赤にも緑にも狐にも狸にも見えるものとは何か?

@K-22

第1話

 中華統一帝国・麺の皇帝から直々の依頼を受けた祖父は悩んでいた。

 隣国日本への贈り物とする工芸品を作れ。それが依頼の内容であった。作るべきものはもう決まっていた。赤いきつねと緑のたぬきの彫刻である。それが日本において麺料理を守護する二聖獣だという。常の細工仕事ならばきつねの方は紅珊瑚で、たぬきの方は翡翠で作ればよかっただろう。あるいは紅玉と緑玉を使ってもよい。

 しかし今回は、使うべき材料が指定されていた。天揚(ティエンヤン)山脈から掘り出されたという24カラットにも及ぶアレキサンドライトであった。当たる光の種類によって、赤と緑に色を変えるこの石を素材として指定したということは、その特性を生かした細工をせよということである。その御代の皇帝は諧謔を好む方であった。無論石を二つに割り、片方をきつねに、片方をたぬきに加工したとしても、それは素晴らしいものになるだろうが、その期待に応えられたとは言えそうになかった。

 祖父は悩み、そして日本に行くことを決意した。たぬきなるものの実物を見たことが無かったためであり、そしてなにより、赤いきつねと緑のたぬきという、自分が作るべきものとそのまま同じ麺料理があると分かったためだった。

 かくして日本に渡った祖父は二つのことを学んで帰国した。たぬきというのはきつねと甲乙つけがたいほど魅力的な生き物であり、そしてまた赤いきつねと緑のたぬきの二つもまた甲乙つけがたく美味なものであると。

 その学びとは特に関係なく、祖父はアレキサンドライトを角度と光の当たり方の違いによってきつねにもたぬきにも見える形に削り出すことに成功し、それを皇帝に献上した。それでこそお前に任せた甲斐があった、という賞賛の言葉に深々と頭を下げる祖父の姿を今もありありと思い浮かべることができる。


 その祖父も今はもうない。しかし私は祖父のことをよく思い出し、あたたかな気持ちになると同時に、祖父が買い求めてきたあの赤いきつねと緑のたぬきの味を思い出し、そして今は日本にある、あの赤にして緑にしてきつねでもたぬきでもある彫刻のことを思い出すのである。長い歴史の中ではそれはとるに足らぬ些事であるかもしれない。しかし私はそうした小さな出来事の記録が、麺のように長く、いつまでも残っていくことを望む。


(『大麺史』発刊によせて)

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