だから・こうなるのだ

「落ち着いてくださいよ」

 そう言いながら御厨も自分のふくよかな胸に手をあてた。柔らかいしなやかな胸は本物で股に手をあてると男性のシンボルなどどこにもなくて、女性のなだらかな丘がそこにあるだけだった。

 大きくため息をつく。けれども失ったものはかえらないし、憧れの美しい胸は触ってみることができるが自分の胴体に付いているものを触っても意味などない。中身は男のままなのだから……。

 このトンネルを抜けても女のままなら、この先どうやって生きて行けばいいのだろうか? 絶望だけが残ったまま、御厨は車に戻ると何度か切り返しをしてもと来た道へと引き返す準備をしていた。

「乗ってください、引き返しましょう。それでもこのままだったなら諦めてその時はまた考えたらいいじゃないですか」

「考えて、どうする。なんとかなるのか? それで」

「分かりません」

 で、考えた後それから? 御厨は京都大学を卒業しているいわゆるキャリア組だった。このまま女性としてキャリアの道を目指すのも悪くないかなと思えるが、戸越さんは妻と子供が……。帰る場所がないのだ。どうしてこんなことになってしまったのだろう。あの事件が呪われているのでは、ちがう、この場所か? トンネルか?



 車はトンネルの中を左に膨れている。薄明りの中で隣にいる美人をちらっと見た。

「今、みただろ」

「すみません」

「きれいだよな、俺」

「はい」

 あの現場の男女には何があったのだろうか? 事件を調べると呪いが、は! まさか、この時代に呪いなんて。御厨はトンネルの出口に近くなり冷や汗が出てきた。田舎の車などほとんどない山間の道は静まり返っている。


 何も変わらない女の姿の自分たちを車内のルームミラーで確認して、お互いの目で、脳で確かめる。


「さあ、どうしましょうか」

 絞り出すように御厨が一言発した。

 戸越は山の切れ目に向かって走り出した。

「来るな、お前はこの世に残る方がいい。俺はこんな姿で枚方へ戻れない。後のことは頼むわ。さいなら」

 ホルスターから拳銃を抜くと安全レバーを外して左のこめかみに充てて、乾いた拳銃の発射音を残して一人の美人は山の下に落ちていく。

 御厨には止めるだけの時間はどこにもなかった。突発的な出来事だった。

 切通の下を見ると、そこには元の戸越の姿があった。コロンボみたいなアイボリーのコートを着て無精ひげに伸びた天然パーマの男の姿。


「そうか」

 御厨は思った。

 死ねばもとに戻れるのか。

 あの現場は偶然死体を見たけれども、元は……。

 自分はどうする? どうすればいいのかと考えた。拳銃自殺したバディの報告をする前に、女になった自分のことをどう説明すればいいのだ。今までのことはドライブレコーダーに撮影されているだろう。これで切り抜けられる。俺は死ぬまでこの女優のようなきれいな女刑事でいればいいのだから。

 しかし、これ、誰が信じてくれるのだろうと恐ろしく不安になり、ホルスターから拳銃を抜いた。冷たいが暑いやつ。それがこの拳銃というやつの特性だ。引き金を引けば人の命を救うことも奪うこともできる。安全レバーを外して右のこめかみに充てると気持ちはぐんと楽になった。座りこんだ自分の脚は女のそれだった。

 戸越さんはもう、この世にいない。

 先ほどまで冗談を言い合っていたのに。

 だが、御厨は引き金を引くことはできなかった。

 急に生理が始まったのだった。失禁したのかと思ったら赤いものが下着についている。こういう時はどうすればいいのだろうか。とりあえずハンカチをあてた、それも女物のかわいいものだが、バッグには生理用品は入っていなかった。

 体が生きろと言っている。

 俺はきょうから女として、そして刑事として生きていく。無線機を取り本部に連絡をした。これからどんなことになるのかはわからない。けれど、生きるしかなさそうだ。諦めない地道な捜査をしてきたはずなのに、こればかりはどうしようもない。

 戸越さんの分も……。


           了

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踊る時間軸 樹 亜希 (いつき あき) @takoyan

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