スタジオから出ると、むせるような暑い風が五感を刺激した。梅雨前線も次第に弱まり、晴れる日が多くなったからだろう。季節の色合いは雨季から夏へと移行し始めている。今日は室内にこもりきりの作業だったため、外の空気を吸うといくらかさわやかな気分を味わえた。


「五月女さん、この後どうします?」

「まだ残ります。今日中に仕上げられそうだから」

「働き者ですね」


 かけられた言葉を反芻する。働き者ですね。何をもって「働く」と言うのか、凪には何一つわからない。けれど自分は働いている。社会の一部に痕跡を残している。


 歩くだけで汗ばむ気温だ。さわやかさを通り越してうだるような空気を感じつつも、地に着く足は迷わず、前に進む。


 数年前にできたといわれる街頭パネルでは、夕方の天気予報が流れている。この後夕立が起こる確率が高いため、傘を忘れずに――。雨雲が発生しやすく――。雑音とともに入ってくる声はやがて終わり、バラエティー番組が流れ始める。


 最近盛り上がりを見せているオーディション番組が放送される。最終選考に残った上位数組が、デビューをかけて思い思いのパフォーマンスをやり遂げる。


 一人、美しい女に目を奪われる。

 少しきつめの目もとをアイライナーで色っぽく引き、真っ赤な口紅をつけた、すらりとした背の女。


 引き締まった肉体と、みなぎるパワーが、一つ一つの振りつけから画面を通して視聴者の目に入りこむ。アップテンポの曲調に合わせて動き出す彼女に、次第にスタジオ内の空気が静まり返る。


 彼女は己のダンスに集中している。確かな体幹から生み出される、芯の通った美意識。正直でダイナミックな表現の幅。


 信号機が青に変わる。止まっていた人の流れが再び動く。

 凪も歩き出す。どこかへ向かう人混みの中を、同じように流れていく。けれどいつかたどり着く。自分の求める何かをわかる時がやってくる。凪に迷いはない。


 上を向けば、液晶画面に彼女の姿はとうに見えない。映像は別のタレントにカメラを移していた。


 歩を進める。隣を歩くクライアントと宣材写真の方向性を詰める。繁華街の人いきれと、立て看板のそばに設置されたランチメニューを横目に流しながら、美味しそうな店を脳内で物色する。綺麗な歩行者通路と、その隅に転がる空き缶一つ、陰になって見えない路地裏の薄暗さも、凪にとっては居場所なのだと、ふいに証明したくなる。シャッターを押したくなる。


 夏がいよいよ近づいてくる。シャツの内側に張りつく汗、むっとした湿気が、凪の何かを追い立てる。ドクドク波打つ心地よい躍動感が、体内のリズムを正確に打ち出す。ぎらつく暑さが、凪を何者かにさせようと、まるで挑発するかのように世界の温度を上昇させていく。



   了


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スリープディスオーダーにおかえり 泉花凜 IZUMI KARIN @hana-hana5

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