第二章10「光の桜2」

 リタリヤロ公国の首都カシヴァルシにあるイダスタ集会所で、ハルトとリーシェはこれでもかというほど唸り声を上げていた。


「あ! また取られた……」


「もうっ! 何でこんなにクエスト消化スピードが速いのよ!?」


「あー、まぁ聖獣祭前だからなぁ」


 頭を抱える二人の若き冒険者を前に、ユーウェイはけらけらとやる気のない笑みを浮かべていた。


「祭りの準備ってのは、何かと入り用なのさ。金にしろ魔物の素材にしろ——な。 商人達は無論だが、貴族共もつまらん見栄の張り合いで忙しないせいか、俺達冒険者はにもこうやって稼がせてもらえるのさ」


 所々に棘が混ざるユーウェイの言葉の奥底にある感情をハルトは読み取ること出来なかったが、それであっても彼から発せられた音と肘をつきながら集会所内の賑わいを見つめる目が、決して好意的な意味では無い事を滲ませていた。

 公国のイダスタの受付係ということ以外ユーウェイの事は何も分からないが、皮肉めいた事を口にしていても、ハルトのような未熟な冒険者に付き合い、共にクエスト一覧表を眺めてくれていることがハルトにとっては全てだった。それに、興味本位で他人の領域に足を踏み入れるほどハルトは愚かでは無かった。


「あ、これなんて良さそうじゃない! 『C級ダンジョンクエスト 定員二人以上から 星砂糖の収穫』って、採取クエストだったらダンジョンでも二人で平気でしょ?」


「止めとけ止めとけ、【星砂糖】はB級魔物のセイヒツリスの中でも碧眼を持つ個体が好む階層の隠された洞窟でしか手に入らねぇブツだぜ? そもそも嬢ちゃん達じゃまず辿り着けねぇさ。 ここ、よく読んでみろ」


「『条件:パーティ内に光又は闇属性が一人以上在籍していること』って……」


「このダンジョン自体が光属性で、出現する魔物も光属性ばかりだからな。そもそも、同属性か相反する闇属性のメンバーが居ないとダンジョンすら見つけられねぇんだよ。アイテムか、メンバーを揃えてからチャレンジするんだな」


 リーシェとユーウェイのこういったやり取りはかれこれ十回以上は繰り返されていた。リーシェが選んだクエストに対して彼はその都度二人が受注できない理由を教え、加えてさり気ないアドバイスを与えてくれる。落胆しながらも、ユーウェイのバインダーに表示されるクエストから再び選ぼうとすると、既にクエスト一覧は更新され、また一から吟味する羽目になる。いま再び、リーシェがユーウェイのくたびれたバインダーの中の文字を一生懸命眺めている横で、ハルトは目の前の無精髭の男を盗み見ていた。

 ギルド職員の仕事だからと一言で言ってしまえば済む話ではあるが、それにしてもかれこれ一時間以上は同じことを繰り返している。忙しい時期であるならば未熟者など適当に遇らってしまえば良いものを、言動こそ面倒だと言わんばかりの色を孕んでいる割りに雰囲気はそう悪くはない。ハルトは、そんなユーウェイを好ましく思った。それと同時に、不思議と、彼の国の受付嬢であるティアの事を思い出した。職務に忠実で厳しい一面を見せながらも心配性な生来がある優しい人——。


(そういえば、ティアさんって光属性って言ってたよなぁ)


 度重なる目の前のやり取りのお陰か光属性と闇属性が貴重な存在という事を知ったハルトだが、神官であるエルミナーニャは当然としても、珍しいと言われている光属性の存在と早くから出会っていたせいか、今までその実感は無かった。を知らぬハルトは、確かに闇属性自体を見掛けた事は無く、此処に来て漸く冒険者達が一度は躓く属性問題に直面したのであった。

 そこでふと、彼は気になってしまったのである。の属性とは一体何であるのか——。


「これならどう!? 『C級ダンジョンクエスト 定員二名以上から サクラボシの採取』って事は、採取クエストでダンジョン属性は【木】、しかもサクラボシなら子供でも探せる位簡単な輝石よ?」


「あーこのクエストはなぁ……まぁいい、ここ、よく見てみろ」


「『最低クリア条件:サクラボシ500個以上納品』って……ごひゃく!?」


「どうする坊主? やるか?」


 属性を示す文字の羅列を脳裏に焼きついた彼の人の後ろ姿と共に眼で追いかけていたハルトは、ユーウェイに問われたことで、その姿を見失った。急に思考の渦から浮上させられたことで、ぼんやりとした音が自然とハルトの口から吐き出されたが、それを責める桃橙の声よりも先に、彼らに声を掛けた者が居た。


「それ、私達と一緒に行かない?」


 艶やかで危うさを孕んだ音色、鼻腔を擽る扇情的な華の香り。その主を確かめようとハルトが振り返った瞬間、彼の顔は大きな二つの柔らかな温もりに包まれた。


「んんむっ!?」


「あら、大胆な子なのね?」


 その人が声を発する振動が、ハルトの顔面に直接伝わった。弾力のある温いその壁は、ハルトが動くほどにまるで離さないとばかりに吸い付いてくるかのようだった。慌てて離れようと目の前の壁に手をつこうとしたハルトは、丁度良い高さにある二つの球体を思わず両の掌で掴みながら、漸く顔を上げることが叶ったのだが——。


(あれ、やわらか……い?)


「あんっ、君、そんなにお姐さんとイイコトがしたいのかしら?」


 頭上から聞こえてきた声は、妖しげな色香の奥に揶揄いの笑みが含まれていたのだが、その時のハルトには届くはずもなかった。其れもその筈、彼は他所様の撓に実った乳房を揉みしだいていたからである。 ここで、決して彼の本意では無かったことは彼の名誉のために付け加えておこう。

 次の瞬間、隣で顔を赤く染め上げ目を悪魔如く釣り上げた少女から鋭い張り手の様な灼熱の橙が少年に向かって放たれたのであった。



 そんな邂逅から数分、ユーウェイの前には所々に焦げ跡が残るハルトとまるで戦闘後の様乱れ具合のリーシェ、妖艶な笑みを崩すことなく情熱的ながら鮮血を思い起こさせる紅の髪を靡かせている豊満な身体の女性、そして——。


「で、この四人でパーティ組むってことで良いのか?」


「え、四人って……?」


 ハルトは、その時になってようやく女性の後ろにいつの間にかひっそりと一人の白き魔術師らしき人物が佇んでいたことに気付いた。目元まで深く被ったフードのせいでその人物の顔を確認することは出来なかったが、ハルトはは慌ててどうも、と頭を下げると、相手はゆっくりと丁寧にそれに応えた。


「四人なら、一人当たり100個ちょっと集めれば不可能じゃないでしょ?」


 紅髪の女性は軽々しく言い放った。リーシェは不満そうな顔をしながらも、今までクエストを受注出来なかった苦労を思い出したようで、もごもごと肯定の示す言葉を口にしていた。ハルトであっても、不毛なやり取りに終わりが来るのならばと、断る理由は無かった。見知らぬとは言え、目の前二人組はイダスタの冒険者であるのだから怪しむ様な存在でもあるまいと。ハルトは二人の姿をぼうと眺めていたら、不意に紅髪の女性の艶やかな紅眼とかちりと視線が合わさった。思わず目を逸らさずに固まってしまうハルトに対して、女性は美しいウインクを彼に飛ばしながら、ひらひらと華麗に手のひらを漂わせた。

 ふと、その光景に見覚えがあったハルトは、ここにきて漸く思い出したのである。


「あれ……え、貴女はあの時の!?」


「はぁい、ラッキー坊や?」


 それは、彼がヴァロメリに来た日、期待を胸に足を踏み入れた首都ですれ違った、隠すことのない憧れを向けた冒険者パーティの最後尾からのひそりとしたエール。それは、魔術師ギルド【ランネスタ】で何も言わずただひそりと送ってくれたエール。目の前に佇む女性は、その人だった。彼女の細くしなやかな腰元には、確かに2丁の銃がぴたりと付き従っていた。

 知り合いなのか、というリーシェの無言の問い掛けになんと答えたら正解なのかが分からないハルトが唸っている間、リーシェはその人を見定める様な視線をぶつけたのであったが、そこで彼女もまた気付いたのであった。


「どこかで見たことがあるような……ってまさか、ミハネ隊長!?」


「元、ね。 退役して、今はただの冒険者よ」


 彼女にとって、それは大きな衝撃だった。目の前の人物は、ただの冒険者なんかではない——と。そんなリーシェの様子に、慣れた反応で躱す女性——ミハネは、何度もこういうやりとりを繰り返したのだろう。リーシェの様子を特に気にすることもなく自身の背後に静かに付き添う人物に眼を遣った。


「こっちは——」


「初めまして、ヒナタです」


 その声は、まるで春の木漏れ日のような穏やかな音色であった。ローブにすっぽりと包まれた体躯からすら滲み出る凛とした真の強さの中に純真可憐という言葉が正に似つかわしい少女らしさを残した、そんな音だった。ハルトにたった一歩近付いただけの筈が、ふわりと陽風のような温かさが彼を優しく包み込む。


「おいおい、こんな時期に遊んでて良いのか?」


 にやにやと笑みを浮かべながらのユーウェイの言葉に、ヒナタは暗がりの麓にある柔らかな口元にそっと笑み浮かべるだけであった。


「こんな時期、だからこそよ」


 代わりのように答えたミハネの言葉の真意はハルト達には伝わらなかったが、ユーウェイにとっては充分だったようだ。余裕そうで羨ましいな、という言葉を恨みがましく口にしてはいるものの三人の間には気安い雰囲気があるのは一目瞭然であり、それ自体が既にハルトからしたら信頼できる要素であった。ギルド職員と所属冒険者の些細なやり取りの中で見えてくるものが、この世界では意外にも重要であることを、ハルトは本能的に悟っていたのである。


 きっとこの人達となら——。


 湧き上がってくる期待感と好奇心で、ハルトはうずうずと顔がニヤそうになるのを堪えきれておらず、隣のリーシェに気付かれて呆れた顔を向けられながらも、彼女は何も言わなかった。彼女もまた、新たな出会いを彼女なりに歓迎はしているようである。


「まぁ、その二人が居れば問題ないだろ。いいぞお前ら、【サクラボシ採取クエスト】受理してやる。 リーダーは坊主、お前でいいな?」


「え、俺!?」


「アンタにランクを合わせてるんだから、リーダーくらいやりなさいよ」


「異論は無いわよ、私達はお邪魔させてもらう立場なんだし」


 ねぇ?とミハネが隣に立つヒナタに声を掛けると、彼女はこくりと頷く動作を見せた。ハルト以外の誰もが彼がリーダーを務める事に同意をした事を確認したユーウェイは、ドンッと重たい音を立てて一枚の紙に判を押した。


「よし、このダンジョンクエスト期限は明後日、【金の日】の日没までだ。 それまでに戻らなかったらギルドの捜索隊を派遣するが、このパーティならそんなことにはならねぇだろう。ま、健闘を祈る」


「ダンジョンの場所ならヒナタが分かるから、向かいながら色々説明してあげるわね」


 ミハネの言葉を切っ掛けに集会所の出口へとそれぞれが歩み始めたところで、坊主、とユーウェイに声を掛けられたハルトは、立ち止まりゆっくりと振り返った。


「いいメンバーに恵まれたな」


 頬杖をつきながら普段は厳しい顔付きの男の顔が、今は真っ直ぐハルトに向かって緩やかな笑みを浮かべていた。ハルトは何とも言えないむず痒い感覚に包まれたが、それを隠すようにわざとらしい程に大きな声で叫んだのであった。


「行って来ます!」


 小走りで仲間の元に駆けていく少年の後ろ姿を眩しそうに見つめた後、次々と声を掛けてくる冒険者達一人ひとりと面倒くさそうな顔で、それでもやはり真摯に向き合うのであった。






 そんな形でハルトが出会った二人の冒険者は、ユーウェイの言葉通りの存在であることは間違いなかった。彼の言葉の意味を全て理解している訳ではないハルトだが、道中でその片鱗を見つけるのは容易であった。


「まさか、ミハネさんがトルニ国の南部隊【炎雀舞】の元隊長だったなんて……!」


「別に嫌になって辞めたとかじゃないんだけど、隊長って色々忙しかったからねぇ」


 ニ年ほど前だったかしら、と何食わぬ顔で語るミハネにハルトは驚きと共に納得したのは記憶に新しい。集会所を出てから直ぐにその事実を知ったハルトは、ダンジョンに来るまでの間に彼女の実力の片鱗を見たことで、それが嘘ではないことを容易に悟ることができたのである。つまり、あの国の中枢達特有の、とんでもない能力の気配を——。


「私はそんなに強い方じゃ無かったから、訓練に付いていくのが結構大変だったわ」


 はぁと憂鬱そうな溜息を吐き頬に手を当てながら、ノールックかつ腰に携えた魔銃一丁のたった一撃ちで彼らの前に立ちはだかっていたB級魔物を倒した人物の言葉であるため些か信憑性に乏しいが、自身の知る人達を思うとハルトはその言葉の全てとは言わずとも信じてみたい気持ちにさせられた。とはいえ、どちらかというとやはり彼女もとんでも枠に位置している事は疑いようもなかった。


「確か、今は南部隊の隊長は不在って聞いたんだけど……」


 リーシェの言う通り、ミハネの以降、隊長として就任した者は居なかった。それがどのような理由からなのか、それを知るのはやはり彼の人なのだろうか——。

 ハルトが最早癖のように思い浮かべた人物は、瞼の裏でただただ不敵な笑みを浮かべていた。


「必要になれば勝手に埋まるものよ」


 その言葉を切っ掛けに、ミハネは口を閉ざした。それ以上の追求を彼女は許してはくれなかったということである。ハルト達にしても、彼女の一部が思っていたよりも近しい所にある事実を知ることができたため、それ以上を無理に知る必要は無く、長い紅髪を悠然と靡かせてダンジョンに向かっていく後ろ姿が頼もしいという事以外、今のハルトには知る術も無かった。


 もう一人の人物——ヒナタに関して言えば、未だに分からない点が多かった。ただ一つはっきりしているのは、彼女がということだけである。

 ミハネとヒナタはA級、リーシェもほぼA級であり、現時点でのハルトは他の三人より冒険者ランクも能力も遥かに劣っていた。それに加え、彼は物理的に魔物と近付き闘わねばならない剣士であるため圧倒的に怪我をすることが多かった。しかしそのお陰だろうか、ハルトがヒナタと接する機会も自然と多かったのだが——。


「ハルトさん、腕を見せてください」


 魔物との戦闘が終わるたびにどこかしらに傷を作るハルトに、毎回優しく声を掛けてくれたヒナタ。リーシェとは違い後方支援型の魔術師だからなのか、戦闘時にこそミハネの後ろで杖を構えながらそっと控えているだけであるが、終わるとすぐにハルトの元へ駆けつけて治療を行った。彼の周囲には中途半端に飛び出した赤黒い内臓や、僅かに引き裂かれた肉片が散らばっているにも関わらず、それを恐れる事なく一目散に駆け寄る姿がさらに彼女の健気さを引き出していたのである。

 しかも——。


「ハルトさん、今度はもう半歩、相手に踏み込んでから剣を振ってみてください」


 剣士では無い筈の彼女の助言は、非常に的確であった。自然と促すようなヒナタの言葉をハルトが素直に実践するのは容易であり、その成果を体験することもまた容易であった。怪我の頻度こそ低くなることは無かったものの大きな傷を負うことは減り、ダンジョンに着くまでの間にハルトの剣士としての能力は彼女の助言によって着実に磨かれていたのである。


(ヒナタさんって、一体何者なんだろう……)


 ハルトは思っても口に出さなかった。

 悪い人ではない、きっとそうだ、それで充分なんだ——。

 言い聞かせるように頭の中で呟いた彼は、後ろからのんびりと着いてくるミハネの隣に居るヒナタをひそりと見遣った。白い魔術師ローブにすっぽりと包まれた身体は大きくは無い。ミハネの身長が170センチ前後だとすると、ヒナタはそれよりも小さいが、自身の隣に並ぶリーシェよりは大きい。このパーティの中で誰よりも穏やかであり、素顔が見えないという不信感以外は、身に纏う純白の如く清らかでさえあった。それが誰かに似ている事には気付いても、やはりその誰かを思い出せないハルトは彼女に対する感情を持て余していたのが、不意にヒナタが彼の方を向いたのである。


「……!」


 暗闇に隠れて見えぬ筈の彼女の眼と、ハルトは己の目が合った気がした。 盗み見ていたことが見つかったことへの焦りと罪悪感で目を逸らしたい筈なのに、見えぬ眼の引力に吸い込まれそうになる——。


「皆さん、着きました」

 

 ヒナタの明るげな声でハルトはハッと意識を取り戻した。己を見ていると思っていたその眼は、彼の背後の世界を見ていた様であった。勘違いをした己を恥じたハルトであったが、次に目を向けた先は、彼を大きく揺さぶるものであった。


「此処が木属性C級ダンジョン、【翠月の丘】の入り口です」


 彼女の声につられるように、一同はダンジョンの入り口に目を向けると——。

 彼等の目の前に佇むのは、年月を重ね崩壊が進んでいる巨大な二本の白亜。自在に伸びる青々とした樹々に纏わりつかれ綻びが見える白い壁を従える双柱の間には、何処に続くのか分からない大きな穴がぽかりと口を空けていた。


「これが、ダンジョン……」


 ぴりぴりと肌を刺激するマナの流れと何かからの威圧感を、確かにハルトは感じていた。どくりどくりと頭で鳴り響く血の唸り声が自身の心臓に濁流のように巡っていく。


「これ、ホントにC級……?」


 リーシェの呟きは、目の前の暗闇へと引きずりこまれていった。彼女の額には一筋の汗が流れている。どうやら彼女もハルトと似たような得体の知れないを感じ取ったらしい。恐怖ではない、それでも気を抜いたらそのに持っていかれてしまいそうな知らぬ感情——。


「当たり、ね」


 立ち竦む少年少女の肩を背後からグイッと自分の柔らかな胸元に引き寄せて抱え込んだのは、紅を纏うミハネであった。彼女の声は、この場に似つかわしくない程に弾んでいる。


「久しぶりのダンジョン……なんだか楽しくなってきました!」


 三人に並ぶように立ったヒナタの見えぬ表情が、嬉しげな色に染まっているのがハルトとリーシェにもはっきりと伝わった。

 挑戦的な眼で二人を抱え込んだままダンジョンを見つめるミハネと、杖を握る手がうずうずと揺れているヒナタの姿は、ランク故かそれとも冒険者の性か——。

 二人の様子とは裏腹に、未だ緊張感に包まれているハルトとリーシェであったが、そっと添えられている手のじんわりとした温もりが、段々と彼らに落ち着きを取り戻させていく。


「大丈夫よ」


 ハルトの耳元で囁かれた、艶やかさで彩られた自信に満ちた音で彼の内に荒れる血流が徐々に凪いでいくのだが、次の瞬間に離れた右肩の重みと失った温度が、彼に奇妙なざわめきをぽつりと残した。

 当のミハネはそのまま何食わぬ顔で、三人の前に進み出ると、得意のウインクをパチリと送ってから、


「あーん、大物の予感がするわー!」


 と、先程までとは異なりいやに巫山戯た言葉を残した後、背中に従える未だに実力を発揮できぬ相棒を見せつけながら仄暗いダンジョンの入り口へと消えていった。


「あ、ちょっと……勝手に進まないでよ!」


 はっと正気を取り戻したリーシェが、張り合うように慌てて後を追う。先程まで気圧されていた雰囲気は霧散し、持ち前の思い切りの良さも相俟って未知の領域へと飛び込んていった。

 ぽつりと残されたのは、ハルトとヒナタ。恐れることは無いと分かっていながらも、見知らぬ世界に中々足を踏み出せないハルトをちらりと覗いたヒナタは、彼と並んでいた足を動かし、一歩出るとそのまま歩き出す素振りを見せた。


(置いていかれる……)


ふとハルトの頭に過ぎった考えは、次に訪れたやわらかな温もりにより、優しく浚われていった。


「大丈夫」


「……ぁ……」


 進むかと思われたヒナタが軽やかに振り返り、ハルトの右手にそっと両手で触れた。そのまま胸元まで持ち上げ、祈るように彼の手を包み込んだ。距離が近いせいか、はっきりと見える彼女のやわらかそうな愛らしい桜色の唇は、緩やかに弧を描いている。僅かに覗く淡桜の髪がさらりと揺れた。


「行きましょう、ハルトくん」


 ゆっくりと手を引いて誘うように少年の前を歩きだしたその人に、彼は自然と足が付いていった。彼女の音が、彼の脳を優しく刺激し、繋いだ手から伝わる温度が彼に安寧を齎した。

少年はもう、踏み留まることは無かった。

二人の冒険者は、いまゆっくりと白亜の双柱をくぐり抜け、仄暗い闇の世界へと一緒に溶けていった——。


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イミテーションセクステット 海月らいと @blackalice

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