ってディズニー派だ。

 俺は誇り高いアメリカの猫なんだからな。

 ジブリだか、ジャパニメーションだか知らないが、いくら流行りだからって、パットは節操がなさ過ぎるよ、まったく!


 そんな事を考えながら歩いたら、めったに来ない応接室の方まで来ちまった。


「Dr.ワ・ルイゾ、こちらでお待ちください。もうじき大統領がまいりますので」

 秘書の奴に案内されて、ビヤ樽みたいな腹したおっさんが入って来た。

 さっき言ってた友達か? しきりに時計を気にしてる。


 ドアの陰から見てたら、しっかり抱きかかえていたバッグから、真四角なタッパを出した。 

 ゴムパッキンがついてて、横でパチンと止める、メリーがいつも海苔を入れてるのと同じやつだ。半透明の中に黒いものも見える。きっと海苔だ!


 おっさんは蓋をとって覗きこみ、ため息をついている。 

 カバンの中から水のペットボトルを出したが、中はカラだ。

 立ち上がって、さっきの秘書にトイレの場所を聞いている。

 よっしゃ、しばらく帰らないぞ。

 一度でいいから、海苔を丸ごと一枚食べてみたかったんだ。今日はツイてる。


 俺は、テーブルにのぼって、鼻でタッパの蓋をずらして、覗き込む。

 あれ? 黒いけど海苔じゃない。ペンキみたいでドロッとしてる。何だろう?

 両前足をタッパの縁にのせて、俺は臭いを嗅ごうと身を乗り出した。


「ひゃあっ」

 素っ頓狂な声がした。さっきのおっさんがもう帰ってきたのだ。



 やべっ! めっかった。俺はあわててバランスを崩して、ズルリ、ドボンと、黒ペンキの中に前足を二本とも突っ込んでしまった。


「ひゃああああっ」

 おっさんが悲鳴をあげる。


 俺は、大あわてで前足を抜こうとしたが、ペンキは思ったよりねばっこくて、タッパは前足ごと持ち上がり、黒ペンキが俺に向かって流れおちて来る。


 あわてて後ろに飛んだが間に合わず、俺の後ろ足を真黒に染めて、ペンキはタッパごとテーブルにひっくり返り、中身をぶちまけた。


「ひゃああああああーっ何てことを!」  

 おっさんは慌てて、汲んできたペットボトルの水で、テーブルの上の黒ペンキを洗い流していた。

 テーブルの下でペルシャ絨毯に真黒な染みが広がっていく。


「あ、あ、あ、どうしよう、どうしよう~」

 おっさんは完全にパニックを起こしていた。


「どうした、何事だ?」

 オハラ大統領がやっと現れた。おっさんの悲鳴を聞いた秘書と警備員も飛んで来た。


 ヤバイ、おこられる――俺は逃げ出した。


「オハラ君! あの猫つかまえてくれ。早くしないと大変な事になる」

 おっさんの声に警備員が俺を追いかける。


「またんか、コラー」

 待てと言われて待つバカァいない。俺も飛ぶように早く逃げた。


 なのに相手はいつまでも追って来る。

 変だと思ったら、あたりまえだ。

 廊下におれの真赤な足跡が、点々と一直線に続いてるじゃないか。

 これじゃ赤い道順付けてるようなものだ。


 え、赤い足跡? 黒だったはずじゃ――。

 見ると俺の足はいつのまにか、黒から真赤に変っていた。四本ともだ。


 赤い足――まるで赤い長靴をはいたみたいだ。

 アンデルセンの赤い靴の呪い? 俺は昨日のパットの言葉を思い出す。


『赤い靴を履くとね、呪われて靴がぬげなくなるの。そうして靴はかってに踊りだして、止まんなくなって、最後には足を切り落とされるんだよ――』


 人魚姫の話のおじさんが、えらいホラー書くもんだと驚いたんだが、まさか――。


 実はさっきから足の感覚がおかしいんだ。軽いというか、浮くというか、揺れる感じで安定しない。

 靴が、かってに踊りだす?――


『早くしないと大変な事になる』

 ビヤ樽みたいなおっさんの言っていた事って……。


「いたぞ! そっちだ」

 警備員が追いついた。壁ぎわに追い詰められる。

 どうしよう、あいつら俺の足を切り落とす気なんだ!


 俺は壁を使い、三角飛びで警備員の上を飛び越して、開いていた窓から、外の芝生に飛び降りた。


 芝生を全力で走る。

 体が軽い――ワンストロークがとてつもなく長くなってる。

 逃げ切れるぞ――その先に新聞記者に囲まれた、メリーとおチビ達がいた!


「メリー、ソックスが来るよ」とケティ。


「何だアイツ、足が四本とも赤いぞ?」とパット。


「待って、追われてるみたい。また何か悪さでもしたんじゃ……」とメリー。


「そいつを捕まえてくれー」と警備員。


「やっぱり! ソックスこっちにいらっしゃい」

 メリーが両手を広げて、こっちに駆けて来る。メリー助けて。

 俺をそのふわふわの 胸で受け止めて――


 俺は全力でメリーに向かって飛んだ。――つもりだった。


 俺はいつもの五倍、いや十倍も飛んでメリーの頭上をはるかに飛び越え、着地したのはホワイトハウスの屋根の上だったんだ!


「えーっ?」メリーとケティとパットが上を見あげて一斉に叫んだ。

 新聞記者達のどよめきと、フラッシュの嵐。俺は屋根の上でフリーズした。


「あ、あ、あ、やっぱり飛んじゃった~」

 遅れて来たDr.ワ・ルイゾは、息たえだえに叫ぶと芝生の上にへたり込んだ。





 それからは上を下への大騒ぎ。普通の梯子じゃとても屋根にはとどかない。

 できる事といえば911で消防車を呼ぶ事くらいだった。


「ニャアーゴ、ニャアァァーゴォ」

 俺の声がむなしく青空に消えていく。

 いったいなんでこんな事になったんだ? 

 下の方でDr.ワ・ルイゾとオハラ大統領とが話している声が聞こえる。


 Dr.ワ・ルイゾは、大統領が高校生のとき、アフリカの小国から留学して来て以来のラグビー仲間で、大学は法学部と理工学部にわかれたが、ずーっと連絡はとりあっていた友人だ。


 オハラ大統領は、卒業後、弁護士になり、ワ・ルイゾは大学にのこって、超伝導体の臨界温度を高める研究をしていたんだそうだ。


「あ、知ってる。超伝導って、磁石がプカプカ浮くやつでしょ? ピン止め効果ってヤツ」


パットはSFオタクもやってるから、変な事にくわしい。


「お、よく知ってるね。この現象は超伝導体を液体窒素でマイナス196度まで冷却しないと発生しない。でも金属の種類によって、臨界温度が変る事が判ったので、室温でも可能な金属を作り出す実験を、僕は大学で20年もやっていたんだよ」でも結果が出せず、大学の予算も削られて、とうとう研究室もDr.ワ・ルイゾ1人になってしまった。そんな時、彼の母国の父親が病気で倒れたと連絡が来て、急に国に帰る事になったんだそうだ。

「実験器具はリース品だったから、せめてキレイにして返そうと思って、濡れタオルで雑巾がけしていたら、金属蒸着の機具の内ブタに、何か黒っぽい煤みたいなものがこびり付いていた。フタも黒かったので全然気付かなかったんだ。いつ付いたのかもまったく解らない。指で擦っても落ちないんで、濡れタオルでふいていたら、一瞬赤く光ったような気がして、スルリと取れた。

 えらく水に溶けやすい物質で、何となく気になって、洗ったバケツの水とタオルをシンクの横に除けて掃除を続け、メーカーに機械を引き取ってもらったあと、床をモップがけしていたら、何か目のはじっこで赤いものが動いた。ふりむいたら、シンク横においたあの黒くなったタオルが真赤に変って、プカプカ浮いてたんだよ!

 あわてて捕まえようとしたんだが、ホコリが立つと思って開けといた、シンクの横の窓からフワフワ出てっちまった。のこったのはバケツの底の黒い水だけ。

 ためしにティッシュをひたして、黒くなったのをシンクに置いてみた。しばらくして乾いたら、赤くなって、やっぱりプカプカ浮きだした。あわててバケツにもどすと、黒くなっておとなしくなる。

 じゃあ、なぜ機械のフタについてたとき浮かなかったのか――たぶん水が触媒として働いたあと、酸化して赤くなった時、初めて浮力が生じるんだと思う」

「あのさ、それって、ラピュタの飛行石みたいなものなの?」パットが言った。

「ハヤオ・ミヤザキの? うん、あれを粉にして水に溶いたような感じかな?」

 あんたもジブリファンかい!

「うあ~リアルラピュタだ。すんげえ」と、パットが感極まっている。

 すんげえじゃねえよ! なんちゅう迷惑なもん持って来たんだ。これはアニメじゃない、現実なんだぞ。ジブリなんて大嫌いだー!

「じゃあ、要は水で洗えば飛ばないのね?」メリーが詰め寄る。

「うん。付いた量が少ないのと、猫は緊張すると肉球に汗をかくから乾燥するのに時間がかかってるようだ、まだまにあうよ。でも屋根の上にスプリンクラーはないし、ホースの水じゃとどかないし……」

「やっぱり、梯子車じゃないと無理なのね。ああ、早く来て!」

 メリーは泣きそうになってる。

「そんなとんでもないもの、なんだってタッパになんか入れて来たんだ。それもソックスのおやつ入れと同じタッパだなんて」大統領もこまりはてている。

「だって、僕は今日中に国に帰らなくちゃならなくて、研究室はカラだし、手近なものを使うしかなかったんだよ。これ持って国に帰っても研究を続けるのは無理だし、変なやつにわたして悪用されてもこまるし、だから君なら、しかるべき機関にわたして調べてくれると思って――」Dr.ワ・ルイゾも半泣きだ。

 ガシャーン。天窓が割れて、応接室のペルシャ絨毯が飛び出した。黒かったしみが真赤に変り、秘書と清掃員が必死につかまえて……いや、ぶら下がっている。

 またまた新聞記者のフラッシュの嵐。

「あーっ、水で洗ってくれって言ったのに!」Dr.ワ・ルイゾが悲鳴をあげる。

「すいません、あんまり汚れてたので、クリーニングに出そうとしたらこうなったんですー」秘書も悲鳴で答える。

「もう無理だ、二人とも手を離せー」

 大統領の一声で二人はパッと手をはなして、天窓の中に消えた。ドシン、キャー、いてー、と悲鳴があがる。

 ペルシャ絨毯がふわりふわりと、昇って昇って――見えなくなった。

「うわあ、空飛ぶ絨毯マジックカーペットの本物だあ……」

 パットがうめく。

「遊園地にあるやつと同じだ。ケティ乗りたーい」

 ケティが無邪気にピョンピョン跳ねる。

「超伝導とちがってピン止め効果が無いから、乗ってたら成層圏こえて低温と酸欠で死んじゃうよ」Dr.ワ・ルイゾがため息をつく。

「じゃあソックスも?」メリーが叫ぶ。

「えーと…成層圏に達したらマイナス五十度くらいになるから…凍結乾燥フリーズドライで猫の干物ができちゃうんじゃないかと思います」

「ね……猫の干物」メリー失神。Dr.ワ・ルイゾがあわてて抱きかかえた。

凍結乾燥フリーズドライって何?」と、ケティ。

「ビーフジャーキーみたいになんのよ。たぶん……」と、パット。

 ケティはひきつけ寸前でフリーズした。

 成層圏を漂う猫の干物キャットジャーキー……俺の脳もフリーズしそうになった。が、一瞬で解凍した。

 なぜならDr.ワ・ルイゾのやつがメリーを抱きかかえて、にやにやしてるのを見たからだ。

 このヤロー俺が手を出せないと思って、つけ上りやがって! メリーはお前のビヤ樽腹にのっけていいような女じゃねえんだ。ゆるさねえ! 

 俺はおもわず屋根から飛び出そうと身構えた。とたんに後ろ足が二本、ふわりと浮く。

「いかん、完全に乾燥した。もう飛ぶぞ!」Dr.ワ・ルイゾが叫ぶ。

 そのとおりだ。もう限界だ。前足の爪を屋根にひっかけてるけどその前足も、もう――

 その時サイレンの音が近づいた。メリーが意識を取り戻す。

「ソックス、がんばって。消防車が来たわ」メリーの悲鳴。

 でも、もうだめだ! バリッ。ついに爪が屋根からはがれた。くるりと体が回転し、四本足が吊り下げられたように上を向く。

 俺は完全に空に浮いて、九月の風にふかれて、ふわふわと流れ出した。

「キャーッ! ソックス」メリーとケティとパットの悲鳴。新聞記者のカメラのフラッシュ。みんな、永遠にお別れだ。

 ごめんよメリー、君を幸せにしたかった。ケティ泣くなよ、パットもあんまり妹をいじめんなよ。大統領、お世話になりました。

 みんな俺がお星様になったら、時々思い出してくれよ――

 ただしDr.ワ・ルイゾ、あんただけは別だ。地獄に落ちても呪ってやる。おまえなんかネコエイズで死んでまえ!

 ちっくしょー死にたくない。青い空なんて大嫌いだ――俺は気絶した。


 ビシャア‼︎ 冷たい! 後ろ足が二本水びたしになってる。おかげで意識が戻った。

「しまった、一本だけねらったんだが」

 下の方で梯子車の伸ばした梯子の先で、消防士が放水しているのが見える。それで後ろ足のペンキが流れ落ちたのか。

 とたんに、ガクンと下半身が重くなり、俺は、かなりのスピードで落下しはじめた。あのペンキの浮力が半分になったせいだ。

 一難去ってまた一難。飛んで死ぬのと落ちて死ぬのって、どっちが楽に死ねるんだろう? 引力のバカヤロー、ニュートンなんて大嫌いだ!

「ソックス、ソックス」メリーが必死に俺を目掛けて走ってくる。

 お願い、間に合って。そのふわふわの胸に俺を受け止めて――でもなれないパンプス、タイトスカートだ。早く走れない。ああ俺の落下の方が早い。

 その時、1人の消防士がメリーを抜いてすごいスピードで俺に向かって来た。

 間に合うか! 

 そいつは俺が地上にたたき付けられる寸前、みごとなフライングレシーブでキャッチ。 体をひねって、受け身をとった。俺は生きて、消防士のかったーい胸の上にいた。

 し、死ぬかと思った。俺の心臓はぶっこわれる寸前でバクバクしている。

「ソックス!」なつかしいメリーの声。

 消防士ごと、俺をキョーレツにハグした。

「よかった、よかった。ソックスを助けてくれてありがとう」メリーが泣きながら言った。でっかいふわふわのメリーの胸。うれしいけど、消防士との体にはさまれて、苦しいよ。

 ドドッドドッドドッ。

 なんだ? 下の方から聞こえる重機のエンジン音みたいなのは? これってもしかして消防士の心臓の音? あっ、こいつ真赤になってやがる! てめえ、メリーのおっぱいに惚れたな?

 トトットトットトッ、って何だ? 

 メリーの心音も倍速になってる。こっちもかい!

 わーっ、くそっ離れろ、離せえ。メリーはメリーは、俺のだ――ムギュ。

 二つの胸に挟まれて、俺は気絶した。


 次に俺の意識が戻ったのは、前足をバケツの水につけられて、洗われてた時だった。しかも洗ってるのはDr.ワ・ルイゾ!

「シャーッ」と俺のネイルが火を噴いた。

「ひゃああっ」博士の素っ頓狂な悲鳴があがる。 新聞記者の笑いとフラッシュ。芝生の上は大勢の人でいっぱい。みんなで俺を囲んで、拍手で俺の生還を祝福していた。メリーはまだ泣いてて、その肩をあの消防士がしっかり抱いている。

 猫を助けた勇敢な消防士。防災の日は大盛り上がりだ。

 だけど俺は喜べない。あの消防士にメリーを取られちまった。初恋は実らないって本当だったんだ。俺の青春をかえせ! ディズニーのうそつき〝ピノキオ〟なんて二度と見ないからな!

 次の日、朝の新聞の一面をかざったのは、メリーと俺と、あの消防士のスリーショットだった。

 メリーは感謝をこめて、所轄の消防署には、大量のカリフォルニアロールの詰め合わせを。俺を助けた消防士には、あの新聞のスリーショットの特大キャラ弁ちらしずし(製作時間3時間)をプレゼントした。

「もったいなくて食えない」感動のあまり、あいつふるえてた。

 ハートの次は、胃袋まで鷲掴みかよ。言っとくけどキャラ弁は作るのに時間がかかる。いくら酢飯ったって早く食わんと腐るぞ。

 その日の新聞のはじっこに、あの絨毯が、通りすがりの人工衛星の、太陽光パネルにひっかかり、人工衛星ごと遠く彼方へ飛び去ったと載っていた。でもホワイトハウスは、知らぬ存ぜぬで通しているようだ。オハラ大統領もタヌキだよな。中国のだったらしいから、まあいっか。俺のせいじゃねえよーだ。

 Dr.ワ・ルイゾは母国へ帰っていった。あの不思議な赤いペンキは、もう再現不可能だそうだ。

 メリーとあの消防士は、熱烈交際中だ。結婚してもメリーは、大統領の任期中はベビーシッターを続けると、約束してくれたそうだ。

 大統領は、パットとケティに『二期目も当選しなかったら、もうパパと呼んでやらない』と脅されている。

 なに八年なんてすぐだ。そのころにはケティは、パットの年をこえて、俺がいなくたって大丈夫だろう。だから、俺はメリーについていく。あの消防士は命の恩人だから、義理ははたす。だが、あいつがメリーを泣かせたり、不幸にしたら、容赦しない。

 俺のネイルが火を噴くぜ!


               了




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ねこ飛んじゃった(赤い靴3) 源公子 @kim-heki13

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