偽教授接球杯Story-4

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※前話「Story-3」https://kakuyomu.jp/works/1177354054893829031/episodes/16816927859077905846

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 その日も、いつも通りの朝だった。


 いつも通り私は目覚まし時計が鳴る前に起床して、いつも通り身支度を整えた。そして、いつも通りの満員列車に揺られて、いつも通り勤務先の学校へと向かった。

 教員生活数十年。それはずっと変わらない朝。

 でも、結局すべてはそういうこといつも通りの積み重ねなのだ。生徒ひとりひとりの悩みに100%は向き合えないからこそ、出来ることをコツコツと。たとえそれが退屈なことだとしても…。

 …とはいえ、やはり教師はいい。真摯しんしに取り組めば、生徒たちはそれに応えてくれる。『QP小川』なんて、一見ふざけたあだ名も生徒からの信頼の証だと誇りに思っている。

 平凡でも、幸せな日常。


 なのに、これは一体何が起きた…?


 目を開いたとき、私は床に突っ伏していて、誰かが肩を揺らしていた。耳慣れない外国語が聴こえる…。何が何やら分からない私はぼんやり頭の記憶を探った…。


 そう…。確か…授業を終えて、教室を出た。いつも通り…。そこまでは覚えている。…いつもは真面目な生徒の一人が何やらこそこそと"内職"読書に励んでいたこと以外、特に変わりはない授業だった。ただ、廊下へ出たときに、妙に強い風が吹いた。

 そこから、あとの記憶がない。


 ……何故…、何故私は今この見知らぬ薄暗い部屋で倒れている…?


 明らかに学校の教室ではない小さな個室。そこにあるのは、小さな窓と木の扉。外は風が強いのか、ガタガタ音を立てている。音に合わせて揺れる裸電球が、歪んだガラスにうっすら映っていた。


「――――。――――。――――?」


 目の前には見知らぬ外国人男性。

 ずっと何か熱心に話しかけてくる。優しく尋ねるような口調だが、何を言っているのかさっぱり分からない。何処の国の言語かも分からない。英語も苦手な私にとって、それはまるで異世界の言葉のようにすら聴こえた。


 …あぁ、異世界。

 異世界といえば、最近の生徒たちの好む本の中にも、そういった単語を何度か目にしたことがあったな…。漫画のようなポップな表紙をした物語では、言語の壁に悩むことは少ないようだったけれど…。


 ふと、男の髪とコートが濡れていることに気づいた。もう水は滴っていないが、そのしっとりと湿った黒髪と睫毛は、先ほどまで酷く濡れていたことを想像させた。

 でも、今日はよく晴れていたのに。…そうだ、授業中は窓から青い空が見えていたじゃないか。

 そう思って小さな窓を振り向くと、ちょうど稲妻が外で煌めいた。昼か夜かも分からないぶ厚い雲の下、風が低い唸り声をあげていた。


 これは一体どういうことだ?


 あれから、随分経ったということなのか?だが、台風が近づいているニュースなんて、最近聞いてない。それほど、長い間眠っていたとも考えがたい。腕時計は止まってしまっているけれど、それほどの空腹や疲労は感じない。どこか外国にでも連れてこられたのか?しかし、誘拐されたにしてはあまりにいい加減過ぎる。拘束なんてされていないし、あの男性も見張り役には思えない…。


 そのとき、温かな香りが鼻腔をくすぐった。


 身体を起こし振り替えると、先ほどの男性が両手いっぱいに料理を持って現れた。何処からとってきたのか、白い湯気の立ち昇っている。

 焼きそば、ミートボール、おにぎり、唐揚げ……。まるで学生のお弁当だ。日本人離れした容貌の彼には少し不釣り合いな顔ぶれ。それが何だか懐かしく思えて、少し心が落ち着いた。

 それが表情に出ていたのか、彼はとても嬉しそうに笑って私に差し出す。

 それでも、まだ少し躊躇していると、大袈裟なジェスチャーをしながら、ミートボールをひとつ食べて見せた。…毒見をして見せたということなのだろうか。

 ひしひしと伝わる彼の優しさに、私もひとつミートボールを摘まんだ。…ほんのり酸味のある日本らしい甘酢だれのかかった肉団子。なんてことない何処でも食べれる味なのに、何故だか高価なご馳走のように思えた。刺さっているプラスチックのピンクの棒すら"まさにお弁当"という雰囲気で好ましい。

 彼も少し気持ちが緩んだのか、他の食べ物へと手を伸ばす。

 外の風雨の音を聴きながら、私たちは黙々と食事を進めた。異様ながらも穏やかな雰囲気だった…。

 やはり、食事というのは大切なものだ。


 胃が満たされたからか、しばらくすると心がかなり落ち着いてきた。彼の温かい心遣いもあるだろう。

 ふと顔をあげると、彼が飲んでいたのはペットボトルに入った黒い液体、…黒い澄んだ炭酸水?ただそれは何だか見覚えのあるものだった。…はて、何処で見たのだろうか。

 ぼんやり見ていると、彼は欲しがっていると思ったのか、ニッコリ笑って差し出した。少し申し訳なく思いながら受け取った私はハッとした。

 その蓋についている模様。それは勤務先の学校の校章…。生徒たちのポイ捨てを防ぐ目的を兼ねて、校内で販売される飲食物のパッケージには、校章のシールが貼られているのだが、それがそこにはあった。


「一体、これを何処で…っ?!」


 思わず大きな声が飛び出た。唐揚げにかぶりつきかけていた彼はピタッと止まって、大きな瞳をパチクリ…。

「……すみません。興奮してしまって…」

 謝りながらもいろんな想いが頭を巡る。…私がここにいるということは、他の先生たちはどうなのか。生徒たちは無事なのか。どうしてそんなことも思い至らずに私は見知らぬ男性とのんびり食事をしているのか…。


「――――?」

 男に声をかけられて、我に返ると皿の上の食べ物がほとんど無くなっていた。おかわりを取ってこようかと、聞いてくれているようだ。

「……いえ、私も一緒に行きます」

 彼に頼るばかりも申し訳ない。それにここがどういう場所なのか気になった。


 腰をあげたとき、ちょうど扉の外で音がした。


 ガチャガチャと扉を開けようとする音。

 この部屋の他にいくつか別の部屋があるようだ。他にも人が居たのか…と最初は彼と軽く顔を見合わせていた。

 だが、その部屋は開かなかったようで、隣へとその音が移る。その隣、またその隣、…とだんだんこの部屋へと近づいてくる。

 それはどこか不穏だった。

 しかも、その物音はひとりのようでありながら、何人もいるようでもあった。部屋を出そうになっていた私たちは思わず息を潜めて扉を見つめる。


 ガチャガチャ…ガチャン


 廊下にいる何者かはとうとう私たちの部屋に辿り着いた。ノブが回って扉が開く。


 ギーィ…ッ


 音を立てて扉が開いた。しかし、……。

 そこには何故か誰もいなかった。

 先ほどまでの不思議な気配も綺麗さっぱり消え失せた。恐る恐る男性が扉の外を確認してくれたが、やはり廊下には誰もいない。


 わけが分からない…。

 彼は『自分が外を確認してくる』というようなジェスチャーをして出ていこうとするが、じっとしているのも、ひとりになるのも恐ろしくて、私も付いて行くことにした。


 さっきの部屋は建物の二階にあったようだ。男の後について階段を降りていくと、だんだん食欲を刺激する香りが漂ってきた。先ほど、食べたばかりにもかかわらず、小腹が減ってしまった。彼も同じだったようで、前からキューッとお腹が鳴るのが聴こえた。少し耳を赤らめた彼は、お腹を撫でながら照れ臭そうに白い歯を見せる。


 そんな彼に連れられて入った部屋はそんなに広い部屋ではなかったが、ご馳走が並んでいた。

 ただ、さっき彼が持ってきた日本風の料理はもう無い。鳥や獣の丸焼きや、魚のお造り、スープ、ケーキ、更にはチョコマウンテンのようなもの。それがだいたい二人で食べきれそうな量が机に載っていた。

 ガタガタと窓が揺れた。外は今も真っ暗で、激しい風雨はまだ止まない。

 何となく、部屋のの外を見渡した。上の階からも建物には今私たち以外の人の気配が感じられない。こんなにたくさんの料理もあるのに。その上、何だか視線を感じた。まるで、幽霊にでも観られているような…。


「あの…ここを出ませんか?」


 嬉しそうにご馳走へ手を伸ばした彼を私は止めた。もう胃は満たされているはずなのだ。何だか嫌な予感がしていた。


 一瞬、妙な顔をした彼も、私の気持ちを察したのか、手を下ろす。


 …このときの私の選択は正しかったのか。今でも分からない。


 ただ、私たちはこの建物から出た。

 いつの間にか、空は晴れていた。突き抜けるような青い空。

 眩しそうに目を細めて足を踏み出した彼のコートに泥が跳ねた。それでも、ぬかるんだ地面はそれほど嫌なものに思えなかった。

 足元の草は雨露に濡れ、キラキラと輝いていた。


―――――――――――――――


 トントン、トン


 控えめなノックの音が部屋に響いて、私の意識が現実に戻る。


「執筆状況はいかがですか?QP?」


 静かに開いた扉から現れたのは、あのときの彼……グレイ。両手に冷たいコーラの注がれたグラスを持って無邪気に微笑んでいた。


「んー…まだまだ。文章にするのはやっぱり難しいね」


「まぁ、いろいろありましたからね」


 あの後、建物を出た私たちは二人で様々な世界を旅した。…大冒険だった。

 ある街ではマフィアや吸血鬼に追われたり、ある村では竜や魔物の退治を依頼されたり、ある町では魔女や悪魔に唆されたり……。まぁ、世界を股にかけた大冒険を繰り広げた。いや、世界じゃないな。異世界を股にかけた大冒険だ。


 …どういうことかって?


 ハッキリとしたことは私たちにも分からない。

 ただひとつ分かっているのは、あの建物は様々な世界に通じているということ。一度、あそこに入ってしまえば、次に同じ世界に戻れるとは限らない。

 それに気づかず、私たちはあそこを通して、何度もいろんな異世界に渡る羽目になった。きっと世界を救った冒険も一度くらいはあっただろう。

 そうやって何度も冒険を重ねる中で、私は元の世界を見つけることが出来た。少し過去に戻ってはしまったのだが…。

 しかし、グレイは元の世界どころか、似た世界すら見つからなかった。


「これでいいんですよ。私はQPの世界が好きですから」


 窓枠に腰かけたグレイがあんパンをかじりながら、ニッコリ笑う。あの日初めて食べて以来、コーラとあんパンの組み合わせが好きになってしまったらしい。

 ただ、私はそれが彼の戻れない原因なんじゃないかと思っている。『冥府の食べ物を口にしてはならない』というのは、世界の神話の定番だ。…あの館はきっとそういう場所だったのだ。すべての世界に繋がる館。


「…終わったことは良いではないですか。

 それに、その原稿は次の"訪問者"のために残しているのでしょう?」


 そういうと最後の一口のあんパンを放り込み、コーラを流し込むようにグラスをあおる。


「…そうだ。この世界での戸籍を作ってきたんですよ!

 どんな名前にしたと思います?

 QPは"小川"って名前ですよね。で、私は元の世界での名前がグレイ。

 "小川"から一文字もらって、"小グレイ"にしようかと思ったんですけど、それはちょっと"小さいグレイ"みたいで嫌だったので……。


 音だけそのまま、漢字を変えて"木暮"です」


《おわり》




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君の夢に灯したら おくとりょう @n8osoeuta

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