第28話 ありがとう

 朝の三時。スマホに設定されたアラームが鳴って僕は目が覚めた。テントの中で寝袋に潜り込んでいる僕は、酒が残っている頭で今の状況を確認した。僕は亀岡の山の中で昨晩はかなりの酒を飲んだ。でも、二日酔いにはなっていない。外はかなり寒そうだが、テントと寝袋のお陰で十分に休むことが出来た。今日はもう少し寝てもいいだろう。仕事は休んだんだから。先ほどの夢の続きでも見よう、見よう、見よう、どんな夢だっけ。


 夢っていうのは目が覚めると、どんな夢を見ていたのか忘れてしまう、普通は。ただ、僕は子供の頃に見た一つの夢を今でも憶えている。未就学の頃から、確か小学校の中頃まで、何かの拍子に同じ夢を何度も繰り返し見た。その夢を見ると必ずパニックになって夜中にうなされる。僕はただ、怖くて怖くて、考えることさえ出来なくなるのだ。母親はそんな僕をいつも抱きしめてあやしてくれた。


 僕は、二階建ての木造住宅の二階にある子供部屋にじっと座り込んでいる。その六畳の和室の子供部屋には、大きな大きな丸い球のようなものが三つ収められていて僕はその三つの球を大切に見張っているのだ。ただ、おかしいのはその球はたった一つでも六畳の子供部屋には入りそうもないのに、確かに三つも収まっている。僕は何も問題が起こらないように見張っていたのに、そのうちの一つが音もなくゆっくりと階段を伝って落ちていく。僕は声にならない声をあげながら、その落ちていこうとする球を必死に戻そうと試みる。駄目だ、落ちては駄目だ。僕の心拍数は振り切れるほどに跳ね上がり、恐怖の為に息が出来なくなる。その球が一階に到着した時、僕は白衣を着た大人に変身する。宇宙船か何かに乗り込んでいて、足元に見える地球が炎で赤く染まっていくのを眺めている。取り返しのつかないことになってしまったことに、大人になった僕は自責の念に包まれつつ、その地球を眺めている。


 そんな僕の子供の頃の夢の話を、大学で仲の良かった秋山に話してみたことがある。秋山という男はポテトチップスを割りばしで食べないと気が済まない潔癖症なところがある変な奴なんだが、関心があることに対しては貪欲に知識を吸収しようとする。そんな秋山が語りだすと、ちょっとしたカリスマを感じさせる話力があり、周りからも一目置かれる存在だった。


 秋山は、僕の夢の話を聞くと、それは僕が母親の母体から誕生するする時の記憶だと言い放った。僕は非常に驚く。言われてみれば、確かに思い当たる節があるのだ。母親から聞かされた話によると、僕はかなりの難産で生まれたそうだ。先生が母親の体に馬乗りになり押し出すようにして僕は出てきたそうだが、その時の僕は逆子で更に首にへその緒を巻いていた。引っ張り出すときにそのへその緒が首を絞めてしまい、なかなか泣き出さなかったそうだ。母親は「チアノーゼで大変だった」と語っていた。そうすると、僕のあの夢は出産時のトラウマが夢となって再現されていたんじゃないのかと素直に思った。そうなると、夢の解釈は色々と想像が出来る。


 でも、僕にとってはそんな夢の解釈よりも、僕がパニックになっていた時に、必死に僕を抱きしめてくれていた母親のぬくもりの記憶が、今となっては懐かしい。そんな母親も三年前に亡くなった。母親の最後はとても立派だった。癌が発見された時には、あと三か月の命と診断されたのに母親は二年半も寿命を延ばした。その間の投薬治療との戦いは多くのダメージを母親に与えたと思う。それでも母親は若い頃に身に着けた技術で、治療中でも家の片隅で黙々と着物を縫い続けていた。いつもニットの帽子を深く被りながら。


 母親が亡くなる前日、僕たち兄弟は母親が入院している病院の先生に呼ばれた。先生は、母親がもう長くはないことを宣告した。僕たちが母親の病室に入ると、母親は非常に喜んでくれた。僕はいつものようにスマホとWi-Fiスピーカーを繋げて、母親にクラシックの音楽や古い映画音楽を聴かせてあげる。スマホを使えない母親は「便利ね」と僕に言う。兄弟たちと取り留めない話をしていると、珍しく母親は音楽のリクエストをしてきた。


「そのスマートフォンは、どんな音楽でも聴くことが出来るの」


「ああ、出来ると思うよ」


「じゃ、タイガースの花の首飾りが聴きたい」


 僕は検索をかけてその曲を見つけると、スピーカーからその曲を流した。女の子たちが野原に座り込んで、ひな菊で首飾りを編んでいる。その花の首飾りをお互いに首にかけてあげるときに相手の親愛の情を感じている。若いタイガースの歌声は、幼くてどこか甘くて、世代ではない僕が聴いても懐かしい思いにさせられる。母親は、目を瞑ってゆっくりと聴いている。僕は見舞いに来ては、「音楽を聴かせることが良いだろう」と思い色々な音楽を流してきたのだが、今日ほど母親が真剣に聴いている姿は見たことがなかった。


 曲が終わり母親は目を開けると、自分が若かったころの話を力強く語り始めた。戦ってきた母親の歴史、生きることの素晴らしさ、それは今まさに死にゆこうとする者の姿ではなかった。目を爛々と輝かせ、今にも立ち上がりそうな勢いで、生きていく僕たちにエールを送った。


 昨晩から親しかった皆と邂逅を果たした僕はテントから抜けだした。テントの外はまだ真っ暗で身を突き刺すように寒い。僕はまずガスバーナーで湯を沸かすことにした。その間に、コーヒーミルの中に豆を入れて、ハンドルをクルクルと回す。金属製のマグカップに百均で購入したドリッパーをセットして挽いたコーヒー豆を入れる。その頃には湯が沸きだしたので、その熱い湯をドリッパーに注ぐ。コーヒーの香りが暖かく僕を包む。口をつけて飲み込むと冷え切った僕の体の中に火がともった。暗闇だった山の谷間にも光が差し込んできて、新しい一日が始まった。


 僕の家の玄関には、母親が書いた彼岸花の水墨画が飾ってある。器用な人だ。筆でスッ、スッと描かれた彼岸花は美術館に展示できるような秀作ではないけれど、母親の生きざまが感じられる。闘病中に描かれたものだ。母親はその水墨画に言葉を寄せている。


小さな幸福

こんなにたくさん

ありがとう


 死ぬ間際まで、感謝が出来るなんて本当に素晴らしい人だ。僕の山籠もりは、もうこれで終わり。家に帰ろう。

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そうだ、スーパーカブに乗って出かけよう! だるっぱ @daruppa

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