スナップ!! ―賭博釣師録タクミ―

@tt5086

第1話

正午過ぎ――俺は店に入ると、汚い字でホワイトボードに書かれた数字に視線を向ける。

 

「1780か……しょうもないな」

 

いつの間にか背後に立っていた――幼馴染のカスミは溜息まじりに、

 

「今日は誰も来ないって、思ったのに……」

 

俺は振り返って財布から紙幣を十枚抜き出すと、目を合わせずに無言でカスミに手渡した。

 

 

 

 

くすんだ銀色のボートに 《俺の全て》 を積み込み終わると、鼻をつく混合油の臭いと同時に白煙が湖上に舞う。

 

「すぐに戻るから、待ってろよ」

 

顔を逸らして、こくりと頷くカスミ。

 

けたたましいエンジン音――急激に加速する視界の端に先行者の姿。

 

「アホだろ……こんなに、寒いのに」

 

小雨降る三月の湖上に浮かぶ釣り依存症患者、もしくは釣り中毒者の醜態に、俺は自虐的ともいえる罵声を呟いた。

 

 

 

 

午後二時半――

 

湖の状況は把握出来た。

 

大きな葦原に挟まれる五十メートル程の石積みの湖岸――その十メートルほど手前でエンジンを止めた。

 

ゆっくりとエレクトリックモーターのプロペラが回転し始める。

 

「ナベ……いや、ミノーでいいか」

 

六本の鈍く光る鋭利な針がついた、 《小魚》 を模したらしいプラスチックの塊。

 

それが結ばれた竿を手に取る。

 

 

 

 

かじかむような気温一桁の世界で、刹那の挙動から放たれたミノーは音も無く大気を切り裂く。

 

「ヘタクソ……」

 

二センチ程ずれる着水点。

 

その僅かな誤差が胃に心地よい痛みを走らせる。

 

短く風を切り、ヒュンと鳴る竿。

 

だが、一抹の違和感に従って俺はハンドルを一気に巻いた。

 

「ひとつ、下か……」

 

いつのまにか癖になった 《ひとりごと》 が雨音に消える。

 

即座に岸と平行にキャスト――波に消える波紋。

 

高速でハンドルを回転させると、怯えるように繊細に震えるミノーの振動。

 

数秒後、透明なリップが指先に伝えた硬質の抵抗。

 

その瞬間、いつものようにハンドルを巻く手は止まり、竿先は直線に戻る。

 

ふいに、湖上に引かれた一筋の線が歪んだ。

 

……はい、終わり。

 

十数秒後、俺はその巨体を一瞥して生簀に投げ込む。

 

 

 

 

「じゃあ、振込みよろしく」

 

助手席の窓を開け、小さく手を振った。

 

「最低だね」

 

深く被ったフードの奥で、カスミは呆れたように呟いた。

 

俺はそれに小さく頷くと、窓を閉めてアクセルを踏み込む。

 

「ああ、そうだな」

 

レンタルボート屋の駐車場を後にした。

 

 

 

 

翌日――

 

昼過ぎに近所のコンビニで残高を確認する。

 

《約300グラム》 の差で五十万円――それが昨日の釣果。

 

「バカだな。あんなに寒かったのに……六人も出ていたのか」

 

俺はカードを引き抜くと、遅すぎる朝食を買って家路を急いだ。

 

 

 

 

(終わり)

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