第4話 終焉

 それから弟は、彼女を思うまま弄ぶようになった。

 弟はだいたい殴るなり蹴るなりしてあまり動かなくなった姉を犯すのを好んだ。性欲と鬱積を晴らしつつ、愉悦に浸っているかのようだった。


 そんな日々が半年ほど経った頃、もともと不順だった彼女の生理がぴたりと来なくなった。

 三ヶ月経っても生理が来ないので、いよいよかと思う。


 初めて弟に襲われたときからこれまでずっと、避妊をしたことがなかった。

 弟にゴムを着けるという意思はなかったし、途中から避妊しようにも今更のように感じてそのままになっていた。だから、子どもができるのもそもそも時間の問題だった。



 彼女は何の膨らみも持たない薄っぺらなお腹をさすってみる。


 ——もし、この体に命が宿っていたとしたら……、殺すしかない。というか、堕ろしに行かずとも、日常的に行われる弟からの暴行で子どもは自然と流れていくような気もした。




 肩を震わせ、彼女は浅く呼吸する。

 研ぎ終わった包丁をうつろに眺め、刃先の表面がなだらかになっているか確認したが問題はなさそうだった。


 彼女は嫌なことなど、すべて忘れてしまおうと決意する。

 さあ、ひと思いに首を切って、何もかもなかったことにしようと頸動脈を狙い、刃を右首筋に沿わせた。


 手はやはり、わなわなと震えだし頼りない。誰か、いっそ殺してくれればいいのにと思いながら、両手で包丁の柄を握り直した。

 刃先が首に触れ、緊張から背筋が張り詰める。相変わらず震えが止まる気配はない。


「怖い……よ」


 頬をつたう涙が顎へ流れ、落ちていく。泣き腫らした瞼が重く、視界が歪んではっきりとしない。


「でも、ずっと苦しいよ」


 柄を強く握り込んだせいで刃先が皮膚表面に食い込み、瞬間、薄い痛みをともなった。


「頑張らないとね」


 泣きながらも彼女は穏やかに笑い、ゆっくりと息をした。

 包丁を後ろの位置に構えたのち、手前へ目がけすばやく滑らせる。


 傷口は張り裂けるように痛み、血が首筋を縷々るると流れ落ちていく。それでも思っていたほど深くは切れていないようだった。


 どうしても体は死をためらってしまうな……。

 彼女はいま一度、ひと思いに死んでやるんだと自らを奮い立たせて、再度、刃を頸動脈に押し当てながら勢いよく包丁をひく。



 先ほどより深く切れているという実感と、気が遠くなりそうな激しい痛みと、傷口から噴き出すように血が溢れてくるのを感じた。


 もっと、確実に死ななければ……。そんな思いが、何度も刃先を首へと向かわせる。



 私は、死ななければ……。


 私は、死ななけれ……。




 ――はたと目を開けると、薄暗い台所に座り込んでいた。


 フローリングは乾いていて、埃が溜まっているせいか指先がざらついている。

 彼女は右手で、先ほど切り裂いたはずの首元を撫でてみるものの、なんの変哲もない乾いた肌があるだけだった。


 彼女は溜息をついたが、口元は笑みを湛え始めている。


「ちゃんと、死ねたと思ったのになぁ……」


 おずおずと立ち上がり、シンク下の扉を開いて彼女は包丁入れから使い慣れた包丁をひき抜いた。






 彼女は自分自身の存在を認識できないでいた。何度も同じように死を希求し、ひたすらに繰り返すことしかできない。


 彼女は死してもなお死んでいることがわからず、台所という場所に固定され、死のう死のうと足搔き続けていた。

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うすら笑う彼女は希求する ウワノソラ。 @uwa_

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