闘争
「大きいですねー……」
今私は、敷地の広い神社の鳥居くらいに大きな門の前に立っている。
一昨日の真夜中、歯を磨いている途中で他の人格と入れ代わりが発生したらしい私は、とりあえず最初から歯を磨き始めた。
完璧に磨きたいのでね。
そして、部屋に戻ると、なんと机の電気が点けっぱなしであった。
今の今まで勉強していたのかと私は感心した。
他の人格は、ちゃんと勉強しないのでね。
どれどれと、机を覗くと、勉強道具は存在せず、破れて二枚になった紙が置いてあるだけだった。
そりゃそうか。
私は呆れながらも、何を読んでいたのか気になった為、少しだけ手紙を拝見した。
それは、おばあちゃんの旧姓と同じ苗字の人からの手紙だった。。
そして、恐らくおばあちゃんの旧家であろう、手紙の差出人が私の悩みを解決してくれるとの旨があった。
さらに住所までご丁寧に書いてくれているというウェルカム状態。
あ、welcome か。
その日は、とりあえず寝る事にした。
そして、次の日の朝に顔を洗ってから先程までの記憶がない。
恐らく洗顔途中に鏡を見てしまい、人格の交代が起きたのだろう。それ以外に考えられない。
そんな初歩的なミスを犯してしまったのが恥ずかしい。
結局、私の記憶の始まりはガードミラーの前に立っているところからだった。他の人格はガードミラーを見てしまったのだろう。
しかし、都合の良いことが起きた。見知らぬ土地だと思ってスマホを開いたら、何と貴女継家までのマップ案内がされていたのだ。
どうやら、他の人格も、貴女継家に行く途中だったらしい。
そして、ルート通りに歩いて行き、約三分程でこの大き過ぎる門の前に到着したのだ。
「規格外過ぎませんか?」
門につながる、高くてどこまでも長い塀。
敷地面積は、下手な学校より大きい気がする。
「何ですか? 遊園地でも作るんですか?」
一家の屋敷にしても、大きい。アニメに出てくる誇張された豪邸と同じくらい、いや、それ以上か。
後ろに見えるいくつかの山まで所有しているらしいというから、もう開いた口が塞がらない。
「とりあえず、インターホンはどこですかね?」
どこを探してもボタンが見つからない。
もしかして、インターホンなんてこの家にしてみれば一昔前の産物で、今はもっとすごい物を使っているのでは?
と思ったら、門の右隣に普通にドアがあった。インターホンも付いていた。
「もしもし、三森という者なんですが、手紙をもらってきました」
インターホンを押し、マイクに向かって自己紹介をすると、相手の返事もなく、ドアが開いた。
「どうもどうも。よくいらっしゃいました。お待ちしておりましたよ」
ドアを開けてくれたらしき人が、にこやかにお出迎えをしてくれた。とても人当たりの良さそうなおじいさんである。
「初めまして、三森理吸と言います。いきなり訪ねてしまい申し訳ありません。手紙を見て、居ても立っても居られなくなりまして」
「はっはっは。そういうお堅い話は、どうぞ当主様とごゆっくり。私はただの使用人ですから」
おじいさんは私が貴女継家の敷地に足を踏み入れると、ドアを閉めてから私を案内してくれた。
「ここは広過ぎますから、敷地内の説明は省かせていただきますね」
「わかりました」
歩いて五分、いや十分? もっとだろうか。
時計を見ていないので正確な時間は分からないが、大分歩いた。
「ここが当主様のお住みになる屋敷でございます」
「……大きいですね」
二階建てか三階建てくらいの高さに、旅館程の横幅がある屋敷。これに奥行きまで存在している。
「そうですね、一応この敷地内で、最も大きい屋敷になります」
「は、はぁ」
一体何人住んでいるのだろうか。百人? 二百人? もっとか?
規格外の大きさに妄想が膨らむ。
おばあちゃんはこんなすごい家の出だったのか。
「では、私はこれで」
「あれ? 案内……」
ここで案内を区切られても困る。
普通の家とは違うという事を自覚していないのだろうか。
「あぁ、屋敷の案内はこの方が」
おじいさんが手を伸ばした方向には、いつの間にか女性が立っていた。
先程までそこには誰もいなかったはずなのに。
「最初からいました?」
「……いえ、たった今参りました」
「ですよね」
やはり記憶違いではなかったらしい。おじいさんとの会話に気を取られていたのか、私が気づかなかっただけだったようだ。
そういえば、まだおじいさんにお礼を言ってない事を思い出した。
「案内ありが……おじいさん?」
いない。
ちょっと目を話した隙に、どこかへ行ってしまったのだろうか。
「ご案内します……」
「あ、はい」
おじいさんが、急に消えた事など考える暇もなく、私は女性について行くしかなかった。
「よくきたね」
目の前にいるのが、貴女継家の現当主らしい。
柔和と強面を三対七で混ぜ合わせたような顔をしている。
緑色の畳と、黄金色の下地に変な紋様が描いてある襖がずらりと並んだ派手な和風の空間には似つかわしくない、黒いスーツを着ていた。
歳は五十後半くらいだろうか。初老なのは間違いない。
高そうな革の椅子に座り脚を組んでいる様は一家の当主というより、マフィアのボスという方が合っている。
「はは、緊張しているのかい? まぁ、無駄に広いからねぇ。無理もない」
しゃがれた低い声が、より一層私の緊張を増幅させる。
何より、周りで正座しているスーツの男達が怖い。いるだけで怖いのに、まるで無機物のように動かないから、さらに怖い。
「それで? 三森君は手紙を見て、ここに来たそうだが?」
ようやく本題に入った。話していれば気も紛れるだろう。
「はい。実は、手紙にも書いてあった通りに人格が交代してしまうというのが悩みでして。それの原因を教えてくれると聞いたので、こうして来させて頂きました」
「ほう」
何か違和感を感じたが、そのまま話を進めた。
「はい。それに加えて人格が代わっている時の記憶は無いんです」
「大変だねぇ」
心の中のモヤモヤが大きくなる。
何だろうか、この気持ちは。
相手の言動と態度がすごく気になる。嫌悪感を抱くとかではなく、もっとこう、根本的な何か。
引っかかる。
「……鏡を見ると必ず人格が代わって、それ以外でもたまに代わることがあります」
「そうかい」
当主は、言葉を流すかのように、まるでこちらの話なんてどうでもいいように、単調な言葉しか返さない。
これは、相槌なのか? 淡々としすぎているが。
あくまでも客人の私に、そんなに興味のない口調で相槌を打つだろうか。
私が悩みを打ち明けたら同情するくらいの勢いで、頷いてくれてもいいくらいだが。
見下げられているのだろうか。
情報を増やすために、少しアクションを起こす事にした。
私は、背負ってきたリュックとはまた別に、緊張しすぎて出し忘れていた紙袋に入った手土産を取り出した。
「そういえばこれ、本当は最初に出すべきだったのですが、緊張してしまっていて。どうぞ、お納めくだ」
「そうだ」
話を遮られた。
意図的なのか? 無神経なのか?
どちらにせよ、何故か歓迎はされていない事が分かった。
手紙の歓迎ムードとは何だったのか。
もしかして、試されているのか?
「正座も苦しいだろう、少し楽にして構わないよ」
唐突で脈絡も無い言葉。こちらを気遣っているようには聞こえなかった。
気遣いをしたふりをして、明らかにこちらを誘導しようとしている。
「い、いえお気遣いなく」
今までの言動から考えると、私がここにきた時点で相手はやることが決まっているらしい。
地雷をばら撒かれている気分だ。
とりあえず、これ以上ここにいるのはまずい。いち早く帰らさせてもらおう。
「じ、実はこの後用事が入ってまして。そろそろお暇させていただきますね……」
ありきたりで苦し紛れな嘘を吐き、私が立ち上がって礼をしようとした時。
「それは残念だ」
当主のその言葉を聞いた途端、急に周りの男達が立ち上がった。
「え?」
やばい。そう感じた時には手遅れだった。
「ぐぇ」
腹部に鈍痛が走る。
今まで感じた事のない激しい痛みと共に、胃から何かが込み上げてきた。
「おぶえぇぇぇぇぇぇぇ」
今、私は吐いているのか? 混乱しすぎて、自分が何をしているのか分からない。
「高級な畳なんだ。あまり汚さないでくれ」
当主は、嫌味ったらしく言った。
そして休む暇もなく、背中に痛みが走り、よろけた瞬間、勢いよく蹴り飛ばされた。
バキッと何かが折れる音。
そして、気づけば私は水の中にいた。
「んんん!?」
パニックになり溺れそうになるところを誰かに服を掴まれ持ち上げられた。
「はぁ……はぁ……あぁぁ!?」
息つく暇もなく、投げられる。
「うっ! うぅ……」
いつの間にか、屋敷の庭にいることを私はようやく認識した。
「うーむ……聞いていたのと違うな。君はもっとこう、うまく立ち回るんじゃないのか? それとも、手加減しているだけかな?」
暴行が止まった。恐らく当主が止めたんだろう。
アドレナリンが出ているからなのか、なんでこんな事をされているのかなんてあまり気にならなかった。
それよりも、どう今を切り抜けるかを考えていた。
「期待はずれな訳はないんだがなぁ」
考えるんだ。何か逃げる方法は。
「まぁいい」
考えろ。
「時間はたっぷりある」
考えろ! 考えろ! 私は考える事しか出来ないんだから!
何か、何か……!
ふと、先程溺れかけた池が目に入った。
水面に映った自分を見れば、人格が代わるだろう。
少なくとも私は、痛めつけられる事はなくなる。
だが、代わったところでどうなる? 体は共有なのだから結局意味の無い事だ。
他の人格がうまくやれるとも思えない。つまり、代わったところで打開をしてくれるはずがない。
いや、決めつけるのは、可能性を狭める。
──あんた、今はそんなに弱っちいのに人格代わると急に喧嘩っ早くなるの、どうにかした方がいいわよ。
なぜか、昔ささに言われた事が、ふと頭に浮かんできた。
喧嘩っ早くなる? なぜ? 強さに自信があるから?
人格が代わるだけで?
体は代わってないんだから強くなるなんてなるはずない。
──もう、りっくん聞いたよ? 昨日、いじめてきた三年生をボコボコにしちゃったんだって? ……悪いのがどっちかなんて聞いてません。
まもの声である。
ボコボコにした?
私が?
「楽しもうじゃないか」
私の中の記憶が、私に答えを与えようとしていた。
私は、悠長に話し続けるマフィアもどきが、やる気になる前に急いで立ち上がり、よろけながら池へ走った。
「やれ」
頼む!
私は藁にも縋る思いで、池の自分と向き合った。
「……んぁ?」
左から殺気を感じる。
目線を移動させた時には目の前にパンチが向かってきていた。
「うべし!」
ギリギリで直撃をかわしたが、それでもかすり傷とは言えないくらいパンチを受けてしまった。
ほっぺたがじんじんする。
何だか、体が思うように動かない。
というか、いたい。
自分の姿を見たいが、鏡を見ると交代してしまう。
そんな事を考えていると。
「っと! 危な! うぉっと!? っと!?」
なぜかスーツの大人たちが、どしどしと殴りかかってくる。
意味が分からん。
そもそもにここはどこだ?
「んー」
攻撃から逃げながら、周りを観察してみる。が、見覚えのない家? という事しか分からなかった。
いや、もう一つ分かったことがある。
こいつらに俺がボコボコにされたということだ。
「チッ」
……イライラする。
知らない間にボコられた自分にも、ボコしてきたこいつらにも。
この怒りの沈め方を、俺は一つしか知らなかった。
目には目を。
歯には歯を。
暴力には、暴力を。だ。
三神見聞録 1²(一之二乗) @sanichitasusi
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