幸せのカップ麺

北島宏海

幸せのカップ麺

「ミドリ先輩、大変です!」


 パーテーションで仕切られた会議コーナーの片隅。遅い昼食をとっていると、後輩の女の子が駆けこんできた。

 がんばりやなので、わたしが特にかわいがっている子だ。彼女のほうも学生のノリで『ミドリ先輩』などと呼びながら、なついてくれている。


「どうしたの、いったい?」

 お弁当から視線を上げ、落ち着いた声をだす。


 こういうとき、相手のペースにあわせてはいけない。若い子はそれにあおられ、ますますパニックに陥ってしまう。


「とにかく大変なんです。一緒に来てください!」


 わたしの腕を引っぱって強引に連れて行こうとする。


「ちょっと待って。どこに行くの?」


「倉庫です、もちろん!」

 じれったそうに言う。


 そういえば、配送業者さんが来る時間だったわね。今日は店長は休み、副店長は出張なので、事務系の責任者はわたしになる。


 お弁当を自分のデスクに戻し、後輩に向きなおる。


「さあ、いいわ。行きましょう」


 後輩と一緒に事務室を出た。


「それで、どうしたの?」


 足早に倉庫に向かう後輩と歩調をあわせながらたずねる。


「いましがた、配送業者さんから午後の第一便の納品があったんですけれど」


「そうね」


 わたしはいたって冷静だ。

 内心、自分の対応に拍手をおくる。


「そこでトラブルがあって」


 倉庫係りの人が怪我でもしたのかしら。あるいはドライバーさんとか。

 それが一番こわい。


「だれか怪我でもした?」


 後輩は首を振った。


「いいえ」


 よかった。それ以外の問題なら、なんとかなるわ。


「それじゃあ、どんなこと?」


「納品物がすごいことになっていて」


 会話しているうちに、倉庫の入り口にたどり着く。

 わたしは思わず立ち止まった。


「なに、これ……」


 ほらねという顔をする後輩の横で、声もなく、天井まで積み上がった箱の山を見あげる。

 箱にはそれぞれ『赤いきつね』と『緑のたぬき』の文字がでかでかと印字されている。

 それが六列。

 近くには倉庫係の男子社員が納品書を片手に、ふぬけたように立っていた。


「もう大丈夫、ミドリ先輩を連れてきたよ」


 男子社員がほっとしたような顔でこちらを向いた。

「ミドリさん、よかった」


 どうしてみんな、わたしのこと名前で呼ぶんだろう。

 頭の片隅でそんな疑問を浮かべながら質問する。


「ドライバーさんはもう行っちゃった?」


「はい。今日は忙しいとかで、すぐに次の店に向かいました」


 自分から責任が移ったと悟ったらしく、なめらかな口調で答えが返ってきた。


「それにしてもこれ、すさまじい量ね」


 わたしがにらんだのは、ほかの店舗の割り当てが混じっているのではないかということだった。

 ドライバーさんが、トラックの荷台を占めていた大量のカップ麺のケースを一旦車の外に出し、目的の品を出したあと積み忘れてしまったのではと推測したのだ。

 うちの店でもカップ麺はあつかうが、こんなにはさばけない。


「これ、たしかにうちで発注したものなの?」


「そのようです」


 倉庫係の子は答え、後輩もうなずく。


「ちょっと納品書、見せてくれる」


 手渡された書類の明細を目で追っていく。

 目指すものはすぐに見つかった。赤いきつねと緑のたぬき百ケース。

 百ケース?

 百個の間違いじゃないの?


 そう思ったとき、顔から血の気がすうっと引くのがわかった。


「ミドリ先輩?」


 ああ、やっちゃった。


「……この発注、わたしのミスだ」



「――というわけなのよ」

 わたしは目の前の男性に経緯を話した。


 喫茶店のテーブル席に座る赤石くんは意外そうな顔をする。


「めずらしいな。ミドリがそんな失敗をしでかすなんて」


「ほら、わたしたち結婚式の準備で忙しかったでしょう」


「特にミドリはそうだよね。式場との打ち合わせのほか、ドレスの選定や着付けなんかもあったからなあ」


「うん。プライベートなことだから言い訳にもならないんだけど、寝不足で発注入力をしたときに、単位を見落としたみたい。サイトを見たときに、キャンペーン中で、百個なら値引きとうたってあったから、つい確かめずに注文しちゃったの。安くあげられたと喜んじゃってさ」


「ミドリはいいヤツだよな。会社のためを思ってしたことだろう」


「褒めてくれるのは嬉しいけれど、結果的に損害を与えちゃダメよね。あんなに売りさばけるわけがないもの。ほかの商品もあるから、いつまでも倉庫を占領できないし」


「それで店長には報告したんだろう」


「うん。お休みだったけれどすぐに連絡して謝った。副店長にも」


「それでどうなったの?」


「わたしのミスなので、五十ケース自腹で買い取ったの。店長がいい人だから、仕入れ値で譲ってくれた」


 話しているうちに、涙が出てきた。


「ごめんね、赤石くん。わたしたち、結婚で物入りのときなのに、大きな出費になっちゃって……自分が情けないよ」


 赤石くんは元気づけるように笑顔を向ける。


「気にするなよ、失敗はだれにでもあるんだからさ。それよりおれたち、その大量のカップ麺をどうにかしなくちゃならないな。一ケース十二個だから六百個か」


 『おれたち』と言ってくれるのが嬉しい。わたしはこの人を選んで正解だった。


「わたしが毎日、お昼に食べるよ」


「そんなことしたら二年近くかかるじゃないか。もう高校生じゃないんだぜ。いくら好きだって、カップ麺だけ食べてたら、身体を壊すよ。おれは、それが一番嫌だな」


 やさしいね、未来のわたしの旦那さま。


「ありがとう。でもこのまま置いていても消化しきれないし。場所だって結構取られるよ」


「いまどこに置いているの?」


「私の部屋と廊下と居間。親にも迷惑かけちゃっているんだ――あっ!」


 ひらめくものがあった。


「なに? どうした?」


「うん、お父さんが町内会の催し物で景品を揃えなくちゃならないと言っていたのを思い出したの。頼みこめば、少し使ってくれるかもしれない」


 赤石くんは身を乗り出した。


「ナイスアイデアだな。原価で入手できれば、予算的にも助かるし。それで、何ケースいけそう?」


「十五ケースくらいかな」


「あと三十五ケースか……」


 赤石くんはちょっと考え、うなずく。


「おれも一枚乗るよ。十五ケースいけるかも」


「あてがあるの?」


「うん、ミドリのお父さんと同じ。今度の新人歓迎会の幹事、おれなんだよ。それでいくつかゲームをやろうと思っているんだけど、ビンゴの賞品を探していたんだ」


「賞品がカップ麺? 十五ケースっていったら、百八十個だよ。会社の歓迎会で、そんなにはけるの?」


「まかせておいて」


 赤石くんは明るく答えた。


「参加賞を考えている。ゲームの参加率を上げるために、全員に一個はあげてもいいと思うんだ。あとは上位当選者用にケース単位で賞品にすれば完璧。このカップ麺、嫌いなヤツはいないから、だれが当たっても喜ぶ」


「ありがとう」


 やっぱり頼りになるな、赤石くん。高校のときからそうだった。


「これで残り二十ケースだな」

 赤石くんが言った。


 建設的な意見に触れると、アイデアが湧く。

 解決策を思いついた。


「考えがあるの。聞いて」



「――というわけなんですよ」

 わたしは話し終えた。


 隣では赤石くんがにこにこしながら聞いている。


 ウェディングプランナーさんは感心したような顔をした。

「そうすると、カップ麺は、ご新郎さまとご新婦さまの縁結び役だっただけでなく、大学受験や社会人になってからも、人生の折々に登場する役目を担っていたわけですね」


「はい。だから、ご招待するかたの引き出物にも入れていただきたいんです」


 わたしはテーブルに置いた赤いきつねと緑のたぬきを見つめる。


「ご招待のお客さまは七十名ですよね。おひとりさまに赤と緑をおひとつずつ。そうすると、残りは百個になります。それはどうされるのですか?」


 プランナーさんの疑問に赤石くんが答える。


「それは今後、結婚記念日にふたりでひとつずつ食べる予定なんです。つまりストックを食べ終える頃は……」


「五十年後。金婚式ということですね!」


 プランナーさんは驚いたように言ったあと、眉をひそめた。


「ですが、そんなに保存できるものではないと思いますが」


 わたしは微笑した。


「もちろん、少しずつ新しいものと交換していきます。ですから正確には一年に一個ではないんですよ。でも、そういうセレモニーを続けていくことで……」


 赤石くんがあとを引きつぐ。


「その度に、つきあいはじめた頃の、お互いへの気持ちを思い出すんです」


 プランナーさんは得心がいったように深くうなずいた。


「なるほど。このふたつのカップ麺は、いままでも、この先も、おふたりの人生とともに歩んでいくというわけですね」


「そういうことになりますね」


 わたしは赤石くんと顔を見あわせて笑う。


 もしいま、高校二年のわたしに会えたらこう言ってあげるだろう。

 ミドリ、片想いの彼に振られてよかったね。そのあとあなたが好きになる人は、あなたの人生を託すのにふさわしい人なんだよ。

 ミドリ、明るい未来は目の前にあるよ!

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