つかの間のひととき

吉田勉

第1話 ホッと一息

 いつものように私を求める泣き声で起こされ、スマホの画面に表示される時刻は午前二時過ぎを示していた。

 豆電球が照らすオレンジ色の薄暗い部屋のなかで、絶賛夜泣き中の我が子をベビーベッドから抱え上げると、抱きかかえてプニプニのほっぺに流れる涙を拭う。

「うーん、オムツは大丈夫。んじゃ、おっぱいかな?」

 寝ぼけた頭で我が子を抱きかかえると、小さな口が乳房に吸い付く。すると、深夜の独唱会は一時的に収まり、部屋にはエアコンが稼働する音とともに母乳を吸う音が響く。

「……ハァ~、眠い」

 若干鼻息を強くして母乳を吸う我が子は可愛く、いとおしい。

 しかし、毎晩のように二、三時間おきに起こされるのは、はっきり言ってキツい。正直、こんな役目は誰かに替わってほしいと思う。

「はーい、お腹いっぱいだね」

 まくり上げていた服を下ろすと、小さな背中をトン、トンと叩く。

「まったく、この小さな身体のどこに、あんだけ大きな声を挙げるパワーがあるんだろう」

 ゲプッと小さくゲップをさせると、我が子をあやす。次第に小さな目蓋まぶたが閉じていき、ゆったりと身体を揺らし続けると、徐々に力が抜けていった。

 ようやく寝てくれたと思い、そーっと、小さな身体をベッドに横たえた瞬間、パチッとまん丸なお目々が開いたかと思うと、次の瞬間には再び深夜の独唱会が催されてしまう。

「ごめん、ごめん。お母さんはここに居ますからねぇ」

 再び我が子を抱きかかえ、ゆったり揺らしてあやす。

 もう、いい加減にして――と、心の中で悪態をつきながらも頑張る、我が子との我慢くらべは、もうしばらく続くことになった。

 やっとの事で我が子を寝かしつけたところで、喉の乾きを覚えた私はそっと寝室から抜け出し、キッチンで水をコップに注ぐ。

「お疲れさま、お母さん」

 リビングで寝ているはずの夫が、そう小声を掛けながらキッチンに現われた。

「ごめん、起こしちゃった?」

「いや、そろそろ交代時間だからね」

 私はコップを持って、食卓に座る。そして、掛け時計を確認すると午前三時を回ろうとしていた。

「そっか、もう三時か。なんだかお腹空いたなぁ」

 あとは朝まで寝られると思ったら、急に小腹が空いてきた。

「んじゃ、カップラーメンでも食べない? 半分っこすれば、脂質とか摂り過ぎることもないでしょ」

「あ~、それは私を太らせようとする悪魔のささやきだなぁ」

「んじゃ、いらない?」

「いいえ、いただきます! この空腹感だと寝付けそうにないから」

 夫は愉快そうに私の反応を見ると、レトルト食品を入れてある食品棚から赤いラベルのカップ麺を取り出した。

「赤いきつねでいい? というか、カップラーメンはコレしかない」

「いいわよ、何でも。お腹に入れられるならね」

 電気ケトルでお湯を沸かしている間に、夫は赤いきつねの容器の蓋を開けると、油揚げを取り出して、それを半分に割った。そして、ふたつの油揚げを白い乾麺のうえに戻し、粉末スープを振りかける。

「どんな感じ、我が娘は?」

「ん、おっぱい飲んで、少しぐずついたけど、でもまあ大人しく寝てくれたよ」

 夫に先ほどまでの娘のことを報告していると、お湯が沸き、夫が容器の中にお湯を注いだ。

「それはよかった。今日は朝まで寝てくれるかもしれないな」

「あら、それは分からないわよ。さっきをオムツが濡れていなかったから、きっと起きちゃうかもね」

「マジで?」

「うん、マジで」

 夫は若干天を見上げるポーズを取りながら、容器の蓋のうえに逆さまのお椀を載っけて、私と向かい合う形で食卓に着いた。

「はい、箸」

「うん、ありがと。いい旦那さまをもらったもんだなぁ、私は」

「おだてても何もでないよ」

「おだてているつもりはない。あなたは育休とテレワークを組み合わせてくれて、こうやって育児を共にしているのだから。あなたのそういう姿勢には、私、本当に心強く思っているもの」

 私が微笑んでみせると、夫は照れくさそうに笑顔を返してきた。

「ありがとう。それは僕も同じだよ。君と育児の不安が共感できるから、オムツ交換や夜泣きをあやしたりできるんだと思うもん」

「うふふ、ありがと。なんだか照れますなぁ」

 お互いに想いのこもった言葉を掛け合うと、ふたりして照れてしまい、少しのあいだ黙りこくってしまった。

「もうそろそろかな」

 夫がお椀をどけてカップの蓋を取ると、カップから湯気が立ちあがり、鼻に届くダシの香りが食欲をそそる。

「うーん、いい香り」

「そうだね。さっさと分けるから」

 夫は箸でカップから麺を半分ほどお椀に取り分けると、麺の上の割った片方の油揚げを載っけて、最後にお椀の具材に透明感のある茶色いスープを掛けた。

「こんなものかな。はい、どうぞ」

「うん、ありがと。では、いただきます」

 私はお椀を持つと、ゆっくりスープを一口飲み、白い麺をすする。

「うーん、深夜に食べるカップ麺の背徳感、たまりませんなぁ」

 そして頃合いを見て、よーくスープに浸しておいた油揚げを頬張ると、甘塩っぱいスープが口の中に広がり、小さな満足感を得た。

「たまにはいいよね、こういうのも」

 そう笑みを浮かべる夫に頼りなさも感じつつも、こうやって夜中に赤いきつねを一緒に食べてくれる彼だからこそ、安心して育児も半分っこできるのかもしれないと、そう思う。まあ、他人からしたら飛躍しすぎの論理だろうけど、彼は私にとって良い旦那さまである事は違いないのだ。

「ごちそうさまでした」

 夫婦そろって作るときの時間も掛からずに完食すると、それを待っていたかのように娘が寝室で深夜の独唱会を再開してしまう。

「片付けは私がやっておくから、あなたは寝室に行ってあげて」

「うん、悪いね。お休み、お母さん」

「がんばってね、お父さん」

 夫を戦場に見送ると、私はテーブルの上を片付けて、ポカポカした身体を布団の中へと滑り込ませるのだった

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つかの間のひととき 吉田勉 @yosituto

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