立切試合
空手には百人組手というものがある。
百人の相手と組手をするという死ぬ場合もある危険な稽古だ。
そして剣道にも同様に『立切』と呼ばれる稽古がある。
湯沢市で行われる『3時間立切試合』が有名だ。
1人の選手に対して3時間33人(女子は2時間22人)が休みなしで戦う。
試合時間は5分で有効打突が多いほうが勝ちとなるというものだ。
「では
かつて曽祖父の合気道道場だったこの場所は死後俺と英雄先生の稽古場となっていた。
小学校の頃は学校で指導を受けていたが中学と同時にそれは終わるはずだった。
だが小学校教師というブラック職場で勤務する傍ら僕をここで指導してくれた。
中学剣道部の部活から帰宅したあとここでさらに剣道の稽古をしていた。
英雄先生はどこからか社会人になって剣道から遠ざかっていた経験者を誘い込み、そんな人間が集まるようになった。
いつしかここは『屯所』という愛称で呼ばれるようになった。
「始め!」
僕の送別会としての立切試合が始まる。
立切試合の目的は『体力を限界まで追い込む』のがテーマだと言われる。
この3時間の立切試合を乗り越えたのだからどんな苦難にでも立ち向かえるという自信をつけさすのが狙いだ。
つまり剣士としての礎を刻もうというのだ。
これが英雄先生達の選別だ。
俺は柔道が嫌いというわけではなかった。
だがつまらないと心のどこかで感じていた。
それは柔道の才能があったからだと思う。
矛盾していると思うかもしれないが俺は恵まれた体格と才能でほとんど苦労なく強くなった。
同学年に敵はなく、小学生にして圧倒的に体の大きな高校生にも互角以上に渡り合えた。
俺の性格の欠点として出来る事に興味を失くしてしまうというものがある。
出来る事よりもできない事にのめり込んでいく傾向が強い。
これは爺ちゃん、父さんと受け継がれる加原家の伝統らしい。
出来る事を伸ばしていく方がいいに決まっているのだがどうしても気が乗らない。
真面目に稽古をするのだが熱心になれない。
そんな俺が試合に勝ってもいいのか?と疑問に感じている時に英雄先生に声をかけられた。
柔道を熱心に指導してくれていた爺ちゃんはあっさり『お前の好きにしなさい』と笑顔で背中を押してくれた。
爺ちゃんは柔道の金メダル確実とまで言われた逸材だったらしい。
ただ素行が悪く日本代表にはなれなかった。
『お前がやりたい事をみつけるまでのつなぎに柔道を教えただけの話だ。
加原の人間はやりたい事しか出来ない性格だからな』
柔道をやめて剣道を始める事がどこか嬉しそうだった。
「くそ!もうタケにはかなわん!!」
始めた当初は面白かった。
多分弱かったからだと思う。
徐々にだが強くなるのが面白かったし嬉しかった。
小学校の終わりに急に強くなったような気がする。
それを英雄先生が考慮し、屯所には徐々に強い経験者が出入りし始めた。
だから中学の部活よりも屯所での練習が楽しかった。
中1にして個人戦に出場、中学剣道三連覇でちやほやされたが部活は言われた作業をこなしただけの気がする。
だが屯所での練習も最近は微妙だ。
自分より強い相手がいなくなったからだ。
当初圧倒的だった英雄先生にも最近は問題なく勝てるようになっている。
だからだと思う。
異世界なら自分より強い相手がいるのではないかと考えるようになった。
どこまでもどこまでもひたすら強くなりたい。
この渇望だけが俺を動かす原動力だった。
だから屯所で最強になってもどこか飢えた感情が心を支配していた。
「あれ、
周囲のざわつきに視線が泳いだ相手にすかさず面を入れる。
同時に審判をしていた英雄宣誓が中断を宣言する。
「加原、久しぶりだ」
「悪い、遅れた」
英雄先生と父さんが朗らかに挨拶する。
仲が悪いようには見えない。
「神目さんも相変わらずおっぱい大きいな。
どう、俺と付き合わない?」
英雄宣誓はいい人なのだが胸の大きな相手にはセクハラが酷い。
そんな旦那のセクハラに奥さんが鉄拳制裁を入れる。
奥さんは金髪碧眼の超美人なのだが残念ながら胸が小さい。
超美人なだけに残念無念冷素麺。
高校時代に留学してきて英雄宣誓に猛アプローチ、最終的に結婚したらしい。
常世国出身という噂がある。
「お前、結婚してもかわらないなぁ」
「嵯峨・大西もよく来てくれた」
英雄先生は大きな中年と嬉しそうに握手をした。
そのあとにもう一人の中年と握手。
年齢的に英雄宣誓と同じくらいだ。
父さん以外は剣道義を着て、防具と竹刀を持っている。
「おお、一橋も久しぶりだな」
少し遅れて
ノースリーブの白拍子と薙刀。
見た目だけはJKな都に周囲から歓声が上がる。
残念、中身はただのおばちゃんだ。
「
「魔王を倒すためには手段を選んでいられないだろ?」
英雄宣誓の言葉に父さんが苦笑する。
「再開する。
みんなは準備を頼む」
立切試合は進む。
そして大西という中年が最初の対戦相手として登場する。
「剣道なんて15、6年ぶりなんだけどな?」
そんな独り言が聞こえた。
思わず苦笑してしまう。
「小手あり!」
油断している間にあっさり小手をとられてしまう。
速い。
明らかに反応出来なかった。
「油断したのかな?
でも実戦だったら剣を二度と握れない…つまり死んでいた」
ちゃかすような口調だったがその言葉には重みがあった。
結局スピードで押し切られ立切試合初めての敗北となった。
「俺も剣道なんて久しぶりだ」
嵯峨という大きな中年の動きは大西より早くなかった。
だが竹刀で面を払いのけようとしてまともに脳天に入った。
「面あり!」
…痛ぇ。
久しぶりの感覚。
小学校の頃英雄宣誓の面をもらうととんでもなく痛かったがそれ以上だ。
手数で勝った俺の勝利だったが実戦なら最初の一撃で確実に真っ二つだったはずだ。
「次は私ね」
神目蒔苗の名前は知っている。
俺動揺中学剣道三連覇を成し遂げた剣士だ。
よく比較された。
神目蒔苗を見た事のある人間なら必ず『神目の足元にも及ばない』と評された。
…面白い。
「面あり!」
油断していなかったし剣の軌跡も見えていた。
だが防げなかった。
竹刀は最短距離を辿り、面に吸い込まれた。
「油断していたのかしら?」
「まだ始まったばかりだ」
俺の攻撃はことごとく防がれた。
竹刀は最短の軌跡と最適な力で防がれ、捌かれた。
ほぼ残り5分俺のすべての攻撃を受けきった。
その間に隙があったはずなのに反撃はなかった。
「僅差で私の勝ちね」
明らかに遊ばれた。
嘘吐けと言ってしまいそうになる。
実力差があり過ぎだ。
その絶望的な力量の差に心がわくわくした。
久しぶりの高揚感。
父さんが連れてきたという事はコイツらは異世界の人間だ。
これから向かう異世界には俺よりも強い奴がゴロゴロいる。
そう思うだけで心がときめいた。
「次は私の番…まさか、薙刀が卑怯だとは言わないよね」
「上等!」
都が薙刀を構える。
「脛は勘弁してあげる。
その代わり私が勝ったらアンタはここで生活する…わかったわね」
「絶対勝つ!」
剣道と薙刀はその圧倒的な間合いの広さから薙刀にアドヴァンテージがある。
とある高校で全国レベルの剣道部男子が薙刀部女子と試合を毎年している。
剣道部男子が勝敗を大分盛り返してきたが女子薙刀部の優位は変わっていない。
薙刀の間合いが1.5倍竹刀に勝っているのがその要因だと言われる。
ほかに薙刀は剣道にない脛が有効打突なのも大きい。
実戦なら薙刀に足を切られただけで動けなくなるがこれは試合だ。
死合じゃない。
ならば勝機はある!
「ハァァ!!」
声を出す。
威圧するためじゃない、自分を鼓舞するためだ。
鉄壁。
我が母ながら都の防御を崩せない。
巧みな足さばきで薙刀の間合いをキープしている。
神目蒔苗の防御は完璧で非の打ちどころがなかった。
隙がまったくなくどこを攻めればいいのか迷った。
だが都の防御は神目蒔苗ほどじゃない。
隙がある。
そこに渾身の一撃を放つがことごとく捌かれてしまう。
そこではっと気づいた。
あえて隙を作る事で竹刀を誘導しているのだ。
それに気づいた時には遅かった。
残り少ない体力と気力がごっそり削られていた。
残り時間も少ない。
都は防戦一方で1本もとっていない。
ここで1本とれば俺の勝ちだ。
ならば勝負に出る!
俺には鍛え抜かれた筋肉がある!!
見た目通りの華奢な体なら俺の筋肉アタックの突進で吹っ飛ぶ。
それで体勢を崩して面を打つ!
筋肉は裏切らない!!
「くはっ!」
一瞬なにが起こったのか理解出来なかった。
空中を舞い、床にしたたか背中を打ち付けた。
肺の中の空気が全部失われたような感覚。
ドーパミンがドバドバでているから痛みはない。
だがすぐに起き上がれない。
床に仰向けで大の字で転がっている俺の胴を都が踏みつける。
重心をしっかり踏まれているのかまったく動けなかった。
「武士、降参しな」
都の薙刀が俺の喉元に突き付けられる。
「不用意に突進して足払いをもらうなんて馬鹿過ぎ。
しかも転がってすぐに起き上がらないなんて殺してくださいって言っているようなものだわ」
都の指摘は最もだ。
「降参…しない」
その言葉に都は無言だった。
しばらくして都の面が転がっている俺の面に接触した。
自分が親不孝をしているのを理解する。
「人殺しをしなくていい世界で生きていけるのになんでそれを捨てられるの?
わざわざ修羅の道を進む意味ってあるの?」
都の涙が俺の頬に落ちた。
意味があるかと聞かれれば明確な答えはない。
だから素直な気持ちで答える。
「修羅の道を歩かない生き方が賢い生き方だってわかっている。
意味がない可能性が高いって頭では理解している」
険しい道を歩かなくていいように言ってくれているのだ。
それが愛情だってわかっているのに俺の考えは変わらない。
「でも俺は修羅の道を進みたい。
その先に何があるのか自分の目で確かめたい。
絶望するかもしれない…でも歩きもしないで後悔するよりはよっぽどいい」
同じようなぼっちが妥協してクラスに馴染もうとする姿を何度も見た。
俺はそれを真似しようとは思わなかった。
いや、出来なかったのだ。
そいつらを非難する気はない。
でも自分を変えてでも馴染もうとする価値をどうしても感じなかった。
屯所での大人達との付き合いでは態度や姿勢なんかを指摘されて改善した。
ここでの居場所に価値を感じていたからだ。
でも学校という集団には価値を感じなかった。
勉強という名の日々知識を詰め込まれるだけの生活。
昨日のテレビや流行しているゲームの話。
自分には興味のない事に会話する意味を感じられなかった。
俺はただ強くなりたかった。
だからただ平凡な日常を過ごすよりは血生臭い修羅の道に憧れる。
殺し合いの日常を考えると心がときめく。
自分は人間として壊れていると思う。
でも同時にこれが自分だと叫びたくなるのだ。
「…好きにしなさい」
都が俺に背を向け歩いて行った。
泣き止まない都を父さんが優しく抱きしめる。
僕に向けた目は『都の事はまかせておけ』と言っているように見えた。
条件は『都が勝ったらここに残る』というものだった。
勝負は時間切れの引き分け。
都が本気になれば俺は手も足もでなかっただろう。
圧倒的な実力差を見せて一方的に俺を叩きのめすのは簡単だったと思う。
でも都はそれをしなかった。
最初から俺が折れるとは考えていなかったのだろう。
それでももしかしたら考え直してくれるかもしれないと思って戦いに臨んだのかもしれない。
でも俺は自分より明らかに強い人間がいる異世界に逆に心をときめかせた。
自分はなんて業の深い人間なのだと自覚した。
いつか戦いに敗れ死ぬ寸前に母親の愛情に感謝し、謝罪しようと思う。
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ミコさんの息子のプロローグはここまでとなります。
次回作として考えているのは脳筋主人公と聖女志望のポンコツ令嬢との純愛を軸とした冒険がいいなと考えています。
エロ控えめの冒険と学園生活って感じがいいかな、と。
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メンテ中…。 玄武堂 孝 @genbudoh500
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